第4話 大英雄、モテる


 パトレシアは最近、サラダ村に越してきた新しい隣人だ。

 もともとは違う町の資産家のご令嬢だった彼女は、リタという妹と一緒にこんな辺鄙へんぴな田舎までやってきた。


「ありゃ、もしかしてアンク気絶しちゃった?」


「パトレシアが重いからだよ」


「よし、ナツ。そこに座って。私に首を差し出しなさい」


 ……凄まじい殺気を感じる。

 朝から修羅場はごめんだ。パトレシアの肩を叩いて、生存を報告する。


「パトレシア、どうどう。ちょっと降りてくれないか」


「あ、ごめんごめん」


 パトレシアが起き上がって、俺に向かって手を差し出す。彼女の瞳は綺麗なブルーで、その美貌びぼうはこのサラダ村中で噂になっていた。


「ありがとう、せっかく育てた人参が全部ダメになっちゃうところだったわ」


「すまないな、もう少し早く到着していれば……。悪い、半分くらいダメになった」


「全然だよ! これならキャロットケーキにする分はあるし!」


 パトレシアは軽やかに微笑みながら言った。


「だから、落ち込まないで。リタの店に出す分もあるし、上々だよ」


「そうか、この辺りはリタの畑でもあったんだな」


「うん、店まで産地直送しているの。開墾かいこんするの大変だったけど、妹のお願いだったからね、私も張り切っちゃった」


「まったく商魂たくましいな……」


 リタ、パトレシアの姉妹と言えばその美貌もさることながら、あきないの面でもこの辺りの顔役になっている。

 見た目はお嬢様だが、良家の帝王学を学んできたおかげか頭の回転が早く、引っ越して間もないのに村を取り仕切り始めていた。


「私の魔法でやっちゃえば良かったんだけれど、畑に被害が出るのは勘弁だったから。大英雄さまにさせる仕事じゃないのは知っているんだけれど」


「良いよ、いつでも使ってくれ。どうせ暇だし」


「ふふふ、じゃあいつでも呼び出すね。はい、これお給金、ちょっと少ないかもしれないけれど……」


 パトレシアが俺の手のひらに銀貨をじゃらじゃらと置く。かなりの金額だ。これだけあれば1ヶ月は食べるのに困らない。思わず声が漏れる。


「うほ」


「何、今の鳴き声」


「なんでもない。……じゃあ俺はこれで」


 そそくさと帰ろうとすると、逃がさないというふうにパトリシアが俺の腕をつかんで、胸の谷間で挟んできた。ぐいっと引き寄せると、上目遣いで俺を見て彼女は言った。


「良かったら私の家でシチューでもどう? 作りすぎちゃって食べきれないの」


 何かとは言わないが、ぷにぷにと柔らかい感触に理性がもっていかれそうになる。

 

「あー……」


 その視線から目をらして宙に動かしていると、横で聞いていたナツが反対から俺に抱きついてきた。

 

「パトレシア、抜け駆けはダメだよ! アンクは私の家でお茶をすることになっているんだから」


「そんな約束したか……?」


「今した」


 むちゃくちゃだ。

 ナツはパトレシアから俺の腕を引き抜こうと、思い切り力を入れている。


「あら、約束していないみたいよ」


「そう言うパトレシアも別に約束していないでしょ」


「むぐぐぐ」


「ぎぎぎぎ」


 威嚇いかくしあう2人に引っ張られて腕が痛い。むちゃくちゃ痛い。このままだと真っ二つに引きちぎられるかと思うくらい痛い。


 この場を丸く収めるには……この手しかない。


「わ、……わるい、レイナにすぐ帰るって言ってあるから、か、……帰らなきゃ」


 どちらかを取る訳にはいかない。

 後に禍根かこんを残すよりは、もう1つのカードを切るのが最善手だ。

 

 そう言うと、2人とも力を緩めてガックリとうなだれた。


「先に約束があるんじゃ仕方ないわ……」


「あーあー、アンクの身体が3つあればなぁ。ねぇ分裂とか出来ないの?」


「無茶苦茶言うな。プラナリアか、俺は」


「ざんねん。じゃあ、また今度ね。絶対だよ」


「いつでも呼び出しに行くからね」


 ギラギラと目を光らせたパトレシアとナツに別れを告げる。遊びたいのはやまやまだったが、ちゃんと2人が別々な時にしよう。


「さー、早く帰るか」


 共同畑から家までの道を1人で帰っていく。 


 大英雄と呼ばれるようになって何年か経ったが、女性からアプローチをかけられることは珍しいことではなくなった。犬も歩けば棒に当たるというか、町を歩けば老若男女問わずにラブコールを受ける。


 『ただ1人を除いては』


 森を抜けると俺の家が見えてきた。

 石の煙突からモクモクと煙を吐き出している。わざわざ朝からパンを焼いているようだ。帰ってきたかいがあった。キッチンの窓からパンを焼く良い匂いが香ってくる。


「ただいまー」


 ドアを開けると、メイド服に着替えたレイナが振り向いた。後ろ手に結んだ真っ白な長い髪が揺れた。どうやらオーブンの前で、ジッとパンの様子を観察していたようだった。


 レイナは素早い動作で立ち上がり、俺の方へと歩いてきた。


「お召し物を」


「ありがとう」


 汚れたコートをレイナに預けようとした時に、俺の手が彼女の指と触れそうになった。


 ほんの数ミリ、触れそうになったところでレイナの顔が凍りついたのが分かった。身体を震え上がらせて、俺の手からコートをひったくると、すさまじい速さで後ろにんだ。


「触らないでください」


 怒ったような口調で言い放つと、レイナは慌てた様子で戻っていた。俺のことを見もせずに、再びオーブンの前に座りパンの様子を観察し始めた。


「レイナ……?」


「近づかないでください」


 ……メイドのレイナの様子が最近どうもおかしい。

 俺の家で住み込みで働いてくれるレイナは、どうも最近、俺との接触を避けているような気がする。


 なぜだか分からないが、俺はレイナに嫌われている。

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