第93話 地下祭壇へ
こみあげてくる吐き気を抑えながら、意識を取り戻す。
ここで起こってきたことをレイナを通して体験して、俺は自分が正気でいられていることが信じられなかった。
「気持ち……悪い」
あんなに長い間、レイナはこんなところにいたのか。
光も刺さない。笑いかけてくれる人も、まともに話してくれる人もいない。硬い布団と、泥のような食事。俺だったらとっくに気が狂っている。
「ちくしょう……」
怒りの矛先がもう無いのを知っているからこそ、やりきれない。
「アンク、何を見たの?」
心配そうに俺のことを見るナツとパトレシアに、さっきの映像を説明した。
「レイナは……」
事実をありのままに話す。
想像以上の
「まるで地獄だね……」
「レイナちゃんたちは、無事に逃げられたのかな……」
彼女たちはうつむいて、レイナが暮らしていた痕跡を見つめた。爪で付けられたと見られる幾つかのメモは、カビに侵食されてほとんど見えなくなってしまっていた。
「おい……あんた、決起集会って言ったか」
ニックが青ざめた顔で、俺のことを見ていた。彼の声は怯えたように震えていた。
「覚えているのか、その日のこと」
「覚えているも何も、忘れられる訳ねぇよ。その日は、邪神教が滅んだ日だ」
「この日だったのか……
俺の言葉にニックは首を横に振った。
「それはデマだ。全員殺されたんだよ。地下祭壇で俺の仲間は全員死んだ。教祖も幹部連中も全員死んだ」
顔に手を当てたニックは、ぶるぶると震えながらそのまま地面に
「あの日のことは良く覚えている。約束の日に向けての決起集会だった。『異端の王』の誕生が近いから、各支部の信徒たちも教祖のもとへと集まっていた」
レイナの情報通り、決起集会には全ての信徒たちが集まっていた。ラサラもバイシェも地下祭壇で待機していた。
「それが、いきなり襲撃を受けたんだ」
「地下祭壇に襲撃? いったいどこから?」
「分からねぇ。俺はいつも通り、聖堂の門で見張りをしていた。そしたら地下の入り口が開いて、中から叫び声が聞こえた。
ぽっかりと胸に空いた大きな穴。そこにはあるべき心臓がなく、からっぽの死体があったと、ニックは言った。
「人間の仕業とは思えねぇ。地下の深いところでは、まだ悲鳴が続いていて、俺は恐ろしくなって透明になって隠れた。壁をつたりながら、息を殺して地下祭壇までたどり着いた」
「……そこで君は何を見た」
言葉を詰まらせ、目を見開いたニックにサティが問いかけた。彼は壊れたテレビのように、何度も低い声を漏らしながら、ポツリとつぶやいた。
「折り重なった死体、死体、死体、死体だ。分け隔てなく皆、死んでいた。教祖は聖壇の中央で事切れていた。他の奴らと同じで心臓を抜かれていた。動いているのは、1人だけ」
「誰がいた」
「白い、悪魔だ」
「白い……悪魔」
「真っ白な髪をなびかせた子どもだ。大きな声で笑っていた。楽しくて仕方がないとでも言うように笑っていた。口からは血をポタポタ垂らしていた。あいつがみんなの心臓を食っていたんだ」
長い白髪の子どもは死体の山の上で、信徒たちの心臓を
「思わず引き返そうとした。俺も殺されると思った。透明化したまま逃げようと、階段に足をかけた時だった。白い子どもが俺を見たことに気がついた。目まであった。表情をなくした底なし沼のような目だ。子どもじゃねぇ、人間でもねぇ、人をゴミのように殺す悪魔の瞳だった」
「お前は……それからどうしたんだ。逃げられたのか」
「気を失った。睨みつけられただけで、足がぶるっちまって血の海に落っこちた。起きたら白い悪魔はいなくなって、心臓のない死体だけが残されていた。起きたのに、まだ悪夢みたいな光景だったよ」
吐き気をおさえるように口に手をあてたニックは、そのままうずくまった。彼の荒い息遣いが、何度も独房の中に反響していた。
「白い髪……って、それ」
不安そうにパトレシアは言った。彼女は言葉を
俺自身も思ったことは同じだったからだ。
「分かってる。白い髪の子どもなんて、俺の知っている限りではレイナか弟のどちらかだ。邪神教の壊滅と彼女たちが関わっていることは多分、間違いないだろう。なにせ『異端の王』はレイナの弟だったんだ」
「それじゃあ、レイナちゃんの弟が……ここの人たちを殺したって言いたいの?」
「そう考えた時に……全ての
邪神教がレイナの弟を『異端の王』として完成させた。そして決起集会で『異端の王』が信徒を皆殺しにしたというのが想像できるストーリーだ。
「……その彼を俺が殺した。しかもレイナと一緒に殺しに行ったのか。……くそ」
「なんだ、アンク、何を後悔する必要がある?」
入り口の壁に身体を寄りかからせながら、サティが俺に声をかけた。首を傾げて、見定めるような目つきで俺のことを見ていた。
「後悔しない方がおかしいだろ」
「レイナの弟は大量殺人犯だ。狂気に染まった
「だが……レイナの弟だって被害者だ。こんなところに押し込められて、気が狂わないはずがない」
「元をたどれば、邪神教の彼らだって復讐が目的だ。彼らだって被害者だ。結論から言えば、復讐がより大きな復讐で喰われた、それだけの話だ。どちらも悪人で、どちらも滅ぶべき存在だ」
サティは俺を見ながら言った。
「君はその無駄な
サティの言葉に、カッと頭に血がのぼる。
俺が言いたいのはそういうことじゃない。ここで沢山の人が死んで、俺も彼を殺してしまった。
「誇りに思えるはずがない。俺は人を殺したんだ」
「人殺しを殺したら、英雄だよ。大量殺人鬼を殺したら、それは大英雄だ」
「その減らず口をやめないと、お前でもただじゃ置かない……!」
「へー、私に逆らうんだ。君の魂、クーリングオフしちゃおうかな」
「……上等だ」
「ちょっとやめなって2人とも! 喧嘩している場合じゃないでしょ!」
ナツが俺たちの間に入って叫ぶ。手早く魔法を発動させると、足元の地面を動かして、俺たちの口を塞ぐ粘土を
バシリとガムが弾けたように、灰色の粘土が俺の口元に張り付いた。
「ふごふごふご」
「もう、こんな場所で喧嘩しちゃダメでしょ。サティちゃんもちゃっかり
「……悪かった」
粘土の破片をを手で払って、サティはため息をついた。
「ただ、君がしたことは悪いことじゃない。『異端の王』は間違っているが、強力な存在だ。情けなんかかけていたら、今頃君の首は北の大地に転がっていただろうよ。殺されるよりは、殺す方が良かっただろ」
「そんな単純には割り切れない」
「今は割り切るべき時だよ。進まなければ、何も得ることはできない。力で押さえつけなければ止まらない出来事なんて、この世界には腐るほど存在する。それとも君は……ずっとこのバカみたいな牢獄にいたいのか」
諭すように言ったサティは、器用に魔法を使って粘土を元の壁に戻した。
「さぁ、次の記憶のピースを拾いに行こう。最後は地下祭壇だろうね。ニック、案内を頼むよ」
「あ……あぁ」
疲れ切った様子のニックに声をかけて、サティは牢獄から出て行った。かつかつという2人の足音が、やけに虚しく響いた。
追いかけようと足を向けた俺に、パトレシアが声をかけてきた。
「ねぇ、気になっていたんだけど、サティさんって何者? どう見ても普通のシスターじゃないでしょ」
「特別なんだよ、あいつは。本山からの使者だし、間違いなくこの中の誰よりも強い」
「ふーん、聖堂の本山からねー。魔力の底が知れない感じがするのは、そのせいか……」
感心したようにパトレシアは言って、励ますように俺の肩を叩いた。
「まー、なんか、この辺りの事情にも詳しいようだし、とりあえずサティちゃんの言う通りに進んで見れば良いんじゃないの。私たちの目的はレイナちゃんの救出だし、あの娘がいれば、どんなのが出てきても大丈夫でしょ」
「大丈夫……か、そうだよな」
今回、俺がここに来た目的はレイナと会うことだ。地下祭壇にそのヒントがあるのだとしたら、行く以外の選択肢は今の俺にはない。
湧き上がる負の感情を、必死に押し殺して、俺は地下祭壇へと続く階段を進んでいった。
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