第3話 大英雄、魔物退治をする


 魔物のうなり声が、ピタリとやんだ。

 威嚇いかくするのをやめた魔物は、覚悟を決めて戦闘態勢に入っていた。

 

 タソガレグマが飛びかかってくる。

 勢いよく跳躍ちょうやくした敵の巨大な身体が、凄まじいスピードで迫る。後ろ脚の強靭きょうじんな脚力を活かして、熊の魔物はバネのように跳んだ。

 

 鋭い牙が俺の喉元に迫る。急所きゅうしょを狙って、鋭い牙が襲いかかってきた。


「アンク、危ない!」


 後ろにいたナツが悲鳴をあげた。


「……固定フィックス


 ギリギリまで引きつけたところで、手のひらにこめた魔力を凝縮ぎょうしゅくする。

 作り出したイメージの箱で、目の前の怪物をしばる。固定魔法と名付けた時間停止能力を、タソガレグマに腰部に行使する。


「グ…………?」

 

 飛びかかった熊は空中で止まった。ポカンと空いた口から、だらしなくヨダレが垂れている。

 その口も縛る。背中も腹も脚も牙も、魔力を張り巡らせて固定する。


 あっという間に、口を開けたクマが剥製はくせいのように固まって動かなくなった。鋭い牙は俺の首元ギリギリのところで静止していた。


 見ていた村人たちがポカンとする中で、ナツが歓声をあげた。


「もう終わり? こんなに大きいのに」


「大きさは関係ないよ。身体の支点となる部分を止めれば良いだけだからな」


 停止した状態のクマの腰を押すと、バランスが崩れてゴトリと地面に横たわった。怒りでゆがんだ表情のまま、魔物は石像のように固まっていた。


 これで無事に成功。

 カチコチに固まったクマをポンと手で叩いて、村民たちに合図をする。


「5分経てば元に戻る。それまでにおりに放り込んでくれ」


 我に返った村人たちが慌てて、檻の中にクマを運び始める。ロープで厳重に縛った後、用意していた鉄製の檻にカチコチに固まったクマを力を合わせて運び始めた。


「えいほー、えいほー!」


「そっち、押すんじゃない!」


「もっと右だー! よーし中に入れろー!」


 巨大な熊をなんとか檻に入れるまで見届けて、俺は大きな木の下に腰を下ろした。


「あー……だるい。朝から魔法なんか使うもんじゃないな」


 10代の頃とは違い、20代になってくるとどうしても朝に弱い。生体エネルギーの役割も果たしている魔力は、消費すると疲労がたまる。


 木陰で休んでいる俺の近くにナツが寄ってきて、ペコリと頭を下げた。


「どうもありがとう! ごめんね、朝早くから」


「畑に被害が出なくて何よりだ」


 近くの村人からもらったのか、コーヒーの入った木製のマグカップをナツは俺に差し出した。


「いやぁ、久しぶりに見たよ。アンクの固定魔法。やっぱり便利だね」


「しばらく使っていないと、腕もにぶるな」


「疲れてる? おいで、私のお膝を貸してあげよう」


「やめろよ、恥ずかしい」


「照れ屋さんだなぁ、もう」


 コーヒーを一口飲んで、木にもたれかかる。熊を退治し終わった後の畑は、平穏そのものだった。おびえて隠れていた鳥たちも姿を見せ始めている。


「私の魔法だとどうしても辺りに被害が出ちゃうからねー。畑も森もせっかく綺麗になったし。だから悪いけれど、良いように使っちゃった」


「……仕方がない。俺の仕事だからな」


 対象物の動きを魔力で縛り動きを拘束する。

 相手を殺すことがない魔法は、こういう野良仕事には非常に重宝されている。


「とはいえ眠くなってきた……」


 早起きのツケが来たのか、一気に眠気がやってきた。カップを持ちながらうとうとしていると、ナツが自分の肩を指差した。


「ほら、もたれて良いよ」


「……お言葉に甘えて」


「どうぞどうぞ」


 ナツの言葉に甘えて肩に寄りかかる。俺が頭を乗せると、彼女は「ふふ」と嬉しそうに笑った。


 ナツの肩を枕にしてウトウトしているうちに、俺がかけた固定魔法が解けた。

 いつの間にか檻の中に入っていることに呆然とした魔物は、怒り狂ったようなうなり声をあげた。


「グオオオオオオ!」


「おお、動き始めたぞ!」


「すごい大きいタソガレグマだなぁ」

 

 魔法が解けたクマが檻の中で暴れ始める。

 目を真っ赤にしたクマは俺を睨みつけながら、何度もおりに牙を立てていた。丈夫な鉄の檻がギシギシと振動で揺れている。さっきの攻撃を喰らっていたら、ひとたまりも無かっただろう。


 あっさりと終わって良かった。

 立ち上がり、り固まった身体を伸ばす。


「よし、じゃあそろそろ帰るよ」


「え、もう帰るの。うちに寄って行きなよ」


 ナツの誘いに首を横に振って断る。


 日の上り方からすると、6時かそこらだろう。

 レイナの朝ごはんがもう少しで完成するころだ。それまでには帰ると言ってあるから、あまり待たせてしまうと悪い。


「あ、いたいた!」


 早々に帰ろうとすると、畑の向こう側から鮮やかな金髪の女の子が駆け寄ってきた。

 花柄のロングスカートに、フリルのついたブラウス。もんぺ姿の農民たちとは明らかに浮いた格好だった。


「アンクーーー! まだ帰らないでー!」


 タソガレグマか、それ以上のスピードで彼女は俺に向かってダイブしてきた。


 受け止めようと手を伸ばす。

 落下の衝突点はちょうど彼女の胸と俺の顔がぶつかる位置だった。


「むぎゅう」


 服の上からでも分かる圧倒的な柔らかさ。おろしたての枕だって、こんな没入感はない。言葉では言い尽くせ無いマシュマロ感に、思わず足元からバランスが崩れていく。


 彼女の身体を抱きかかえたまま、俺は地面に激しく打ち付けられた。


「あはは、またやってしまったわ……」


 長い金髪についた砂を払って、パトレシアという名前のもう1人の隣人は、俺に馬乗りになりながら、照れくさそうに笑っていた。

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