第9話 暗黒騎士の怒り
――助けてください!
それは慮外な言葉だった。
先ほどまで毅然とした娼婦は今では一人の若い女性となり果てた姿をしていた。
「助けてとはいったいどういうことですか?」
コーネリアが思わず聞く。
するとデモンは徐に下着を脱ぎ捨てて、その魅力的な胸を自ら鷲掴みにして谷間の内側を見せる。
そこには何かの刻印が刻まていていた。
それはどこかで見たことのあるものだった。
「それって、ここの娼館のマークですか?」
「はい。しかし、見ていただきたいのはその下です」
彼女が言うように二人は刻まれた刻印を再度子細に見てみる。
「なにやら刻印の下にも別の刻印があるようだな」
「これって確かボレット商会の――」
「その通りです。私は元は奴隷でした」
「デモンさんが奴隷?」
彼女の容姿からはそんな面影一切なかったため、吃驚に声が出てしまった。
「幼いころ、盗賊に家族を殺され、私は賊の手によって奴隷商に売り飛ばされました。売られるまでは賊の男どもの慰めをして、扱いなんて今思い返すだけでも吐き気を催してしまうものでした。当時、まだ私は13歳。まだ子供だというのに、男たちは飽きもせず私を使っていました。ですが、奴隷商に売り飛ばされてからはそんな生活もましになり、この娼館に買われてからは大分生活が落ち着いてきています。ですが、娼館は天国ではありません。お金は入り、十分な生活はできるようになってはいますが、それは一時の幻でしかないのです」
身体を震わせる彼女にそっと触れると、ディアータは諭すように言う。
「いったい君は何を知っているんだ?」
「……」
デモンは言葉を飲み込んだ。
彼女は何かを恐れている。
いったい何を恐れているのか。ディアータは部屋を見回してから、再び彼女を見据える。
「なるほど。ならこれで少しは話しやすくなるだろう」
そういって、ディアータは一つ魔法を放った。
「【
瞬間、部屋全体に半透明な幕が覆われた。
「これでこの中の会話は誰にも聞かれない。さ、君が知っていることを全て言うといい」
「この娼館、豊穣の女神では、人気が出ているうちは安泰ですが、一度人気を失った娼婦たちはウルス様の手によって、筆舌に尽くしがたい残酷な目に合うのです。それはもう、死にたくなるような……」
「もしかして、奴隷?」
デモンは首肯した。
「でも、奴隷ならデモンさんは既に一度……」
「完全なる奴隷ということか?」
「……はい」
奴隷とは買った主によって幸か不幸が決まる。優しい主人に買われればもちろん生活もまともになるだろう。しかし、悪辣な者のもとに買われればいうまでもなくひどい扱いをされる。そして、人権や自我という物自体を許さない、ただの道具として生涯をささげるものが、完全なる奴隷ということになる。
「ウルスという女はそんなことができるのか? 人を故意に奴隷化するなど。この娼館は皆が皆、元奴隷というわけではないだろう」
「ウルス様はただの娼館長ではありません。多くの組織に顔の利く辣腕の持ち主です。それは貴族や……賊にだって同じこと。腐ったものでも金になるところがあればそこに売り飛ばすのがウルス様のやり方です。私は同じ娼婦が賊に売り飛ばされて惨たらしい仕打ちにあわされたのを目にしたことがあります。それはもう人間という扱いを逸脱したものでした。男のアレを穴という穴に差し込まれ気絶しても犯し続ける。そして……うっ」
口元を抑えて下を向く彼女にディアータはそっと優しく抱きしめる。
「もう結構だ。非常に価値のある情報になった」
「ディアータさん。どうするつもりですか?」
「ウルスというあの女。なかなか殺し甲斐のあるやつだな」
ディアータの眼が紅く光、毛が逆立ち始めた。
その凄まじい殺気にデモンとコーネリアは畏怖した。
「この娼館がもし仮にほろんだとしたら、この街にどれほど影響が出る?」
「え、えっと……。貴族の方や、裏でつながっていた賊たちが噴気するでしょう。でも、いったいなぜそんなことをお聞きになるのですか?」
「それくらいなら問題はないか。賊など、すべて滅ぼしても誰も文句は言わないだろう。それよりも、私の心配は聖王騎士団がそれに対して動くかどうかだ」
「聖王騎士団ですか? 確かにこの娼館を利用する客の中には騎士団が何人もいますが、騎士団が動くようなことはないと思います」
娼館は非公式の場。それに表で動く騎士団が動くことはない。
「なら、私の心配事は一切ない」
「なにをするつもりですか?」
「決まっているだろ。君たちを助けるんだ」
「それはつまり、ここから連れ出してくれるということですか?」
デモンは自ら頼んでおいて流石にそれは難しいのではないかと思ってしまう。
いくら金があっても、私とフィアッタを買い戻すのには相当の金が要るはず。本当にそんな金を用意できるのか。
「もちろん。それよりも、君たちを助け出すにあたって、ここを離れることができた暁には君たちはいったいどうしたい?」
娼館から解放されても、娼婦は世界を知らなすぎる。
まともな生活ができるほど力もない。彼女らは何かに手を差し伸べてもらうことでしか生活ができない。それがこの世界の残酷な現状。
デモンは口をつぐんだ。
「当てがないのなら私たちと共に来ないか? 君たちに来てほしい街があるのだ」
「私みたいな奴隷でも、娼婦でもある半端な者でも傍においてくれるようなところが?」
疑うようであり、希望に縋るようでもデモンの目をまっすぐ見つめ返しながら、ディアータは彼女の手を取り優しく言う。
「君たちのような美しく可憐な女性を拒むなどありはしない。誰も拒まない。人間も
「ダメなんて……。私のような穢れた者に、そんな優しい言葉。断るなんて、死んでもできませんわ」
その目には溢れんばかりの涙が宿っていた。
「なら、君に少し頼みがある」
「なんでしょうか?」
「これからウルスに会いに行ってしまえば、後には引けなくなるだろう。だからその前に、この館にいるフィアッタを先に救出したほうが得策だ。そのあと、二人を連れて、ウルスの元へ行こう」
「かしこまりました。では、フィアッタのところまで案内いたします」
そして、【
「いつまでもそんな恰好でいてはいけない。これからは無為に肌を晒さなくてすむようになる。君のような美女の価値を自ら落とす必要はなくなるのだ」
ディアータから服を受け取ると、デモンは彼女に背を向けた。
幾ばくかの沈黙の後、デモンは服を着始めた。
そして彼女の先導のもと、二人は娼婦が待機する部屋の外まで来た。
流石に中へ入っては騒ぎになるということで、少しの間外で待機していると、中からデモンに連れられ、一人の女性が姿を現した。
艶のある赤毛を肩まで流し、素朴そうな顔立ちに貴族のような凛とした双眸を携える彼女は、言うまでもない。テテロ村のフィアッタだ。
「彼女がテテロ村のフィアッタ・ルーメロンです」
「は、初めまして。私を助けに来てくれたっていうのは本当ですか?」
素朴ながらもしっかりと娼婦としての身なりをしているフィアッタは大人の雰囲気を醸し出している。
「はい。私たちはテテロ村の人たちを救うべくやってきました。この街で既にボレット商会に奴隷として買われていた村人は全員救い出し、近くの宿で待機してもらっています。あとはフィアッタさんと領主の元へ行った女性だけになります」
「あ、あの。まだ私は状況を把握できていないのですが……。あなたたちはそもそもどうして私たちを助けてくれるのですか?」
「それは私どもの主のためだ。詳しい話はまた宿で話してあげよう。今は急いでこの場所から出たほうがいい。いつまでも居たいようなところではないだろう?」
「……はい。じゃあ、お願いします」
まだ猜疑心を宿す彼女の目をしり目に、ディアータは再び館長ウルスの部屋の扉をノックした。
「どうぞ」という声に躊躇いなく扉を開けると、最初に会った時と同じ姿のままウルスは煙管をふかしていた。
部屋に充満する紫煙にフィアッタは少しむせ返ってしまう。
「それで、お目当ての子はそいつかい? ん? なぜデモンまでいる?」
「この2人を買いたい」
その言葉に一瞬目を見開き、口から紫煙が漏れる。
しかし次の瞬間には高らかに笑ってみせる。
「あっははははは!! あんた、いったい何を言っているかわかっているのかい? そこの赤毛ならまだしも、うちの高級娼婦を買いたいなんて、いったいどれほど金を持っているというんだい? 貴族すら手が出せない金額だよ? 戯言なら寄席へ行きな。ここでは実る金の話しかできないよ。さ、用件は済んだだろ? さっさと失せな」
笑い果てた彼女は一変して憤怒に顔を歪めた。
ウルスは金になる話なら否応なく飛びつく金の亡者といわれる女。それがひとたび金にならない話だと分かれば、苛立ちを隠せない、なかなかどうして傲慢な女だった。
しかし、そんな彼女の低い怒声を聞いてもなお、ディアータは一切動じることはない。
「金ならある。貴族すら飛びのくほどの大金がな。金に目がないんだろ? ならここで逃がしてしまうのは大損だ。それとも、こんなことすら見抜けないあんたの目は相当の節穴ってことになるぞ?」
ディアータの挑発的な言葉に、ウルスは額に血管を浮き上がらせる。
「たいそうな口を利くじゃないか暗黒騎士さん? あんた、そんな大金持ちを主張して、身の危険は守れるのかい? 私は金の亡者なんだろ? なら、今ここであんたを殺してその金を奪うことだって考えるかもしれない。頭を働かせるのはあんたのほうだね」
「なら、取引を行うってことで相違ないか?」
煙管の灰を落とすと、彼女は煙管をディアータに向けていう。
「いいだろう。だがこれは私が優位な交渉だ。商人は私で客はあんただ」
実際、高級娼婦であるデモンを簡単に買ってみせるその懐の深さは確か。そして、執拗以上に赤毛の娼婦を求めている。だとしたら是が非でも眼前の騎士は買うだろう。なら、こちらは命いっぱい金を引き上げるだけ。絞れるだけ絞ってしまえば、こちらはぼろ儲け。娼婦など、後でいくらでも補填が効く。
デモンはそんな思惑を抱き、ディアータと交渉を始めた。
「では、フィアッタを買い取るにあたって、彼女はいくらで買い取ることができる?」
「そうだね。その子は最近入ってきたばかりだけど、徐々に客足も良くなっている。今後はもっと稼いでくれることだろうからね。精々金貨5,000枚かね」
「金貨5,000枚!!?」
吃驚の声を漏らしたのはフィアッタ本人だった。
隣に立つデモンも驚愕の額に開いた口が塞がらない様子だった。
どうやら、いきなり吹っかけてきたらしいと、ディアータはその場で悟った。
「5,000枚はなかなかだ。やはり娼婦を買い取るにはそれ相応の金額が必要ということか」
「ええ。どうかしら? これでもまだあんたは払えるのかしら?」
「まあ、これくらいなら出せる範疇だ」
その言葉に、流石のウルスもたじろぐ。
「そ、そう。ならよかったわ」
「なら彼女はいったいいくらだ? 高級娼婦はまた格段に高いのだろ?」
「ええ。デモンはこの娼館でもかなりの稼ぎ頭になっているわ。彼女が抜けた場合の損害額を考えれば大体金貨20,000枚は行くわね」
きっと、この金額は一般の人間が効けば卒倒するレベルの金額なのだろう。
しかし、金銭感覚のない彼女にとってはある程度の金額はすべてが許容範囲内だった。
これでどうだ? といわんばかりにディアータを見据えるウルス。提示した金額が払えなければ、徐々にその金額を下げていき、払えそうな金額で止めるつもりだった。しかし、そんな彼女の思惑を粉砕するように、ディアータはにたりとわらう。
「それでいいだろう。二人合わせて25,000枚だな。現金もすでに用意してある。これで交渉成立でいいか?」
「へ? え、ええ。いいわ。金貨25,000枚で2人を譲るわ」
そして、部屋の中央の商談テーブルに契約書と計算版がおかれ契約のやり取りを行った。やり方は奴隷商の時と全く同じだった。しかし、金貨25,000枚ともなると、流石に計算版に乗せるのも一苦労だ。しかし、ここは娼館だけあり、多くの金が動くためか、計算版の箱型がおかれており、その中に用意した金貨を入れていった。
ディアータからすれば、アイテムポーチから必要な分だけ取り出せるため、特に面倒なことは一切なかった。
全てのやり取りが無事終わり、金貨をウルスへ渡し、デモンとフィアッタをその手に収めたディアータは、用が済んだため、一刻も早くその場を立ち去ろうとする。
「なかなかいい買い物ができた。ここへはもう来ることはないだろう」
そして背を向け、扉へ向かって歩き出した瞬間だった。
ウルス以外のものすべてが動きを止めたのだ。
魔法により一定の空間にいるすべての動きを止める魔法。
【
言うまでもない。発動したのは娼館長であるウルスだ。
「あはは! ひっかかったわ。私がみすみす高級娼婦を手放すわけないでしょ。金はあるようだけど、まだまだ若いわね。この世界、そんな甘いものじゃないのよ」
一人動けるウルスは引き出しからナイフを取り出してゆっくりと、ディアータへと近づく。完全な停止世界。音1つ発生しない空虚な空間で、忍び寄る殺意の切先。
そして、ディアータの首筋へとその刃が触れる瞬間、ウルスは困惑した。
首にナイフを刺したのは確かに自分。しかし、現実に血を流しているのは眼前のディアータではない。
ぽたぽたと滴るのはウルスの腹からだった。
「ぐふっ……。なぜ……」
ナイフを握る力もなくなり、床へナイフが落ちる。
「低位の魔法など、私のこの鎧には一切効かない。時間を止めて私を殺そうとしたのか。実に愚かだ。貴様なんぞに、後ろを取られるなどあるはずがないだろ。私は魔王マリ様に仕える配下の一人。ディアータ・ユゲルフォン・リーベラだ」
「……ま、おう?」
既に虫の息になっているウルス。それもそのはず。彼女の腹には大きな穴が開いているのだから。
首を彼女に切られる前に、ディアータは彼女の腹にめがけてその拳をぶつけたのだ。彼女の並々ならぬ膂力によって殴られれば、一般人なら即死レベル。加減をしたために、今眼前のウルスはひどく苦痛を味わう羽目になっている。
「随分と血を流しているようだ。痛いだろう? だが、貴様が手放した娼婦の痛みと比べれば虫に刺された程度だ。貴様は外道のなかのくずのような奴だ。私は貴様のような外道が気に入らない。だから、ここで貴様を殺す。そして、貴様と、それにかかわる賊のすべてを私は殺してやる」
「……、強いのね……。ふふ……でも、まだ……。終わらせない……」
か細い声で、ウルスは言うと、腸をさらけ出した状態で、床を這い、自身の机に向かうと、机上に置かれた
その瞬間、操り師の糸が切れた人形のように崩れ落ちたウルス。そして彼女が作り出した停止空間が解除され、一同が動き出した。
「いったい何をしたかったのだ」
そんなディアータの言葉に、何事かと振り返るコーネリアは部屋の奥で、大量の血を流して倒れ伏すウルスの姿を見てディアータに問う。
「いったい何があったんですか?」
「彼女のが時を止めて私たちを殺そうとしていたが、見ての通りだ。ま、そもそも彼女は殺すつもりだった。思った通りうまく行動してくれてやりやすかった。さて、少し急いだほうがいいかもしれない。この娼館の娼婦に呼び掛けて逃げる準備を頼む。もし逃げるのを拒むものがいれば、構わない。置いていこう。あくまで逃げたい意思のある者だけを助けるつもりだ。ここに居場所を求めた者がいればその意思を尊重しよう」
「かしこまりました。では二人はディアータさんに?」
「いや、二人もつれていったほうが話はうまく進むだろう。私はこれから別行動をとる。君はうまく娼婦たちを逃がすことができたら村人たちがいる例の宿屋に向かへ。全員と合流し次第、テテロ村へ向かってくれ。君一人で彼女たちを守れるか?」
「もちろんです。お手間は取らせません。ディアータさんは残り一人の救出を?」
「それもそうだが、すこし嫌な知らせが耳に入った」
彼女の聴覚に届いたのは無数の足音。せわしなく動く、殺気だった足音。
ウルスが死の直前にした奇怪な行動。それがいったい何なのかは不明だが、その途端に動き出した足音たち。
何かがこちらに向かっているのは確かだった。だとしたら、早くこの場から逃げれるものを逃がす必要がある。
「私は後から追いかける。テテロ村で合流だ」
そしてディアータはコーネリアを送り出すと、足のなるほうを探る。
耳をぴんと伸ばし、子細に音を拾っていく。
そとの音ではない。
この娼館の中でもない。
下……地下道?
足音は下から響いていた。
どこかに地下へ続く道があるはずだと、ディアータはウルスの部屋をくまなく探すと、彼女の机の下、ウルスの亡骸の下に下へ降りるための扉を見つけた。
「貴様はいったい、何をしたんだ?」
ウルスと、その横に散らばる
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます