第71話 さよなら、大英雄


 さっきまで喧騒けんそうに覆われていた広場は、完全な沈黙の中にいた。人々は凍ったように固まり、驚きの表情を見せることはない。


 何1つ動いているものはない。

 この魔法は俺が誰よりも知っているものだった。


 ありとあらゆるものの時間を止める魔法。時間に干渉する神のごとき力。


 固定魔法。

 それを目の前の青年が使っている。


「おまえが『異端の王』だと……?」


 純白の髪の青年は、俺たちの前に立ちふさがった。短くはない前髪が眉間みけんの方に垂れている。ぼろきれのような汚い服は、黒い魔力に覆われていた。


「正しくは『異端の王』だったものだけれどね」


 軽い口調で彼は言った。


「……ちがう」


 そんなはずはない。

 俺が知っている『異端の王』はこいつではない。俺が殺したのは彼ではない。


 そもそもあれは人間では無かった。

 口に出すのもはばかられるような、3つ首の化け物だ。あれが人間だなんて俺は認めない。


 混乱する頭を必死に落ち着かせる。

 今の状況を理解しなければならない。首から下は金縛りをくらったようにピクリとも動かなかった。


 手も足も出ない。

 それどころか、魔法の1つだって機能しない。


「俺を、殺しに来たのか」


 復讐ふくしゅう

 その2文字が真っ先に浮かんだ。


 サティは間違っていた。俺は『異端の王』を殺しそこねていた。今、彼は脅威である俺を殺しに訪れた。そう考えるのが最も辻褄つじつまが合う。


「それは早計だよ、大英雄。僕は君を殺すつもりなんてサラサラない。安心してくれ、僕は誰も殺すつもりは無い」


「じゃあ、なぜ……?」


「なぜだろうね、ふふふ。僕にも分からないよ」


 クシャッとした笑顔を見せて彼は微笑んだ。

 微笑んだ彼は見た目よりもずっと幼く見えた。その顔を見て、俺はどうしても彼女と比較せざるを得なかった。


 白い髪を見た瞬間から感づいてはいた。

 だが、眼を背けていた。眼を向けるのが怖かった。


「お前は……」


 この現実は、あるいは、殺されるよりもずっと最悪なことかもしれない。

 

 白い髪に緑の瞳。

 華奢きゃしゃな身体。

 笑った時のくしゃっとなる表情。


 あまりに似過ぎている。


「レイナの……」


 俺の目の前に立つこの青年は、記憶のピースを通して見たレイナの弟にあまりに似ている。


「レイナの弟なのか」


 彼はあっさりと頷いた。


「そうだよ」


「……お前が『異端の王』だったのか」


「そうだよ」


「……俺がお前を殺したのか」


「そうだよ」


「……どうしてお前は死んだのに生きているんだ」


「想像にお任せするよ」


 彼はそう言って、沈黙した。

 ただ俺のことをジッと見つめて、無表情のまま固まっていた。


「どうして……」


 気になる事はそれだけではなく、俺はそれを尋ねない訳にはいかなかった。


「どうして何も言わないんだ、レイナ」


 どうして、何も言わずにいられるんだ。

 どうして、俺から眼を背けるんだ。

 どうして、自分の弟が生きていることに驚きもしないんだ。

 どうして、全て分かっていたみたいな顔をしているんだ。

 どうして、全てを受け入れているような顔で下を向いているんだ。


「……どうして、何も答えてくれないんだ、レイナ……!」


 俺の隣で、もうとっくに手を離してしまったレイナは、俺にも自らの弟にも視線を向けていなかった。どこを見るとでもなく、影の1つすら動かない地面を見つめていた。


「レイナ、頼む! 何か言ってくれ!」


 彼女は何も答えなかった。

 叫びは虚空こくうに紛れて、どこにも届かなかった。


 代わりに淡々と青年が言った。


「全部、分かっているはずだよ? この状況、何も理解が出来ないほど、君は察しが悪い訳じゃない。ただ信じたくないだけだ」


「……」


「だとしたら、僕が教えてあげるよ。お姉ちゃんは……」


「待って」


 レイナは自分の弟をさえぎって言った。

 ようやく口を開いた彼女は、いつもと違って強い口調だった。表情は髪に隠れて分からない。泣いているのか、怒っているのかも分からない。


 少なくとも声は震えていた。


「やっぱり私の口で言う」


「そう」


 彼は小さく頷くと、一歩下がった。

 代わりにレイナが俺の前に立って、視線をあげた。


「アンクさま……」


「レイナ……嘘だろ……」


「嘘ではありません、アンクさま。私はあなたを裏切っていました」


「どうして」


「それは……」


 彼女の声の震えが止まった。

 俺の眼をしっかりと捉えて、レイナは言った。


「……全ては私のわがままです。私が望んでしまったから。私は私の欲望を叶えるために、あなたを裏切ったのです」


「欲望……だと。君は一体何を望んだんだ?」


「私にとっての全てです」


 レイナは泣いてはいなかった。怒ってもいなかった。彼女はしっかりとした口調で言った。


「私がそんな分不相応の願いを抱いたから、全てが間違ってしまったんです。アンクさまを巻き込むつもりは無かったのです。これからも、これまでも」


「……巻き込んだって良い。レイナ、もう帰ろう」


「それは出来ません」


 レイナは強く否定して、言葉を続けた。


「暴かれた嘘は、次の嘘で塗り重ねければなりません。今度は、もっと、強く、固い意志で」

 

 レイナが俺に向けて手をかざした。さっきまで繋いでいたレイナの手のひらが、今度は俺と向かい合って対峙たいじしていた。


「本当にごめんなさい」


 レイナがそう言った瞬間、頭の内側に感電したような痛みが走った。


「……あ……!」


「さよなら。せめてあなたが幸福であることを祈ります」


 だめだ。

 レイナ。


 意識が途切れる間際、レイナがいた方向に手を伸ばそうとしたが、そこにはもう彼女の姿はなかった。


「知りたい?」


 代わりに立っていたのは白い髪の青年の方だった。

 彼は俺のことを覗き込むように問いかけていた。彼の顔をまっすぐ見て、その問いに瞳で答える。「教えろ」と言葉にならない声で言う。


「教えてあげる」


 青年はそう言うと、手のひらから渦巻く漆黒の闇を出現させた。


「……急いでね。間に合わなくなる前に」


 彼が差し出した闇に飲まれて、ゆっくりと意識が落ちていく。フィルムが回転し始める。見知らぬ記憶の見知らぬ会話。


 そうして、俺は、以前よりずっと深い記憶の底にたどり着いた。



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