第29話 大英雄、相談する


 レイナが去り、バタンと階上のドアを閉める音がしたのを確認すると、サティはこそこそと俺に耳打ちしてきた。


「ねぇ、あの娘に盗聴器とか仕掛けられていないよね」


「バカ言え。良くあんな嘘をつけるな。……それで本当は何しに来たんだ。腹まで空かせて、どこをほっつき歩いていたんだ」


「そう! それだよ!」


 バン、と机を叩いて、サティはグラスに入った水を一気飲みした。目をおさえると「うっうっ」と妙なむせび泣きを始めた。


「私はね、君を探して、北から南へ。西から東へ。いたるところをさまよっていたんだ。聖堂に行って『女神だ』と言っても信じてもらえず、配給のパンをもらってしのいできたのさ。あぁー……しんどかった」


「なんだ、迷子か……」


「そう、ようやく出会えてホッとしているよ。もう死んでしまったのかと思っていた」


「そんな訳はないだろ。だって、女神の千里眼でなんでもお見通し……おい、待て。見えなかった……だと!?」


 心臓が早鐘はやがねを打つ。

 女神の能力の1つ、全てを見通す目をもってすれば、俺の居場所を探すなんて朝飯前のはずだ。


 サティは肩を落として言った。


「そう、見えなかった。世界は相変わらず霧に包まれたままだ」


「だって『異端の王』は倒したはずだ……! あいつが全ての原因だったんじゃないのか?」


「それは私も確認した。北の最果てに潜んでいた『異端の王』は確かに君が殺した。彼が生存している気配がないことは、私が手ずから確認した。だが、世界を覆う霧は晴れていない。『世界の眼ビジョン』と呼ばれている私の権限は未だに執行不能なままなんだ」


「つまり……事態は解決していないと言いたいのか」


おおむね解決したとは思っている。けれど、『世界の眼ビジョン』だけが戻っていない」


 プルシャマナで起こること、過去、現在、少し先の未来を把握する能力、『世界の眼ビジョン』。


 『異端の王』の出現により、その力は妨害されていた。霧のようにモヤがかかって見えなくなってしまっていたと、サティ自身が言っていた。


 その元凶を倒したならば、霧が晴れないというのは辻褄つじつまが合わない。


「全く理解できないということでもないよ。考えられる可能性はいくつかあるけれど、『世界の眼ビジョン』の不具合と君が倒した『異端の王』はイコールではないとうことだ」


「別に原因があると……?」


「そう。だから、異世界からの執行者としての君の仕事はまだ残っている」


 番茶をすすりながら、サティは言った。


「『世界の眼ビジョン』はね。私が持つ力の中でも、かなり強力なものだ。世界を運営する私にとって現状は、前の見えない自動車に乗っているみたいな感じだ。どこを進んでいるのかも分からない。目の前は断崖絶壁だんがいぜっぺきなのかもしれない。大げさに言うなら明日、巨大な隕石が落下してもおかしくないよ」


「……事の深刻さは分かったが、『異端の王』が犯人でないとすると、一体どんなやつがそんな力を持っているんだ。神の権限に干渉する力を持った奴なんて……この世界のどこにいるんだ」


 プルシャマナにおける女神サティの力は絶対的なものだ。普通の人間では到底敵うはずがない。あの『異端の王』でさえ、魔力の絶対値から考えると、女神のものからは程遠い。


 サティ自身で手ずから審判を下すことが出来ないのも、その力があまりにも強大過ぎるためだと言っていた。生態系に及ぼす影響が大きすぎるかららしい。


 だから、おかしい。

 女神の力に干渉できるほどの魔力の動きがあったならば、俺だってさすがに気づく。

 

「今度の相手はよっぽど隠れ上手なんだよ。けれど、ほころびは必ず何処かに現れているはずだ。最近、何か変な事は無かったかい? どんな小さなことでも良い」


「変か……」


「その顔はあるな。それも、さっきのメイドのことだ。違うかい?」


「……目ざといな」


 さっきまで、一心不乱に餃子を食べていた姿とは全く異なる、不敵な笑みを浮かべる女神の姿がそこにあった。


「レイナは……妙な能力を持っている。記憶に関わる能力。夢なのか現実なのか分からない物語を見せる不思議な力だ」


「5大元素の枠組みから外れたものか。その映像のことについて聞かせてくれないか」


 サティは椅子の上で、足を組んで興味深げに俺の話を聞いていた。不用意に脚を組み替えるたびに、黒いローブの隙間から、新雪のように白い脚がのぞいた。


「幻覚、か。随分とうまく誤魔化されたね」


「何だよ、その言い方。レイナが嘘をついているって言いたいのか?」


「信じたくないと言った顔だね。もしかして、すでに貫通済みかい?」


「……なんだよ貫通済みって。彼女はただのメイドだよ。住み込みで働いてもらっているだけで、そういうことは……無い」


「ふぅん」


 いたずらっぽく笑いながら、サティは微笑んだ。


「それは良くないな。早くヤッてしまった方が良い」


「おまえに恥じらいというものはないのか。別に良いだろ、俺はするべき時にするよ」


「いや、冗談じゃ無いよ。早くそのレイナって娘とスル事をスルんだ。それが今の君のするべきことだ」


「おいおい、ふざけるんじゃ……」


 反論しようとサティの方を見たが、彼女の瞳はそれを許さなかった。サティは頬にかかった自分の髪をかきあげて、言葉を続けた。


「君の話を聞いて、私の考えはますます明確になった。そのレイナって娘はなにかを隠している。隠しているのはその映像。その扉の鍵は単純だ。血、それに手のひら」


「……レイナに触れることが鍵、だと?」


「うん、だから次はとびっきり濃密に、本格的に、最後まで」


 ふいに身を乗り出して、サティは俺の頬に触れた。それから撫でるように、優しく目元から口元へと指を動かした。


 その動作は彼女の今の幼げな姿形に似合わず、妖艶ようえんな雰囲気をかもし出していた。


 そこから放たれる言葉も、また常軌じょうきを逸したものだった。


「君はレイナと性行為をしろ。それが次の任務だ」


 俺の口の中に指を突っ込んで、サティは言った。

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