第106話 真実
かつて『異端の王』だったものは、立ちすくむ俺の前に穏やかな笑みで立っていた。敵意もなく、ただ俺の前に立ちふさがった。
「お前は……そうか」
そして、彼の足元にはなぜか影が存在していなかった。
驚いて視線をあげると、彼は変わらない笑みで俺を見ていた。彼の後方にあるかがり火がぼうぼうと燃えているのを見て、俺は確信した。
「お前は蘇ってなどいない……」
「正解。それで?」
「『
幽霊、ではない。
そもそもが違う。サティやパトレシアやナツが、こんな風に姿を消すはずがない。どういう訳か、おかしいと思えないでいた。
この場所はそもそも地下祭壇などではない。視覚が、意識が、
「これは……
そう叫ぶと、空間全体がグラリと歪むように形を失い始めた。骨を失った動物のように、建物を支えている壁や柱が
その答えを聞いた彼は嬉しそうに俺のことを見ていた。
「そう、正解。この空間は催眠魔法で作られたものだ。僕も最初からちゃんと死んでいて、いまいる僕は完全な作り物だ」
「誰がやった? ラサラか?」
「ラサラじゃない。彼女は完全に死んでいる」
彼は肩をすくめて言った。
「君に催眠をかけたのは、生きている人間だ。もう分かるだろ」
「じゃあ……いつからだ?」
「ラサラとバイシェの最期を見届けて、お姉ちゃんの映像を見たあとだよ。その間に君は
「つまり俺は今、その
「そう。よほど見られたくないものでもあったんだろうね」
彼は崩れゆく天井を見上げながら言った。
徐々に形を無くしていく天井は、霧が晴れていくようにモザイク状になって散らばり始めた。魔法の認識が、
「僕と君がカルカットで最初に会った時も同じ理屈だ。あれも
「生き返ったのでもなく、おまえという存在は最初からいなかった。
「そう、だから何者でもないって言ったじゃないか」
全てが
死んだ彼がどうして俺の前に現れたのか。どうして固定魔法を使えたのか。どうして俺に何もしなかったのか。
全ては幻だった。
彼という『異端の王』は確かに死んでいて、これは本当に……夢のような出来事だったんだ。
「ねぇ、最後に君に聞きたいことがあるのだけれど」
ポケットに手を突っ込んだ彼は、少し名残惜しそうに俺を見ていた。彼が幻覚であることの証明に、彼の身体もバラバラに消えて行こうとしていた。
「幻覚のおまえが何を聞こうって言うんだ」
「まぁ、ヒントを与えたお礼だと思ってさ」
「……分かった。少し納得はいかないが、借りを作るのは面倒だからな」
「実は、君と女神との契約を『
「納得? 金貨のことなら別に文句はない」
「ちがう、ちがう。しらばっくれないで。それより前の話さ。君がこの世界に転生してくる時に交わした契約のことだよ」
彼は俺のことをまっすぐ見ながら、聞いた。
「後悔はしていない?」
「どうして……そんな話をするんだ。俺がこの世界に来た時の契約……『異端の王』を倒すために戦うっていう契約だろ」
彼は「そうだよ」と言って言葉を続けた。
「命と引き換えに女神に従うことに不満はないのかって気になったんだ」
「……別に不満はない。それだけやれば、あとは好きにして良いって言われたから受けおった。そのまま死ぬのは嫌だったし、何より世界を救わなければいけないのなら、俺だって戦わざるを得ないだろ」
「相手がもし自分の身にあまるような敵だったら、と考えたことはあるかい?」
「考えたさ。その時はその時で、仕事は断って、おとなしく死ぬしかないって思った。もともと救われた命だ。それくらいちゃんと選択する」
自分のことは自分でケリをつけたい。自分の死に方くらいきちんと決めようとしている。
俺がそういうと、彼は困ったようにため息をついた。
「なるほど、
「そう言うなよ。俺、もう嫌な仕事は断るって決めてんだ」
「そうだね。君はそういうことが出来る人間だ。誰かに惜しみなく分け与えることが出来る善人だ」
彼は目を細めて言った。
「あなたはいざという時、自分の命を投げ出すことさえ出来る。それがきっと嫌だったんだろうな」
「……何を言っているんだ?」
「なんでもない。ただの
テクスチャが剥がれるように地下祭壇が消えていったあとに、ゼロの背後から後光のように光が差し込んで行った。彼の身体は
「じゃあ、またね。幻想はもう解かれる。名無しの僕とももう会うことがないから、安心して起きてくれ」
「……やっぱり、おかしい」
「なに?」
光はますます強くなって、幻覚はほとんど霧散していた。ゼロの姿もただの黒い影となって、それすらも消えて行こうとしていた。
ただ、納得いかないことが1つ。
「おまえ本当に催眠魔法に産み出された幻覚なのか? 変だろ。どうして幻覚のお前が催眠魔法を解くヒントを与えたんだ?」
「……それは」
彼は珍しく言葉に詰まると、少しだけ微笑んで言った。
「それは……術者が幻想を解かれることを心のどこかで祈っているからじゃないかな。永遠と続く夢は、終わりのある現実には遠く及ばないことを、心のどこかで知っているからだと思うよ」
彼は俺にそう言葉を放つと「さようなら」と言って、光の中に溶けていった。彼がいなくなると、俺自身にも強い光が
身体が現実世界に引き戻されていく感覚。
遠くから俺を呼ぶ声が聞こえてきて、せわしなく頭の中でこだまする。あとはまぶたを開ければ、俺は完全に覚醒するだろう。
最後に、振り返るように、彼がいた空間に「さようなら」と言ったあとで、俺は目を覚ますためにまぶたを開けた。
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