【レイナ(No.13 Reprise)】
「お気に召しましたか?」
「こちらのオルゴールをご所望とはお目が高いですね。少し前のデザインですが、根強い人気がありましてね。造りも丁寧で店の片隅で
私が小さく頷くと、店主はにっこりと笑ってオルゴールのねじを回した。
キン、と金属の弦を弾く音。
カン、とぶつかる甲高い音。
コン、と響くベース音。
変わらないメロディ。
キン、カン、コン。
歌はショーケースの中で軽やかに歌い上げている。『木々は私たちに知恵を与えてくれた。大地は私たちに恵みを与えてくれた。天は私たちに祈りを与えてくれた』
何度も昔の記憶を巡らせながら、私はその音に聞き入っていた。過去の光景に思いを寄せて、私はオルゴールが奏でる音に耳を澄ませた。
私だけの世界。
私だけの思い出。私と家族のつながり。私の存在を保証してくれる確かなもの。私がこの世界に存在していることを、知ってくれている証拠のようなもの。私が誰かと繋がった存在であることを分かってくれている数少ない事実。
「どうでしょうか?」
しばらくすると、店主の男がそばに寄ってきて私に話しかけてきた。
「良い音色です。長年、
「魂が……」
「はい、汚れてくすんだ私たちの心が。真っ白に漂白されていくような気がします。また新しい気持ちで明日を迎えることが出来るような、そんな気持ちにさせられるのです」
店主はそこまで言うと、再び目を閉じた。耳の音色に耳を澄ますように、オルゴールの音に耳を傾けていた。
「たましい」
口に出すと不思議な言葉だ。
そんなボンヤリとした言葉を聞いたのは初めてだった。そんな意味の無い言葉を聞いたのは久しぶりだった。
「どうでしょうか?」
「……はい、聞かせていただいてありがとうございます。……ですが、これは今の私には必要のないものです」
「必要ないですか。それは残念なことです」
「だって私はもう何も必要としていませんから」
それ以来、というよりは永遠に、ショーケースの中身は今でも失われたままだ。私は私の欲望を失ってしまった。
言葉の意味に気がついたのは今さらになってからだった。感情に飲まれた私は
罪滅ぼしという名の、虐殺を私は続けていた。
彼と出会うまでは。
彼と出会い自分の欲望に出会うまでは。
あの人の存在こそが、私にとっての全てになってしまったと気がつくまでは。
『グラスについた水滴がテーブルに落ちた。それは木目の間に入り込んで、にじんだシミを作っていく。侵食するように方眼紙のマス目を埋めていくように。点から線へ。線から球体へ。球体から物体へ。物体から島へ。島から大陸へ。大陸から海へ。海から空まで埋め尽くす。それこそが君の欲望だ』
弟は私に力を与えた。
私に欲望を叶えるだけの力をくれた。
「怖いのはあの人にとって……私が唯一ではないこと」
最初はそうだった。でも気がついた。そうではない。
これは結局私の欲望なのだと。空っぽになったショーケース。あれこそが私にとっての喪失の証明なのだと気がつく。
私はもう何も失いたくない。
「……例えばです」
私は1つの指を立てる。
会話を中断し、解答ではなく、回答を発信する。応答を発信する。
「……たと、えばです」
世界を見通す目を持ちながら、私に見えていたものは小さな箱だった。
「……た、とえばで、す」
文字が分解していく。
思考の
私は人間の言葉を失う。
瞑世の魔法はもう発動されている。
彼が生きるこの世界が間違いであってはならない。内側から食い破るように抵抗を続ける彼を許してはならない。
「……例えばです。私の心の中に何かが残されていたとしたならば、それは立ち上る気泡なのだと思います。
立てた指を綻びへと近づける。
私は隙間から見える炎へと目をやる。その炎に向けて語りかける。
「私が愛したものは泡です。水面に立ち上り弾ける気泡です。他の人から見れば、瑣末でくだらないものに思えるかもしれません。ですが、私がそれを大事に思っていたということだけは消したくないのです。私がそれを愛していたという事実を箱の中に閉じ込めておきたいのです。彼を諦めたくないから、私は自分のわがままを貫き通したい。彼が私のことを忘れても、私が彼のことを覚えていれば良い。私にとってその泡は私を捨てても守りたいものだから。もしこれを私が諦めてしまったら、私はまたあの無為な生きている
最後に一言。
息を吸って、綻びから見える眼に向けて、愛を叫ぶ。
「……だって……私はあなたを愛していますから、アンク」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます