第60話 大英雄、ピクニックを続ける
空を見上げて、太陽の位置を確認する。
まだ正午にもなっていない。無駄話をする時間は十分にある。
俺はポットからコーヒーを注いで、レイナに話の続きをすることにした。
「子供の時とは違うんだよ。ナツもパトレシアもリタもみんな大人になってしまったから。俺たちは別々の人生を歩いていた。悲しいことや辛いことも沢山経験した。経験し過ぎてしまった」
「悲しいこと……」
「サラダ村やイザーブでの事件だ。多分あれのせいだな……」
「魔物災害ですか」
「あぁ、そうだ」
ナツが旧サラダ村で経験したこと、パトレシアとリタがイザーブで経験したこと、それらがきっと彼女たちの心の傷になっている。あの災厄で彼女たちはあまりに多くのものを失いすぎた。
けれど、その心の欠落を彼女たちが普段見せることはない。何でも無いように振舞って、心配させまいと笑う。
「皆さん、強いんですね」
「そうだな……けれど、やっぱりその感情が無くなることは無いんだよ。強がってみせても、何かを隠しているのは分かる」
「隠している……? そうでしょうか」
「うん。たまにそういう風に感じる」
小屋の中とか、シャワールームの中とか、倉庫の中とか。身体を寄せ合っている時とか、そういう時だ。
我慢していた感情は風船が割れるように、ダムが崩壊するように、積もり積もった
「欲望を引っ張り出す……」
レイナはその言葉に強く反応して、考え込むように
「では、アンクさまは皆様の欲望……心の傷を受け止めて、治療しているということでしょうか……」
「そんな大それたことじゃないよ。結局のところ、そういう瞬間にしか俺たちは互いの感情を確かめ合うことが出来ないだけだ」
それは治療などではなく、垂れ流しているだけだ。
理解し合っているのではなく、感情をぶつけているだけだ。
レイナは俺の言葉に納得出来ないというふうに、首を横に振った。
「それは……互いを理解し合っているとは言わないのですか?」
「そうはならないよ。その時はそうだとしても、完全に解決することは決して無いんだ。離れると、そこには再び高い壁が立ちはだかっている。繋がり合っていたことが嘘みたいに思えるほどに、高い高い壁だ」
吐き出した言葉はいつまでも記憶される訳ではないし、感覚はいつまでも残留する訳でもない。
その瞬間が終われば、俺たちは何事も無かったように1人で歩かなければならない。
「俺たちは理解し合っているようで、分かり続けることはできない。子どもの時とは違うし、大人になるってそういうことなのかもしれない。誰にだって全てを打ち明けられるわけではないし、誰にだって秘密はある」
レイナは俺の話を黙って聞いていた。
視線を自分のカップに置いた彼女は、しばらくしてようやく口を開いた。
「では、私たちが全てを理解しあうことは不可能だということなのでしょうか……?」
「……どうだかな。少なくとも今の俺には無理だ。あいつらの心の欠落を埋めることは、俺には出来ない」
ぎこちなく触れ合う肌や、すがりつくような言葉。
触れれば触れるほど、彼女たちのことが分からなくなる。先の見えない闇に手を伸ばすことに、それは似ていた。
「もし、本当に全てを理解したら、俺はあいつらの欠落を埋めることが出来るかもしれない。でも実際はそうじゃない。俺はあいつらの何も理解出来ていない。それが現実だ」
「アンクさまは、随分と悲観的なんですね……」
「悲観的と思えるなら……そうかもしれない」
「私はそうは思いません」
レイナは目を逸らし、雲1つない青空を見た。
その横顔は
「アンクさまが1番理解していないのは、なによりアンクさま自身だと思います」
「俺が……俺のことを?」
「はい」
レイナは頷いた。
「アンクさまは確かに願ったのです。その欠落を埋めたい、と。その全てを理解したかった、と。心の底で願い、もがいて諦めなかった。ですから……現に……」
レイナはそこまで言うと、ハッと息をのみ口をつぐんだ。
「レイナ……?」
「げ、んに……」
それはサティに尋問された時の彼女の様子に似ていた。
彼女が発した言葉は小さく
「……ごめんなさい。聞かなかったことにしてください」
この感じだ。
レイナは間違いなく秘密を抱えている。俺に言いたくない何かを知っている。
『理由を聞かせてもらおうか。君がやったにしても、そうじゃなくても、何か知っていることがあるはずだ』
サティの言葉を思い出す。
いったいレイナは何を隠しているのか。それさえ解決すれば、俺は何を気にすることもなくデートを楽しむことが出来る。
「レイナ……正直に話す気はないか。俺の記憶のピースについて。俺は何を忘れている?」
「……いえ」
顔をあげたレイナは
「あなたは……」
レイナが口を開いた。
しかし、俺はその言葉を最後まで聞くことは出来なかった。
なんの
バチリと眼の裏側で火花が走る。耳を中心に痛みが広がっていく。
「っっっ!!」
激痛は外部からの衝撃に寄るものだった。甲高い耳鳴りがして、意識が遠のく。
どうして? 背後か? いったい、誰が?
「レ……イナ」
彼女の名前を呼ぶ。
襲撃犯の正体すらつかめずに、意識は一瞬にして穏やかな広場から、無意識の闇の中へ飲み込まれていった。
そしてまた、頭の中でカラカラと音が鳴り始めた。見たことがないほど深い暗闇の底で、差し込む光を見つけた。
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