第176話 継承
……ずっと考えていた。
どうすれば『異端の王』となったレイナを救うことが出来るか。
この問いは二者択一などではなく、もとより選択肢は存在していなかった。レイナが『異端の王』となってしまった時点で、彼女に残された道は死しかなかった。
世界の異物である『異端の王』は女神によって殺される。
それを打ち破るための瞑世の魔法。ルールを破壊し、あらゆるものの目を閉ざす人間には過ぎた
だが、それの発動と同時に新たな神となったレイナの記憶は、全ての人から失われる。瞑世の魔法の発動によって、レイナは人間としての死を迎える。
レイナはもはやこの世界に普通に生きていて良い存在ではなく、それは確定した未来だった。
「でも、そんなのあんまりじゃないか」
レイナが何をした。
彼女は被害者だ。加害者ではない。ひたすらに傷つけられ、損なわれた存在だ。彼女は何の悪も犯していない。
けれど、その論理はサティの前では成立しない。たとえ、そう言ったところで、あの女神はバッサリと切り捨ててみせるだろう。
『被害者だから悪ではないという論理は飛躍している。むしろ被害者だからこそ、強い悪に成長するんだ。被害者と加害者は裏表の関係ではなくて、常に隣り合っているものだ。入れ替わり、交換するものだ。私たちが直面する『異端の王』とはそういった類のものの極地だ』
世界は異端を許さない。
このプルシャマナを統べる女神として、それは看過しておけない絶対悪だ。
「そんなの関係ない。俺にとってのレイナはレイナでしかないんだ」
突き立てたナイフを思い切り引く。
胸が割れて、恐ろしい量の血が見える。固定魔法によってゼリーのように固まった血だまりの奥に鼓動する塊を見る。
……心臓が見える。
宝石のような鮮やかな赤。時間の固定を
「
ここからは俺にとっても彼女にとってもギリギリの賭けになる。失敗したら全てが台無しになる。
呼吸を落ち着け、ナイフの
摘出した心臓は俺の手の上で、まだかすかに鼓動を続けていた。柔らかく、手で押したらすぐにでも崩れてしまいそうな生命の源泉。
あとはかつてレイナがしたように、この心臓を食べれば—————
『そう、心臓による魔法の継承だよ。僕の心臓を食べて、お姉ちゃんには『異端の王』を引き継いで欲しいんだ』
かつてレイナがしたことを今度は俺が繰り返す。
今まで見た記憶を辿って、これこそがレイナを救うたった1つのやり方なのだと確信する。
彼女が自らの弟にしたように、俺がレイナの心臓を食べれば、今度は俺が『異端の王』になる。
「もう君は誰にも殺されなくて良いんだ」
レイナが『異端の王』でなくなれば、サティに狙われる意味もなくなる。瞑世の魔法を発動する必要もなくなる。
『残念ですね。やはり彼女では器が足りなかったみたいです』
血の儀式において、器の足りなかった子どもは飲み込まれて消滅した。もし、俺も同じような道を辿るとしたら、そこで終わりだ。
……心臓を口に近づける。
血の儀式に耐え切って、レイナを蘇生させるまでが俺のやるべきことだ。1秒でも長く彼女といるために、レイナに人間として生きていて欲しいからこそ、この道を選んだ。
「大丈夫だ。こんなこと……なんてことない。俺は……大英雄だ」
決意を固めて、歯に心臓を押し当てる。ブニリとした感触の肉を思い切り噛み切る。
「う……ぐ……」
中に溜まっていた血が口の中に流れてくる。鉄のような匂いと、むせかえるような甘さが混じった血の味が口いっぱいに広がる。一思いにそれを飲み込むと、真っ赤に流れてくる血の奥から、ひときわ黒い血が流れてきたのが分かった。
「そう……か、これが……」
ほとんど光を通さない漆黒の液体が、緩慢な動きで口の中へと入ってくる。身体に火が灯されたかのように熱が入ってくる。
「あ……ぁあああ」
それが歯に触れただけで吐き気がする。嘔吐を主張する臓器たちを催眠魔法で抑えて、無理やり喉の奥にねじ込む。
涙が溢れてくる。
どうしてこんなに悲しいんだ。どうしてこんなに痛いんだ。どうしてこんなに辛い思いをしなきゃいけないんだ。
「あ、あああぁああああ゛あああああ゛ああぁああああぁ゛!!」
叫び声が言葉にならない。
誰かに助けて欲しい。魔力炉がその黒い物体に侵食される。このままだと自分が自分ではなくなってしまう。自分以外の何かになっていく。
「い……て……ぇ!!!」
魔力炉が崩壊して、自己催眠が解けていく。
痛い、痛い、痛い。
肌が火で
血が、血が、血が。
血が足りない。憎しみが足りない。肉が足りない。身体が足りない。何もかもが足りない。
「あ……あ゛………ああぁ!!!!!!」
痛みで霞む視界。自分の身体からどす黒い何かが漏れ出しているのが分かる。キズ口から
だめだ。これ以上は抑えきれない。
記憶で見たときのように、黒いそれは俺の身体を飲み込もうと迫ってきていた。波でさらうかのように膨らんだ液体で、世界が染まっていく。
終わり。
終わり……なのか。
「ち……く、しょ……!」
—————諦められるか。死んでたまるか。
今度は俺だけじゃない。レイナもいるんだ。
「なにこんなところで終わろうとしているんだ……!!」
トビかけた意識を奮い立たせて自分を
まだ、やるべきことの半分もできていない。これでは大英雄なんて名乗る価値はない。
レイナの命を背負う資格はない。
「戻って、こいよ……!」
流れ出した黒い液体に呼びかける。
これは俺が抱えるべきものだ。俺が背負うべき憎しみだ。『異端の王』だかなんだか知らないが、ここでケリを付けてやる。
「こ……っち……だ……!」
全身全霊を込めて、身体から溢れ出した液体を呼び戻す。全ての魔力をそれだけに使用する。自己催眠はもういらない。
痛みもある。火で
それがどうした。
それがどうした。
それがどうした。
たかが痛みだ。たかが炎だ。そんなもので止まることが出来るはずない。レイナを諦めて良い理由にならない。
後悔しないと決めたから。
本当に欲しいものを守り通すと決めたのだから。
「……く……!」
黒い液体が俺の元へと戻ってくる。
血液と共に全身を巡り始める。濁流のようにうねり、身体を内側から破壊しようとしている。細い血管がプツプツと弾け始めて、身体中から血が流れ始める。
「おとなしく……しろ……!!」
今度は自分の身体の奥底へと潜る。もはや自分の身体なのか、他の誰かのものなのか判別がつかないほどにめちゃくちゃにされていた。
暴風のように黒い物体は身体を巡る。細胞の隅から隅まで
「
逃げるな、と。
「
途端に。
泡のように、頭の中で、何かが弾ける。それはバラバラになったパズルのピースのように、意味と整合性を崩してしまった何かだ。湖面に散らばったガラスのように、風景と一体化した透明な写し鏡だ。
雨が降ると、鏡は水を弾いて、
「見つけた」
幼い頃の彼女の姿をその鏡の中で見つける。空っぽのショーケースの前で、寂しそうに立ちすくむ彼女の姿を捉える。
「レイナ」
彼女は隠れていた訳ではなくずっとそこにいた。ずっとここで待っていた。失われた最後の記憶の破片は、こんなところにあった。
その姿に、俺は手を伸ばした。
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