③ 失われた記憶を求めて

第72話 目覚め


 記憶の底から、徐々に自分の身体へと意識が戻ってくる。いつもの自分の手足があるのを感じたあとで、激しい頭痛が始まった。


「痛っっ……!」


 目覚めは今までより格段にひどい。身体がなまりにでもなってしまったように重くきしんでいる。身体は言うことを聞いてくれない。

 

 ここはいったいどこだ? 

 身体はベッド上にあって、石鹸の清潔な匂いがしていた。真っ白な石で出来た天井はどう見ても自分の家では無いし、見覚えがない。

 辺りから人の声はしない。雰囲気からすると、サティと最初に出会った神の座にも似ているような気がするが、それよりも人工的に見える。


 ベッドのすぐ横にある窓に目を向ける。もう祭りの夜は終わっていた。

 広い窓からは朝日が差し込んでいる。かなり長い時間気を失ってしまったようだった。


「誰か、いないのか」


 レイナ。

 もう彼女の姿は影も形もない。痕跡こんせきすらない。意識を失うまで一緒にいたはずなのに、視界のどこにもレイナはいなかった。


「ち、くしょう……」


 繋いでいた手はとっくに離れて、その行方も分からない。なんの前ぶれもなく終わりを告げた幸福な時間は、ひどく遠い昔のことように思えた。


「あら、お目覚め?」


 やけに通る女の声が、入り口から聞こえた。つかつかとヒールの音を響かせて歩いてくる。


 頭痛をこらえて身体を起こすと、そこには鮮やかなピンクの長い髪をおろした若い女がいた。ベッドのそばに椅子に座って、俺を見下ろすと、彼女は口を開いた。


「随分と目を覚まさないから、死んでしまったかと思ったわ。あなた何をやっていたの?」


「…………誰?」


「…………」


 言葉を失った女は、口を開けて固まった。

しばらくその表情のまま俺を見ていたが、ハッと我に帰ると怒った調子で切り返した。


「シュワラ・シャラディよ! ほら、オークションで会ったでしょ!」


 オークション。その単語を聞いてようやく記憶が蘇ってくる。


「あぁ、君か。ツインテールじゃないから分からなかった」


「あなた、人をどこで見分けてるの!? 髪型なんて変えるに決まっているでしょうが!」


 頬を膨らませたシュワラはバンと激しくテーブルを叩いて、叫んだ。「私のことを忘れるなんて屈辱くつじょくだわ」とわめいていた。俺が覚えていなかったことが彼女の逆鱗げきりんに触れたみたいだ。


「悪いな、苦手なんだ。人の名前覚えるの」


「人に忘れられたのは初めてだわ……。この私が誰かに忘れられるだなんて。嫌いなことトップ3の1つよ……この私が影が薄い……ですって」

 

「別にそこまでは言っていない」


 最近忙しかったというのもある。パトレシアとシュワラがオークションでやりあったことなんて、ほとんど忘却の彼方かなただ。


「どこだここは? 君の家か?」


「家じゃないわよ。シャラディ家で新設される病院。こんな殺風景な部屋に私が住む訳ないでしょ」


 俺の言葉にシュワラはわざとらしくため息をついた。


「あなたが倒れていたところを見つけたのよ。広場でのダンスイベントは毎年、シャラディ家がスポンサーなの。もう、あなたのせいで大騒ぎだったんだから。ステージの中央でいきなり男が倒れたって」


「倒れていた……」


「そうよ、シャラディ病院の入院患者第1号。光栄に思いなさい」


 あの夜の光景が徐々に詳細に脳裏に蘇ってくる。

 突然訪れた『異端の王』と名乗る青年と、その後のやり取りを思い出す。『さよなら』と言葉を放ったきり、姿を消した彼女は……、


「レイナは!? 女がもう1人いなかったか!?」


「な、何よ急に大声を出して。レイナ? ステージにはあなた1人しかいなかったわよ」


「……そんな」


 倒れていたのは俺1人。そうなると、レイナはやはり彼と共に何処かに去って行ってしまった。


 レイナの弟。

 以前の映像で見た優し気な少年とは到底思えないが、やはり面影はあった。彼は自分のことを『異端の王』だと名乗った。


 ……『異端の王』は俺がこの手で殺したはずだ。どうして彼は生きている? そして、レイナはどうして姿を消したのか。


「あなた、連れがいたのね」


 黙り込む俺を心配してくれたのか、シュワラは優しい口調で声をかけてきた。


「そうね。1人であんなところで踊るはずがないわね。……けれど残念ながら、あの騒ぎの中心にいたのは、あなただけだったわ。私はそういう報告しか受けていない」


「そうか……ありがとう」


「あ、そういえば、これ」


 シュワラは近くのテーブルの上においてあった紙袋の中から、小さな飾り物を取り出した。


 俺がレイナにあげた髪留めだ。

 飾り付けの小さなオレンジの花はまだ綺麗なままで、窓から差し込む明かりを反射して輝いていた。


「これ……どうして?」


「あなたが持っていたのよ。大切そうに握りしめていて、治療の邪魔だったから回収したわ」


 はい、とシュワラは俺に手渡した。持ち主を失った髪留めは、俺の手の中で所在無げに、寂しそうに見えた。髪を結ぶ紐はだらりと垂れ下がっている。


「……いったいどこにいったんだ」


「事件、なら自治軍に報告するしかないわね。今の私はそれしか言えない。とりあえず、まだ休んでいた方が良い。外傷は無いけれど、ものすごい貧血だったと医者が言っていたわ」


「そうか、ありがとうな」


「それじゃあ私は忙しいので、これで」


 シュワラは椅子から立ち上がり、病室の出口へと向かった。入り口の扉まで来たところで、彼女は何かを思い出したようにクルリと俺の方を振り向いた。


「そういえば……これは貸しだからね」


「貸し?」


「入院費。本来は一晩、銀貨10枚取るけれど、無料にしてあげるわ。その代わりパトレシアに言っておいて」


 最初に俺たちと会った時と同じように、挑戦的な視線を向けてシュワラは言葉を続けた。


「……すぐに見返してやるから、覚えていらっしゃいと」


「おう……分かった」


「ではご機嫌よう。何か頼みごとがあったら、看護師に言いなさい。ベッドの側にあるボタンを押せば婦長室に繋がるから」


 それだけ言うと、シュワラは部屋から去っていった。

 彼女の言う通り、ベッドの柵にくくりつけられた紐には魔導石とボタンが付いていてた。仕組みとしては空魔法の電気信号を使った簡易的なものだろうが、魔導石のコストが高そうだ。


「まぁ、なんにせよ。助かった。命があるなら、まだレイナを探すことが出来る」 


 誰もいなくなった部屋でため息をついて、ベッドの上に頭を横たえる。滑らかな石で作られた天井は、のっぺりとして凹凸おうとつがなく無機質に感じられた。


 思考をまとめなければならない。

 レイナとそれから過去に交合まじあわされた『異端の王』との会話のことを、もう1度考える必要がある。

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