第12話 大英雄、再び魔物退治をする


 翌朝の朝食はいつも通りスープとパンだった。レイナは朝早くに起きて、かまどに火を入れてパンを焼いてくれている。少しげているが、バターと小麦の良い匂いが食欲をそそる。


 スープには鹿の肉を薄くスライスしたものと、菜園で採った野菜が入っていた。2人で畑を耕して、毎日欠かさず世話をしていたものだ。最初は苦労していたが、2年目の夏からようやく実がなるようになった。


「レイナ、今日はナスが採れたぞ!」


「そうですか」


「レイナ、今日はトマトが採れたぞ!」


「……そうですか」


 収穫するのはいつも決まって俺だった。

 レイナは水やりは進んでやってくれるのだが、いざ収穫となるとレイナは乗り気にならず、とっくにれている野菜に何時までも水をあげ続けている。


 その理由を聞くと、彼女は悩ましげに言った。


「嫌ではないのですが……せっかく育てたのに、もったいないような気がするのです」


「そんな理由か……? 食べるために育てたんじゃないのか?」


「分かってはいるのですが、出来ないのです。そろそろ食べごろということはわかります。これを逃したら実が枯れて、ダメになってしまうことも分かります。それでもどうしてだか、せっかく育てたものを自分の手で採るのはひどく残酷な気がするのです」


 鶏も豚も躊躇ちゅうちょなく仕留めることが出来るレイナだが、野菜に関しては妙な親近感を持っているようだった。


 それからは、俺は収穫した野菜をいつもレイナに気づかれないように食料庫に入れることにしている。


 空になった食器を洗い場の方に持っていくと、レイナが俺に言った。


「お口にあいましたか?」


「あぁ……とても美味しかった」


「良かったです」


 レイナは俺に背を向けたまま返事をした。

 表情は見えないが、口調は昨日俺が帰ってきた時ように怒ってはいなかった。フライパンを軽快なリズムで洗うシャカシャカという音が聞こえる。黒い髪留めで束ねた白くて長い髪が、首の動きに合わせて揺れている。


 今日は上機嫌なレイナに目をやりながら、コーヒーを飲む。


「あー、平和だ」


 平穏な朝を満喫まんきつしていると、静けさを打ち破って誰かがドンドンと家のドアを激しくノックした。


「アンク、いるー!? わたし、わたし、パトレシア! また魔物が出たのー!」


「魔物……!?」


 昨日に続く異常事態を聞いて、思わずコーヒーを吹き出す。

 ただごとじゃない。慌ててドアを開けるとパトレシアがはぁはぁと息を切らしていた。なぜか服がびっしょり濡れている。


「どうしたパトレシア……っ……!?」


 あられもない彼女の姿に言葉が詰まる。


 水に濡れて服が透けて見えている。ピンクの下着がほぼ丸見えだ。早朝から見るには刺激が強すぎる。目のやり場に困る。


「ま、魔物だ……」


「え? ここにも魔物が?」


「い……や、何でもない。魔物が出たのはどこなんだ」


「あの、水車の方でトビッコウオが大量に出現していて、大変なの! このままだと水車小屋が沈没しちゃうかも!」


「トビッコ……なんだって?」


「トビッコウオ! 口から水を吹き出す魚が魔物化したの!」


 なんだそれは。初めて聞く生物だ。


「水車小屋に魚が出た……? あそこは村の中心部だろ。流れも速いし、魚が流れてくるような場所じゃない」


「たぶんだけれど、先月の嵐に流されて来たかもしれないわ」


「増水の影響か。あー、あっちは川上に繋がってるかならな」


 サラダ村に流れる川の源流は、瘴気の濃い山の中だ。増水の騒ぎに紛れて流れてきていても、おかしくはない。

 

 麦をひく水車小屋は村の食料の要だ。水没してしまったら、厄介なことになる。


「小麦が浸水か……何はともあれ面倒だな」


「事の深刻さは理解した!? 行こう!」


 昨日と似た様な感じで、手を引っ張られて引きずられるようにして、家を出る。


「ま、待て。その前にその格好を……」

 

 言いかけたところで、ベランダからレイナが2人分のレインコートを投げてきた。寸分の狂いもないナイスパスでレインコートは俺の胸元に着地した。


「ありがとう! 気がきくな!」

 

「晩ご飯までには帰ってこられますか」


「あぁ!」


「では用意して待っています。それと……」


 そう言ってレイナは目配せした。レインコートには走り書きのメモが挟んであって、「視線に気をつけて下さい」と一言書いてあった。


「気が効くなぁ……」


 レイナの気遣いに感心しながら、パトレシアにレインコートを渡す。これで良し。


 森の中を走って、水車小屋がある川の方まで向かう。見かけによらず、パトレシアは身軽に跳ねる様に走っていた。

 

「そのトビッコウオってなんだ?」


「大根畑のおじいちゃんが文献で調べてくれたんだけど、魚のくせに空中を飛び交う変な奴らしいわ。たまに雨の日に川から出てくる珍しい生き物よ」


「雨ねぇ。なんでまた今日なんだろう」


 空を見上げると雲ひとつなく、さんさんと輝く太陽が地面を照らしていた。言っている話と違う。


「私にも分からないわ。しかも結構な大群で、もー、手がつけられないの」


 話によるとトビッコウオは村のおっちゃんたちが発見したらしく、水車小屋の近くを飛び回り、水を吐き出して貯蔵していた小麦を浸水させている。敵の出どころも分からず、どんどん集まってきているそうだ。


 おかげで水車小屋の周辺は、てんやわんやの騒ぎらしい。パトレシアもすぐに駆けつけたが、トビッコウオの抵抗になすすべなく、戻ってきたということだ。


「怪我人はいるのか?」


「ううん、今のところはいない。食料庫の中身はやられちゃったものもあるけれど、もう他のところに避難させたわ。人間を攻撃する様子はないけれど、やたらめっぽうビュンビュン飛んでいて手がつけられないの」


「昨日に引き続き……か。人を襲っていないのは幸いだけれど、なんだかしっくりこないな」


 魔物の様子がおかしい。俺が今まで知っている魔物とは明らかに様子が違う。

 生き物には行動原理がある。お腹が空いたとか、身を守るとか、子供を守るためだとか。


 魔物の行動原理は単純明快だ。

 それは人間を攻撃して、殺すこと。女だろうと子供だろうと大人だろうと、問答無用で攻撃する。何が魔物達をその行動に駆り立てているからは今でも分かっていない。


 ただ、人間のみを攻撃する。

 魔物化した生物は死ぬまで、人間を憎む。


「俺が知っている魔物とは違うのか……?」


 昨日と今日、不可解な魔物が出現している。俺の知らないところで、何かの異変が起きている。

 

 そして、もう1つ。

 昨日見えたどこかの光景。血生臭い誰かの物語。魔物を殺して暮らす人間。ノイズ混じりの映像は、人物を特定出来るヒントにはならなかった。


「心当たりも無いっていうのが、気持ち悪いな」


 心当たりがない、忘れていた昔のこと、ということでもない。知らない誰かの目線を通して、気が滅入るような人生を体験していた。

 

 ……なぜそこまで世界に対して絶望しているのか、そればかりが気になって、胸の中にもやもやとした違和感を残していた。

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