【私の罪(No.12.2)】
弟が言った通り、次の日は吹雪で完全に行く手が閉ざされてしまった。
「今日はさすがに無理そうだなぁ。どのみち、休もうとは思っていたから助かるといえば助かるけれど」
外の天気を見ながら、アンクはため息をついた。朝になるまで深い眠りについていた彼は、幾分顔色が良くなっていた。
「この調子なら魔物も襲ってこれないだろ。天然の結界みたいなものだ。今日はここでゆっくりしようぜ。まだ食料ってあったっけ?」
「……はい、スープの粉末と魚の缶。パンも少し残っています」
「水なら雪を溶かせば手に入るから問題ないな。よし、飯にしようか」
缶詰を鍋代わりにして、お湯を沸かす。そこにアンクが仕込んでおいた粉末を使って、スープを作る。
「故郷の味みたいにはいかないけれどな。豆を使った発酵食品を作ってみたんだ。塩分が豊富で栄養価が高い。
「あ、はい、いただきます」
「まだ出来損ないだから、まずくても苦情は受け付けないぞ」
アンクは笑いながら、おわんにスープと魚を入れた。ぐつぐつと煮えたスープからは、食欲をそそる良い匂いがした。
飲んでみると、口の中に豆の風味が広がって、身体中にスープの暖かさが染み渡るようだった。
冷え切った身体が、塩分と水分を喜んで摂取する。気のせいか栄養が行き渡ったことを肌で感じることが出来た。
「とても……おいしいです」
「な。やっぱりあったかい飯っていうのは、人間にとって大事なんだなぁ」
しみじみと言いながら、アンクは自分の分を食べた。「まだ少し味がエグいかな」と言いながら、彼もあっという間に完食した。
火を囲いながら、やることもなくなった私たちは、洞窟の壁にもたれながら話をした。私はいつまでも昨日のことを話せずにいた。
様子がおかしいのを察したのだろう。アンクは怪訝そうな顔で私に質問した。
「どうした調子悪いのか?」
「いや、そういうわけでは……」
「そうか……前から気になっていたんだけど、そもそもレイナはどうして、俺の旅に付いてきてくれるんだ?」
「どうして、と言われましてもアンクさまに誘われたからです。賞金稼ぎだった私を雇ってくださったからでは」
「……あれ、そういえば、給料払ってったっけ?」
「アンクさまと出会って以来、払われていませんね」
「oh……」
「完全に
「お金はどうでも良いのです。困ってはいませんし。髪留めもらいましたから」
以前、彼にもらった髪留めを見せる。
そうすると彼は照れ臭そうに笑った。
「それもボロくなったな。今度、新しいのを買おう」
「いえ、これで十分です」
「いや、せっかくだからとびっきり良い奴を。山から降りたら、探しに行こう」
「…………楽しみしています」
その日は本当に来るのだろうか。
今の私には到底、信じることは出来ない。
パチパチと燃え上がる焚き火を見ながら、彼は再び不思議そうに言った。
「なぁ……本当にどうしてここまで付いてきてくれたんだ。こんな雪山の中まで、危険を
「それは……」
いつからだろう。
彼が問うた疑問を、自分自身で考えなくなったのは。旅の意味を考えることがなくなったのは。
この雪山に入った時だろうか。レイナと名付けられた時だろうか。それとももっとずっと前からだろうか。いつから理由なんてどうでも良くなってしまっていた。
「一緒にいたいからでしょうか。アンクさまと一緒にいられることがとても幸福で、私はそんなことをすっかり忘れてしまいました」
「そっか……」
「理由というには、単純ですが、ただアンクさまと共に在りたいからでしょうか。どんな時でも、どんな場合でも側にいたいというのが私のささやかな願いです」
「わ、分かった。やめてくれ。それ以上は言うな」
アンクは慌てた様子で言って、困ったような視線を私に向けた。
「それ以上はさすがに……! 真顔で言われると本当に恥ずかしい。俺はそんなに立派な人間じゃない」
「アンクさまは素敵な人間ですよ。こうやって話していることも、私にとっては幸せで仕方がないのです」
「だから、そういうの……はぁ……」
ため息をついて洞窟の壁に視線を向けると、何も言わずに彼は私の側へと腰掛けた。
「アンクさま」
「……なに?」
「私からも質問をしてよろしいでしょうか」
「もちろん」
ようやく視線をあげて、アンクは私のことを見た。顔を赤く照らされて、瞳には焚き火の炎が反射していた。
「私を殺して、世界が救われるとしたら、あなたはどうしますか? アンクさまは私を殺してくれますか?」
「……なに、それはどういう意味?」
「そのままの意味です」
「殺さない」
「……ナイフはその手に握られています。いつでも刺すことが出来ます。簡単です。1突き。少しの力を加えるだけです。でも、あなたが私を殺さなければ、大勢の人が死にます」
「殺さない、絶対に」
「私を殺さなければ、アンクさまも死にます」
「君を殺すくらいなら、俺は死ぬ」
「これは冗談ではないのです。本気で答えてください」
「知ってる。君が冗談でこんな話をしないことを知っている。おれは本気だ」
アンクは深く呼吸をした後で、再び同じ言葉を言った。
「君を殺すくらいなら、俺が死ぬ。俺にとって、君より大事なものなんて、この世界にもう存在しないんだ」
その言葉が恐ろしくて仕方が無かった。
「これからも一緒にいよう、レイナ」
言って欲しかった言葉だったが、聞きたく無かった言葉だった。絶望の底に叩き落されたかのようだったが、同時に跳び上がるほどに嬉しかった。
あぁ、私はとても嫌な女だ。下劣で腐った女だ。今、この場で、死ぬことが出来ればどれほど楽だったろう。
「レイナ……? どうして……泣いているんだ?」
「あ……」
こぼれ落ちる涙が止まらない。身体が壊れてしまったみたいに、涙がぼたぼたと溢れていく。
私も同じだと叫びたかった。
これからも一緒にいたいです、と言いたかった。
悲しいのかも嬉しいのかも分からなかった。自分の気持ちをまとめることが出来なかった。
「レイナ」
泣きじゃくる私を、アンクは優しく抱きしめてくれた。パチパチと火が燃える音より大きく、彼の心臓の音が聞こえた。
「大丈夫だ。俺は絶対に君を殺したりなんかしないし、死なせたりなんかしない」
そうじゃない。
私はあなたのためなら、死んでも良い。命なんて惜しくはない。言葉では言い尽くせないものを、あなたは与えてくれたのだから。
「もっと、強く、抱きしめていただけますか」
「……あぁ」
命なんて惜しくはない。
だとしたら、罪を重ねることも惜しくはない。彼と一緒にいるためなら、私は何だってしよう。
嘘もつこう。彼を騙そう。記憶だって改ざんして、世界だって裏切ろう。私と彼が生きる世界のために、自分の欲望のために、どんな悪行だって行おう。
————本当に欲しいものなんて、この世界に無かったはずなのに。
「…………ぁ」
彼に抱かれながら、私は子供の頃、おもちゃ屋で見かけた小さなオルゴールと、それを囲むショーケースのことを思い出していた。
「ごめん……なさい」
私は、この欲望と引き換えなら、どんな罪だって背負ってやる。
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