第149話 イザーブへ再び


 決戦の日は来た。

 シャラディ家に集合した俺たちを見て、普段とは違う地味なローブに身を包んだシュワラは、あからさまに苦い顔をした。


 やぁ久しぶり、と軽く挨拶したリタに向かってシュワラは文句を言った。


「何これ?」


 視線はバスケットと地面に引くシートを持っている俺とナツに向けられている。


「あはは、まぁ、準備はいろいろあった方が良いじゃない」


「それは構いませんが、私の馬車の中でイチャイチャとサンドウィッチを食べさせるのはやめなさい……!」


 シュワラが抗議の声を発する。

 シャラディ家が用意した馬車に乗り込み、ナツがサンドウィッチを、俺に「あーん」していたのが気にくわなかったらしい。


「えー、良いじゃん。朝ごはん食べてないし、アンクは怪我しているんだよ」


「か、身体が近過ぎです、なんて破廉恥はれんちな……! それと何ですか、この気の抜けたバスケットは! 今日はピクニックですか!?」


「えー、サンドウィッチと言えばバスケットじゃん。バスケットといえばサンドウィッチじゃん。美味しいよ、食べる?」


「いりません!」


 むすっと顔を膨らませて、シュワラは広い馬車の端っこに座った。リタが肩をすくめて、その隣に座って言った。


「めちゃくちゃ不安になってきた」


「私のセリフです。そこの2人、パンくずを落としたら殺しますからね」


「ひえぇ……」


 シャラディ家が用意した馬車は、内装も外装も普段使うものとは何もかもが違った。その豪華さは大型リムジンとタクシーほどの差があり、取り付けられたソファの柔らかさもけた違いだった。


「出発しなさい」


 シュワラが御者に合図すると、3頭の馬たちは威勢の良い鳴き声をあげて走り始めた。国道へと向かっていく。シャラディ家の豪邸ごうていは遠くなり、穏やかな平原へと移り変わっていく。


「わー、はやーい。うちのチャリよりもはやーい」


 グヒィと鳴く雄ロバはこの戦いに付いてこられないため、家に置いてきたらしい。


「ロバと馬だからな当然だろ。リタ、イザーブにはいつ頃着くんだ?」


「このスピードだったら丸1日かな。一晩越せば、イザーブに着くと思うよ」


「……イザーブ。聞くだけで憂鬱ゆうつうになる名前ですわね」


 シュワラは遠くの方に目を向けながら言った。顔を曇らせると、小さく舌打ちした。


「シュワラはイザーブに行くの久しぶり?」


 リタが声をかけると、シュワラは少しだけ視線をあげた。


「あの魔物侵攻の後で1回だけ行きましたわ。生家に残しておいたものを取りに行こうとしたのですが……当然のように入ることは出来ませんでした」


「そうだね。私たちが住んでいた地域は、特に被害がひどかったから」


 シュワラは俺とユーニアがイザーブに訪れた後で、カルカットへと商売の拠点を移した。そのお陰でシュワラは、イザーブ魔物侵攻の被害をまぬがれることが出来た。


 彼女がもともと暮らしていた資産家地区と呼ばれる豪邸が立ち並んでいた場所は、大型の魔物によって全壊。もしその場にいなかったら、シャラディ家も他の人間たちと同じようにその運命を絶たれていたことだろう。


 シュワラの隣に立つリタも昨日からずっと浮かない顔をしている。


「私たちの故郷は完全に死んだ。もう誰も脚を踏み入れるものもいない。あまりに瘴気しょうきが濃すぎて、魔物が次々に発生している。王国の衛士が結界で囲っているから、今はもう中がどうなっているのかなんて、誰にも分からない」


「瘴気が自然に晴れるのを待つしかないっていうことか……」


「そうね。でも。それも何時になるか分からない。たぶん『異端の王』はよほどイザーブが憎らしかったみたいね。ここまで徹底的に破壊された都市は後にも先にも無かった」


 栄華の都市。

 イザーブが描いていた鮮やかな繁栄は、プルシャマナを象徴するようなものだった。魔導具の発達、物流の整備、資産家たちとの登場など、文明レベルを底上げするような素晴らしい発達を見せていた。


「栄華の裏側にいつだって腐敗がある。光には必ず闇があるように、表には必ず裏がある。そういうものよ」


 その裏側で多くの不正も行われていたのも、また事実だった。噂によると人さらいや人身売買、実質的な奴隷制度もはびこっていた。


「壊されたのは自業自得だって言う話もあったね。ただ……全員が全員、そんな悪行に手を染めていた訳じゃないから」


 リタの言葉にシュワラは「善行をしていたものが少ないのも確かです」と返した。


「……わたくしにとってはどうでも良いことです。イザーブで暮らした得たもののほとんどは、わたくしにとって最悪なものばかりでしたから」


 シュワラはそう言って、脚を組み直し再び窓の外へと目を向けた。


 ……その日の夜は近くの町に宿泊し、早朝に再び出発した。

 早いに越したことはない。刻一刻と瞑世の魔法は強力になっている。


 しばらく進んでいくと、徐々に道が舗装ほそうされていないものへと変わってきた。かつては賑やかな大通りだった国道は、今では雑草に侵食されていて、見る影もなかった。


「近くなってきたわね」


 軽快に走っていた馬車がガタガタと揺れる。御者も馬を走らせるのに苦慮くりょしているらしい、走るスピードが徐々に遅くなってきている。


 ぼうぼうと生い茂る草に、馬の足が取られている。


「ここまでね、ここからは歩いて進みましょう」


 シュワラが御者に合図すると、馬車が止まった。ことが終わるまで待っていて欲しいということを御者に伝えて、俺たちは馬車を降りた。


 ナツが水を飲む馬に走り寄って、優しくその毛並みを撫でた。


「お馬さん、よく頑張ってくれたね」


「当然ですわ、厳選された名馬ですもの」


「種馬が良いんだね。今度うちにも分けて欲しいな」


「良いですが、金貨200枚と交換ですわね」


「にっ……!?」


 ナツが言葉を失う。


「暴利だ……」


「当然の対価ですわ」


「……今度、勝手に交尾させに行こうかな」


「見つけ次第、射殺するわよ」


 シュワラの言葉にナツが悲しげに顔を伏せる。


 ブヒヒンと誇らしげにいななく馬たちに別れを告げて、俺たちはイザーブへと向かう道を歩いていった。雑草だらけだった道は、徐々に高い木々が並ぶ森へと変わっていった。


 薄暗く、鬱蒼と茂った森。旧サラダ村跡地に良く似ている。瘴気の影響で木々の多くはねじ曲がり、不気味な形を描いている。


「……大英雄さん、あなたに聞きたいことがあるのだけれど」


 俺の方を振り向いて、シュワラが口を開いた。

 そういえば、シュワラにまともに声をかけらたのは初めてだ。


「アンクって呼んでくれ。なんだ?」


「ではアンクと。リタからだいたいの話を聞いたのだけれど、今のパトレシアはよみがった存在だということは本当よね?」


「あぁ、本当だ」


「そうするとパトレシアはイザーブで死んだのかしら」


「……おそらく。『死者の鍵パーターラ』がイザーブにあるとするならば、パトレシアに死に関する何かがあそこにあるのは間違いない」


「そう、教えてくれてありがとう」


 俺から目をそらしたシュワラは、独り言のように小さな声でつぶやいた。


「……本当にむかつく」


 それは何に対する怒りだったのか。

 シュワラの唇には血がにじんでいた。底知れないほど強い怒りが見える。


 彼女は歩くスピードを速めて森の中へと進んでいった。ピンク色の髪が、鬱蒼うっそうと茂った森の中では浮いて見える。


 シュワラの姿がさみしげに見えたのは後にも先にも、これが初めてだった。


 やがて、俺たちはイザーブへ入る手前に建てられた小さな関所までたどり着いた。見上げると結界が張り巡らされていて、淡い虹色に光るドームとなって俺たちの前に立ちはだかっていた。


 

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