第137話 2番目の檻


 

 ニックが作った玉ねぎのスープを飲んで、リタは思わずスプーンを床に落とした。


「うまい……」


 床とスプーンがぶつかる音を合図したかのように、リタはわなわなと口を震わせながら言った。


「どうして玉ねぎとわずかな具材でこんな味が出せるんだ。鶏ガラは……入っているな。あとシナモンとクミンスパイスと……?」


「庭で自生育てたミントでさ。隠し味でちょこっとだけ入れておりますぜ」


「ミント! そうかこの爽やかな風味はミントか……!」


 目を輝かせながら、「はー」とため息をついて、再びスープを口に運び始めた。どうやら同じ料理人として、なにか感じるものがあったらしい。


「このあぶったハムも最高だ! おい、アンク、いったいどこの高級レストランで見つけてきたんだ、こんなシェフ」


「シェフじゃなくて、ニックはただの流れ者だよ」


「そうでさ。前に住んでいた家けん職場が全壊したから、世話になっているだけさ。高級レストランなんてとんでもねぇ。自給自足で暮らしていたから、全部独学さ」


 あっけらかんというニックに、リタはショックを受けて固まった。我に返ってニックに近づくと、こそこそと小さな声で耳打ちし始めた。


「ねぇ、ニック。私の酒場でコックをやらないか。こんなところで腐っているより、絶対良いよ。私とあんたなら天下を取れる。給料も奮発するからさ……」


「おい、全部聞こえてるぞ。なに、人のメイドを引き抜こうとしているんだ」


「ちっ」


 残念そうに舌打ちしたリタに、ニックは笑いながら言った。


「お嬢さん、その申し出はありがてぇが……あいにく、旦那さまには一宿一飯の恩がある。金だけじゃ払いきれねぇ恩だ。それに天下を取るなんて、あっしには出来過ぎた話だ」


「出来過ぎた話じゃない。あんたなら出来るんだよ。この私が保証する」


「そう言う問題じゃないんでさ」

 

 ニックはリタの申し出をがんとして受け入れなかった。


「天下とか給料だとかあっしはこだわらない主義でね。ただ普通に生きているだけで、満足しているんだ。悪いがお断りしますぜ」


「だってよ、リタ」


「……野心がないなら仕様がないか。まだそう年齢もいっていないのに、達観しているね」


「良く言われます」


「もったいない、本当に……」


 ぶつくさ言いながらもリタはスープもハムも完食した。

 ついでに朝ごはんにとっておいたパンまで平らげてしまった。よほど美味しかったらしく、最後にはニックと固い握手を交わしていた。


「うまかった、ぜひ今度レシピだけでも教えて欲しい」


「もちろんでさ……では、あっしはこれで。つもる話もあるんでしょう?」


「悪いな、ニック」


「とんでもない。旦那さまが何をやっているか、うっかり口が滑ってはいけませんからな」


 再びナイトキャップをかぶったニックは、大きなあくびをして2階へとあがっていった。ギギィと扉を閉めた音を確認して、リタが神妙な顔つきになった。


「……さて本題に入ろうか。『死者の檻パーターラ』崩しに関して話さなきゃいけないことがある」


「時間が無いってこと」


「そう……あの娘たちが女神の封印を終えてしまったら、私たちに勝ち目はないことは言ったよね。封印のスピードはかなり早くて、もって1ヶ月くらいかもしれない」


「1ヶ月か……長いとは言えないな」


「加えて、私たちが倒すべき相手は女神の力を蓄えている。全員がユーニアくらいの力を持っていると考えて良いわ」


「厳しいな……封印に時間をかけすぎると、固定がかけられない。それ以前にこっちが返り討ちに合う危険性もある」


 ユーニアとの戦闘も一手間違えれば消し炭になっていた。

 それだけギリギリの戦いを、1ヶ月の間でやり遂げられなければならない。正直、考えるだけでも気が遠くなる


 それでも、やらないという選択は出来ない。

 記憶を取り戻して、俺の代わりに犠牲になっている奴らに会わなければ、これから先、生きていく資格なんてない。


「『死者の檻パーターラ』の鍵の場所は分かるのか?」


「もちろん。さっそく明日向かおうと思っている。場所は旧サラダ村跡地」


 旧サラダ村跡地。

 魔物に襲われて放棄された土地だ。今でも瘴気が漂っていて、足を踏み入れるものはいない。


「そこに失われた『彼女』に関する記憶がある」


 ふいに彼女の姿が頭をよぎった気がした。

 人懐っこくて明るい彼女の姿が、脳裏に浮かんだ。


「……そうだな。その計画で構わない。きっとあいつは俺を待っている」


 リタの計画に同意する。

 きっとあいつも俺に救われようとはしないだろう。そういう女だ。

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