第17話 パトレシアとお風呂


「流すね」


 パトレシアはシャワーのスイッチを押して、ノズルからお湯を出した。もうもうと立ち上る湯気が浴槽を埋めていく。


 あっという間に視界が白く染まっていく。


「私の両親は知っての通り半分ヤクザみたいなものでね。悪人と善人の間を行ったり来たり。より多くの金を巻き上げるには手段をいとわない、そんな人だった」 


 リタとパトレシアが育ったイザーブは、プルシャマナの中心にある交易都市だ。都市の真ん中を大きな川が流れていて、それを利用した荷物の運搬や各国の貿易が行われていた。


 プルシャマナには23の国が存在するが、イザーブはそれのどれにも属さない中立都市だ。各国の経済活動の要でもあるために、不干渉ふかんしょう条約が定められていた。


「おかげで活発な交易が行われていたのよ。世界で1番、人とお金が集まる場所。それがイザーブ」


 イザーブという都市の本質は過剰かじょうなまでの金銭主義だ。

 金を持っている人間は神のように扱われて、持っていない人間は子供だろうが老人だろうが、ゴミのように扱われる。


「『金を稼ぐためには善人でも悪人でもあってはいけない。善人と悪人を利用する人間になれ』って……両親の口癖。頭が腐るほど聞かされていた。そして頭が腐った人間は街にあふれかえっていた」

 

 例えば、それは人身売買。

 いつか誰かがやり始めたのだろう。いつの間にか時代錯誤的な人身売買がイザーブで横行するようになっていた。

 

 大人、子ども、老人、誰1人として容赦なく、資本を失ったもの、借りた金を返すことが出来なくなった人間は最終的に自らを差し押さえられる。


 そこから先は地獄だった。


「昨日まで一緒に学校に言っていた子が、次の日は誰かの奴隷なんてことも珍しくなかった。親が破産して返すものがなくなったから、子どもが奴隷として働かされる。それでも高額の利子を返すので精一杯。奴隷までちたら、一生奴隷として暮らしていかなければいかなかった」


「逃げることは出来なかったのか」


「残念ながら出来なかったの。都市の自警団が街から出ることを許さなかった。どこまで逃げても追ってくる。それを指揮していたのは街を裏から牛耳ぎゅうじっていたヤクザまがいの連中」


「ヤクザまがい……そうか、パトレシアの親は……」

 

 パトレシアは「うん」と一言頷いて、俺の背中をお湯で流した。ジャアアアアという水が流れる音とパトレシアの声が、浴室の中で小さく反響する。


「私の家は奴隷売買の元締めのようなことをやっていた。表はただの質屋をやっていて、裏では反社会的な取り立て屋。逃亡奴隷を捕まえて、売り飛ばして、莫大ばくだいな財産を築いたのが私の家族だったわ」


 パトレシアの両親がその『ビジネス』に乗り出すようになったのは、リタが産まれて少し経ったころだったと言う。


 それまではごく普通の商店だったパトレシアの家は、奴隷売買に手を出してから、イザーブ屈指の富豪へと成長した。そんな成り上がりストーリーが溢れているのも、あの都市の特徴だった。


「その前の時の方がずっと幸せだったような気がする。お金があった頃の方が確かに欲しいものは何でも手に入ったけれど、私が本当に欲しいものはそれじゃなかったの。私たちは毎日、不安で仕方がなかった。アンクもあそこにいたなら見たはずよ」


「……数年しかいなかったが、イザーブは奇妙な都市だったな。きらびやかな表通りがある一方で、裏に入ればやせ細った孤児が残飯を漁っていた。あんな光景を見たのはあそこくらいだったよ」


「他の貧しい国から奴隷を調達してくることもあった。アンクが来た頃には手のほどこしようがないくらい腐りきっていた」


「それで、師匠に弟子入りを志願したんだな……」


「そう、強くなりたかった。リタを守れるくらいに、何より自分があんな風になりたくないって思ったからこそ、強くなりたかったの」


 シャワーの音が止まる。

 スイッチを押して、パトレシアがノズルを壁に立てかける。タイルの上を流れるお湯は、複雑に絡みあうツタのような模様を描いていた。


 立ち上った湯気はいまだに視界を白く染めている。


「でも、もうそれも終わり。ごめんねこんな暗い話しして」


 パトレシアの腕は俺の肩の上から伸びて、そっと優しく腹の方を撫で始めた。愛おしげに、だがどこか寂しそうに、パトレシアの腕は何度も俺の上半身に触れた。


「ねぇ、こっち」


「ん?」


「私の方、向いてくれないかしら」


 ゴクリとつばを飲み込む。

 言われるがままに振り向くと、パトレシアは嬉しそうに微笑んだ。白い湯気に隠れて、彼女の全ては見えなかった。


「今度は私の背中、流してよ」


 彼女は後ろを向いて、長く伸びた髪を前で束ねた。傷1つない真っ白なパトレシアの肌が、目の前に見える。肩から腰まで、腰からお尻まで、女性らしい丸みのある身体の凹凸おうとつがありありと見える。


 胸の奥が熱くなる。

 刺激的な光景に心臓が高鳴る。尻込みしていると、パトレシアが背中越しに静かな声を発した。


「嫌?」


「……嫌じゃない」


 壁にかけてあるタオルを取って、彼女の肌に触れる。ザラザラとしたタオルの断面が触れると、パトレシアはピクリと身体を動かした。


「ん……」


 彼女は小さな声であえいだ。

 見ると魔力炉の方が少し反応していた。鮮やかな黄色を纏った魔力が、浴室の湯気に紛れて静かに立ち上っている。


 泡を立てながら彼女の肌に素手で触れると、信じられないくらいに熱かった。少しその手を滑らせるだけで、彼女の魔力は驚くほどに反応した。


「や……ぁ……」


 彼女の荒い呼吸が聞こえる。

 ピクピクと彼女は身体を震わせながら、パトレシアは消え入りそうな声で言った。


「ねぇ、アンク……」


「なんだ?」


「アンクは私に……会えて嬉しかった?」


 絞り出したような声だった。彼女が立ち昇らせる魔力はすでに浴槽全体に広がって、美しく思えるほどだった。


 彼女の質問に頷いて肯定こうていする。


「そりゃ、もちろん。嬉しいさ。こうやって平和な日々が戻ってきて、ホッとしている」


「…………良かった」

 

 そう言うと彼女はくるりと身をひるがえして、俺の唇へと迫ってきた。


「ん……」


 熱く燃えるような彼女の舌が、俺の中にゆっくりとはいってくる。それに応えて、舌を差し出すと、くちゅくちゅと音が鳴った。


「……レイナちゃんには秘密にしておいてね」


 俺がパトレシアの身体を抱き寄せると、彼女はいつか聞いたようなセリフ言った。その意味を考えることすら忘れて、十分すぎる魔力を補給しあった頃には、すでに外は真っ暗になっていた。

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