第3話 異常な存在
グロンドとタリリアの狭隘に広がる森の中。
鬱蒼と茂る草木を縫いながら、獣道を進みアメスたちは臭いのする方へまっすぐ向かう。
森に入るころにはアメスだけじゃなく、皆、件の臭いに気が付いた。
アカギリとカレイドにとって、嗅ぎなれたその匂いは心の内にある戦闘本能を掻き立てていく。
「大分酷い臭いだな。数人は死んでいるレベルだ。ま、そもそも人なのか、それとも獣なのか」
「ま、獣ではないでしょうね。そんな異臭は混じっていないもの」
「だとしたら、ここら辺にある村でも襲われているのか?」
「ですが――」
アカギリとカレイドのやり取りにアメスが口を挟みながら、手持ちの地図を確認する。
「この近辺に村という村はないみたいです。一番近くて、グロンドとタリリアです。北西に連なるガガ山を越えた先にも一応ヴォルムエントという村があるみたいですが、そちらはあまり関係ないでしょう」
異空間魔法によりいつの間にか獲物を手に取り軽く振り回すアカギリが口角を吊り上げて言う。
「なら一層に気になるな。この臭いの原因てのが」
鬼人は今集まっている種族の中で最も戦闘を好む種族だ。その反対に
そんな鬼人アカギリを先頭に一同は森の中に進んでいく。
「つよい……」
鼻腔に刺さる血の臭いが強くなっていき、眉根を寄せてアメスが言葉を零す。
「何かいるな」
アカギリの言葉に一同は視線を合わせる。
真っすぐ前方を見据えていると、木々の奥で鳥の囀りが響き、ざわざわとした物音が届く。そしてそんな音を一瞬にして覆うほど女性の悲鳴が轟いた。
刹那、四人は声のする方へ駆け出す。
足場の悪い道を抜け、大木と大木の先にあったのは、自然豊かな緑葉の景色とは乖離した、一面を朱色に染める凄惨な景色だった。
地面も葉も木々も、すべて朱色がこびり付きまるで地獄絵図を彷彿とさせるそこには、数体の死体が転がっていた。
「おいおい。これはひでえ有様だな」
「あれは……確か
死体となっているのは、下半身が蜘蛛で上半身が人間に近い蜘蛛人という種族だった。蜘蛛の体と人間の体を分断され、地面や、木々に凭れ掛かるようにして伏しているそれらは確認するまでもなく絶命している。
その凄惨な状態と、現場に流れ出ている大量の血からして助からないだろう。
「彼女らはいったい何に遣られたのでしょうか?」
ベネクが率直な疑問を投げた。
周りを見てもそこには三つの死体しかない。
それらを襲った者の姿などどこにもない。
「さっきの悲鳴からしてそれほど遠くへは行っていないはずだ。探せばまだどこかにいるだろう」
「ちょっと待って。もしかして探すつもり? わざわざそんな危険を冒す必要はあるの?」
カレイドは慌ててアカギリを止める。
「手は打てる時に打っておかないと、後々面倒ごとになるぞ?」
「だからって、相手の脅威もわからないまま突っ込むなんて。もし私たちよりも強い存在だったらどうするの? 負けて帰るなんて、マリ様の名に傷を付けてしまうわ」
そんなカレイドの言葉に、鼻を鳴らして答える。
「私たちが外界の者に負ける? その可能性の方が低いだろう」
カレイドは真っすぐアカギリの目を見据える。
「うっ……、わ、分かった。今回はやめておこう。でも、向こうから襲ってきたら、その時は相応の対応はさせてもらうぞ」
「ええ」
胸を撫で下ろすカレイド。
「すみません! こっちに来てもらえますか?」
少し離れたところでアメスの声がする。
三人はすぐに彼女の元へと向かうと、そこには腹に大きな傷をつけられ、手足も数本なくなっている瀕死の蜘蛛人の姿があった。
「まだ息があるみたいです!」
アメスが瀕死の蜘蛛人に話しかける。
「大丈夫ですか? 聞こえますか?」
優しく、それでいて相手の届く声量で問いかける。
「くっ……! は……はぁはぁ、はぁ……うっ!」
「カレイド、回復薬!」
「分かったわ」
アイテムポーチから回復薬を取り出すと、カレイドは蜘蛛人の口へと流し込んだ。
苦しそうにしながらも、確りとそれを飲み干した蜘蛛人は次第に呼吸が落ち着き始めた。
冒険者の依頼で救護用の道具を支給されたことがあり、そのことを思い出したカレイドは空かさず救護道具を取り出して、不慣れな手さばきで、蜘蛛人の腹の傷を手当てした。
大きく切り裂かれ空いた穴を塞ぐことはできないが、包帯などである程度出血などを止めることはできる。回復薬によって自己治癒能力も上がっているので、現状で最悪の場合にはならないだろう。
「落ち着いてきましたか? 私の声、聞こえますか?」
蜘蛛人は苦悶に顔を歪ませながらも、うっすらと目を開けた。
「……あなた、は?」
「私は行商人です。ここで一体何があったのですか?」
「……行商人? ……なら、早くここから離れたほうがいい……うっ」
回復薬だけでは彼女の痛みを完全に癒すことはできない。
しゃべりながらも時折苦悶の表情を浮かべる彼女に、ひとまず彼女を安全なところに運ぶことを決めたアメスは、三人に手伝いを頼み、4人で森の外まで運ぶことにした。蜘蛛人の体は大きく、全長2.5m以上はあり、大きいもので3mを超える。そんなものを一人で運べるわけもなく、負傷者である蜘蛛人を丁寧に、それでいて迅速に4人は森の外へと運び出した。
その間、彼女たちを襲った者が再び現れないか警戒していたが、徒労に終わった。
「ここまでくればある程度安全だろう」
「にして、いったいどんな奴に遣られたんだ? 種族同士の諍いか?」
アカギリが独白の様に零すと、蜘蛛人の女性が返事をする。
「……あれは、蹂躙です」
「蹂躙?」
「ぜ、絶対的存在が、虫けらを踏み潰すような、ただの戯れの……殺戮です」
「何があったのですか?」
アメスの問いに、彼女の目は恐怖に慄いた。
「うっ……レビン……カイネっ! ご、ごめんっ! ごめんね! わたし……」
「落ち着け。お前が冷静に話さないと、私らもお前を助けようがない」
肩を震わせる彼女に、諭すように穏やかなトーンで言葉をなげるアカギリ。
そんな彼女の言葉に、はたと我に戻り、蜘蛛人の女性は深呼吸をしてから事の顛末を話し始めた。
大分呼吸も安定し始め、回復の兆候が見て取れる。
「わ、私は、ヴォルムエントという
「蜘蛛人の村に人間の少年が?」
「様々な噂が往来しているなかで、わざわざ蜘蛛人の村に来るなんてどうしたのだろうと、私は少年を止めました。その時、村の入り口付近にいた私の友人たちもその少年に近づき一緒に話を聞こうとしました。すると、少年がいきなり私の友人の足を噛み千切ったのです!」
「噛み千切る!? 蜘蛛人の足を?」
慮外な展開にアカギリは吃驚をあらわにする。
「ご存じの通り、私たちの手足は、体を支えるためや、様々な衝撃から身を護るために非常に堅牢なつくりになっています。ですので、人間の力では到底噛み千切るなんてことはできないのです。ですが、その少年はそれをたやすくやってみせました。その異常な光景に、私たちは嫌な気配を感じ、すぐさまその少年を拘束し、村に被害が出ないように遠くへと連れ出しました。糸による拘束が解かれてしまわないかと危惧していましたが、幸運なことに少年はされるがままに身動き一つせず、私どもに連れられ、無事山を越えた先のこの森までたどり着きました。万が一、私たちが敗れ、再び村に向かうようなことがあっても、山を越えてしまえばそう簡単に村には近づけない。だからここまできてその少年を殺そうとしたのですが、少年は、森につき、私たちが少年に向けて殺気を出した瞬間、不敵な笑みを浮かべて拘束の糸を切りほどき、尋常じゃない動きで私の友人を素手で両断したのです」
「は? 素手で? あの切り口が全て素手によるものだっていうのか? そんな馬鹿なっ」
「わ、私も目を疑いました。けれど事実なんです! その先はもうほとんど覚えていません、私の友人が二人も目の前で斬殺さるのを見て、気が付けば私のおなかにも大きな穴があいて吹き飛ばされたので。そして、気が付いた時には既に皆さんがいたのです」
「これは多分、ただ事じゃない気がするわ。いったんマリ様に報告を済ませた方がよさそうね」
「こいつの傷もメアリーに治してもらった方がいいだろうしな」
「ではいったん帰還されるのですか?」
アカギリとカレイドの会話にアメスが訊く。
「とりあえずな。とはいっても私たちだけだ。お前たちは仕事があるだろ? せっかくここまで来たのに手ぶらでマリ様の元まで帰るわけにはいかないだろ? だから、お前たちは先にグロンドに向かってくれ。あとのことは私たちに任せろ」
「で、ですが……」
アメスが食い下がるの。
「ちょ、ちょっと待ってください! 帰るのですか? 村は? 私たちの村はどうなるのですか? 助けてくれたことは感謝しています。ですが、私は暢気に治療を受けている場合じゃありません。早く村に帰ってこのことを報告しなければいけません!」
そういいながら、傷だらけの体に鞭を打って必死に立ち上がろうとする彼女をアカギリが止める。
「無理すんな。――ったく。カレイド! マリ様に連絡だけ入れといてくれ」
やれやれといった風にカレイドは笑って見せる。
「分かったわ」
「今から向かわれるのですか? でしたら、私たちも同行させてください! 私たちだけのうのうと街で商いをするなんてできません!」
「仕事はいいのか?」
「この状態のまま仕事なんてしたら支障が出てしまいます。それに、私たちは行商人です。どこでも商いはできますので」
「とはいえだ。その商売道具である荷馬車はどうする? 流石にそれを連れて山を越えてくわけにはいかないだろ?」
「荷馬車なら隠蔽魔法で存在を消しておけば誰かに取られる心配はありません。それに、それほど長期的に滞在するわけではないとおもいますので特に問題はないかと」
「ベネクはいいのか?」
「私はアメスの身を護る護衛係です。離れるわけにはいきません」
「なら、決まりね。早速マリ様に連絡を入れておくわ」
「助けていただいた上に、村まで来てくださるなんて……感謝しかありません」
「傷は大分よくなったみたいだな。負傷者に鞭打つようで悪いが、道案内を頼めるか? 安心しろ、道中は私らが運んでやる。ま、乗り心地は保証しないがな」
「ありがとうございます!」
感謝に涙を浮かべるバランに、照れくさそうに笑うアカギリ。
そして数分後にカレイド報告する。
「マリ様に連絡しておいたわ。『みんな無事に帰ってきてね』とマリ様からの託りよ」
表情を綻ばせながらそう報告するカレイド。
その言葉に、アカギリは己の拳を合わせて気合を入れなおす。
「よし! マリ様からお言葉も頂いた。行くかっ!」
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