第111話 死


 レイナがそんな人間じゃないことなんて分かっていた。

 たとえ記憶を失っても、なんの理由もなく、弟を殺したり、俺の記憶を改ざんしたり、嘘をつくような人間じゃないことなんて、とっくに知っていた。


 ただ理由を知りたかった。

 彼女が何に悩んでいて、何と戦っていて、何を隠しているのか。俺は知りたかっただけなんだ。


「そう……だったのか」


 その理由がようやく分かったのに、俺の身体は崩れて、意識も虚無きょむへと飲み込まれようとしている。足から崩れ落ちて、もうまともに立つことすら出来なくなっていた。


「サティ、おまえはいつから知っていたんだ」


 視線をあげることすら出来ずに、目の前にいるサティに問いかける。俺を見下ろしてるであろう、サティの影が視界に映った。


「怪しいと思っていたのは北の果てで、『異端の王』の死骸を確認した時だった。まるで誰かに前もって殺されていたみたいに、魔力の残滓ざんしすらなかった。『世界の目ビジョン』も戻っていないことを考えると、誰かがその力を引き継いだことは間違いなかった。もう1人『異端の王』がいたのだと、そう思った」


「だから……俺を探しにきたのか」


「最初は、その事実を伝えるつもりだった。もう1人『異端の王』がいて、それを殺して欲しいと素直に依頼を伝えるはずだった。だが……彼女を見て考えが変わった」


 サティはしゃがみこんで、俺の顔を見た。こんな死に際になって、彼女の青い髪は透き通るように美しくて、神々しいとすら思えた。


「君の記憶はパッチワークでつぎはぎしたみたいに穴だらけで、サラダ村の周辺は奇妙な瘴気しょうきが立ち込めている。魔物たちが誰かの心の機微きびに反応している。全ての材料は君の近くに新たな『異端の王』がいることを示していた」


「そして、まずレイナを疑った……」


「確証はなかった。けれど確信はしていた。案の定、旧イザーブからこの孤児院が見つかった。いくつかの経由地を挟んでカモフラージュはしていたが、最終的な目的地はいずれもここだった」


 何か調べたいことがある、そう言ってサティが街を離れた時。あの時点でサティはもうレイナが『異端の王』だと決定していたということになる。


 サティは俺の額を優しくコツンと叩いた。指先から黄金色の魔力が輝くと、全身を走っていた痛みがなくなった。


「……これが本当に最後のチャンスだ」


 サティは俺のことを見もせずに、ニックの横でぐったりと倒れているボロボロのレイナを指差した。


「あの女を殺せ。そうすれば、君の命だけは助けてやっても良い」


 有無を言わせない口調だった。かつて聖堂で俺にまたがった時と同じ、人間1人を殺すのを何とも思っていない逸脱いつだつ者の言葉だった。


「君は優秀な人間だ。正義感が強くて、優しい。英雄として仕立て上げるには、最高の魂だ。そんな君を手ずから葬らないといけないなんて、私だって悲しい。君がやってくれたことは永遠に語り継がれるべき英雄譚えいゆうたんだ」


 その気持ちは本当に心からの言葉なんだろう。サティは口調を一切変えることなく、言った。


「だが、言うことを聞かない道具をいつまでも手元に置いておくほど、私は甘くない」


「…………見逃してはくれないのか」


「君に残された選択肢は、あの女を殺して自分の有用性を証明するか、ここであの女と一緒に心中するかだ」


 力が出ない。

 まるで心臓を鷲掴わしづかみにされているかのように、胸が冷たく恐怖を感じている。


 死は決して、遠いところにはいない。


 転生した時に味わった『死』を思い出す。ブラックアウトした時間と、その一瞬の空白の恐ろしさが蘇る。


 ……怖い。

 歯がガチガチと小刻みに震えて、服もなく雪山に放り出されたように寒い。身体の芯まで冷え切ってしまったみたいだ。


「さぁ、どうする」


 サティの言葉で脚の感覚が戻っていく。魔力は出ない。立ち上がるか、這いつくばるかだけが俺が唯一出来る選択だった。


「レイナ……」


 手が届かない遠くで、血を流している彼女を見る。『不死アムリタ』の異端による回復は、緩慢かんまんに行われていて、まだ起き上がることすら辛そうだった。だが、脚を震わせて、レイナは俺のところへ向かおうともがいていた。


 パクパクと口を動かして、レイナは何かを言っていた。


「あ、んくさま……」


 俺の身体はほとんどが水になって溶け出してしまっていた。水没した地下祭壇の水と交わって、すでに流れていってしまった。

 

 唯一、自由な脚と崩れかかった手を使ってなんとか立ち上がる。

 ちゃぷちゃぷと足元の水を弾きながら、レイナの元まで歩いていく。俺の背後でサティがそれを、黙って見ているのが分かった。


「……綺麗だな」


 サティとレイナの戦闘によって、天井にぽっかりと空いた大穴。そこからは絵の具で塗ったような美しい青空が見えて、太陽の光が差し込んでいた。光は俺の進む道を照らしているかのように、水没した地面に反射していた。


 月並みかもしれないが、最期に見るにしては悪くない光景だ。レイナの近くまでたどり着いたところで、俺はそのままレイナの身体の横に崩れ落ちた。


「やっぱり殺せない」


 これが結論だ。

 俺には無理だ。絶対に無理だ。


 レイナは俺を見て、大粒の涙をこぼした。


「アンクさま……ごめんなさい、わたし、あなたにずっと嘘をついていました。あなたの記憶を改ざんしたのは私です。今までずっと……あなたを裏切ってきたのです」


「謝らなくて良い。死ぬ前に理由を知ることが出来て良かった」


 レイナの頬から涙がポロポロとこぼれていく。子どものように大粒のような涙が、溢れていく。「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も口にしながら、レイナは声をしゃくりあげて泣いた。


 彼女の顔を引き寄せて、泣きじゃくるレイナにキスをする。彼女の唇は流れた血とこぼれ落ちた涙で、暖かくて心地が良かった。


「残った魔力を全部やる。足りるか分からないけれど、これで少しでも長く生きてくれ」


「…………あ」


 この選択が正しかったのは分からないけれど、少なくとも後悔はない。全体を走る痛みも、水になっていく身体も気にならない。その後に訪れる死だってもう恐ろしくはなかった。


 ひときわ強い力がまたたく。魔力の揺らぎから、サティが放った鉾だと知る。俺たちにとどめをさすために放たれた鉾は、容赦なく俺たちの心臓を狙っていた。




 ……あぁ、本当にこれで終わりだ。

 俺はすっと目を閉じて、せまり行く死を待った。











「もう1つ、嘘があるのです」


 俺から唇を放して、レイナは言った。


「嘘……?」


 彼女は小さくうなずいた。


「はい。もう1つアンクさまに言っていなかったことがあります」


 光のほこが着弾するまでの間、その1秒が何倍にも膨らんだ時間の中で、彼女は祈るようにその言葉を口にした。


「『死者の檻パーターラ』。覚悟を決めました……力を……貸してください」


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