第10話 冥加 深紅の騎士

 地下へ続く階段から聞こえる無数の足音。

 黒兎人の耳で知覚できる数は20人弱。

 それが地下道を通りこちらに向かっている。

 ディアータは建物の外に意識を移す。

 建物の外には特に不穏な影は感じ取れない。

 意識を戻し、眼前の階段を見据える。

 十中八九、ウルスが呼んだ援軍なのは理解できる。だからこそ、この階段を上がらせるわけにはいかない。


「これは、随分と楽しめそうだ」


 奥から漂う醜悪な臭い。

 まともな連中ではないと確認できた彼女は、躊躇いなく階段を降り始めていった。


 石の階段が深くまで続き、奥のほうでぼんやりと明かりが確認できた。

 壁に掛けられている松明の明かりだ。

 階段を降り切ったところで少しだけ開けた通路に出た。明かりがあるのは通路と階段の入り口に一か所。通路の奥に、距離はあるものの、一定の間隔で灯されていた。けれど、通路の先は暗く、松明の明かりだけでは通路全体を照らすことはできていなかった。

 暗黒の空間が疎らに存在し、漆黒の鎧を身に纏うディアータが闇に消える。

 暗闇の中で光に照らされる彼女の姿は闇を彷徨う騎士の亡霊のようだった。


 通路は大分続き、特に分かれ道があるわけでも無く、ただまっすぐに伸びるだけだった。

 ディアータは音のする方を確認しながら、それが確実に近くなっているのを確認する。

 そして、漸く足音の正体が眼前に現れた。

 その姿を見た瞬間、ディアータは驚きを隠せなかった。

 獣の皮で編まれた鎧に身を包む、清潔感の欠片もない男たちの中に、純白の鎧を纏うものがいたのだ。それはまさにテテロ村で見かけた聖王騎士団の鎧そのものだった。


「とまれ! 何かいる……」


 小汚い男の一人が叫んだ。


「これは驚いた。まさか賊の中に、国を支える騎士団がいるとは」


「その声、女か? なにもんだっ!」


 暗闇で金属の擦れる音が静かに響く。

 松明の光の下に姿をさらし、賊にその身を曝け出す。


「私は、貴様らを殺すものだ」


「なぜこの道に余所者が入り込んでいる。ウルスはどうした?」


「察しが悪い。彼女ならすでに私が殺した」


「なにっ!?」


 騒めきたつ賊を無視して、ディアータは聞く。


「貴様らがウルスと取引をしていた賊か? 売れなくなった娼婦たちを安い金で買っていたのは。非道な行いをしていたのは貴様らなのか?」


 賊の一人が汚い笑みを浮かべて返す。


「だったらどうした? 売れないもんを有効活用してただけだ。むしろ感謝されるべきだぜ?」


「ああ、あいつらだって気持ちよさそうに善がってたしな。たまに酷く拒んでくるやつもいるが、それを捻じ伏せて無理矢理犯すのがたまらねーぜ!」


 同調にゲラゲラと下卑た笑いを地下道中に響かせる。

 そんな男たちの言動に腸が煮えくりかえるのを感じながら、ディアータは言葉を吐き捨てる。


「――下衆が」


 ぼそりといった言葉に対して賊の男が煽るような声で聴き返す。


「ぇえっ! なんだってぇ!? そんな小さい声じゃきこ――えっ?」


 男が言葉を言い切る前に、その言葉は打ち消された。

 男自身、自分の身に何が起きたのか理解できぬまま、血の雨を降らす道具となり果てたのだ。


「な、なにが起こったっ!!?」


 男の首が宙を舞い冷たい石盤に落ちるのを視認してから、周りの男たちは騒ぎ立てる。

 もしや眼前の鎧を着たやつがやったのか? そう思いふと前に向き直るとそこには既に鎧姿の者はいなくなっていた。


「奴はどこに行った!?」


 闇の中、松明の明かりを頼りに周りを見回す男の背後から小さく声が聞こえる。


「この程度も視認できないとは……愚鈍な連中だな」


 そしてまた一人、男の首が転がった。

 その異常事態に純白の騎士が抜剣し構える。


「貴様は抜剣術は使わないのか?」


 松明の明かりのもとに照らされながら、バイザー中から赤い光をのぞかせ、騎士団の男に訊く。


「なぜそれを? ふんっ! あんなもの下級団員どもが使う低レベルな技にすぎない。俺くらいなら、もっと強力な剣術をもって相手をする。まさか、既に騎士団の誰かと戦ったことがあるのか? だが、その情報からだと、大したことのない連中だったんだろうな」


「私からすれば、貴様も大したことはないぞ」


「いってくれるな」


「おい!」


 賊の一人が無粋に言葉を投げる。


「あんた一人の獲物じゃないんだぜ? 俺たちは仲間を二人も殺されたんだ。横取りはすんなよ?」


 賊というものは仲間が殺されても、そこで怖気づくような生ぬるい連中ではないようだ。一層に闘争心を湧き立たせながら、手に持つ獲物を構え始めた。


「存分に嬲った後は身ぐるみを剥がして楽しませてもらおうぜ!」


「この数が相手だ、余裕だろ」


 余裕綽々と言った感じで笑って見せる男どもに辟易しながら、ディアータは黒剣を構える。

 その瞬間、一斉に賊が襲い掛かってきた。それほど広くない場所で一斉に向かってくるというのは人の壁が迫ってくるというものだった。

 しかしそれは非常にやりやすい。

 黒剣を体の前で横に構える。大剣である黒剣は賊の手にする片手剣や短剣とはリーチが違う。彼らが持つ間合いより、ディアータの作る間合いのほうが遥かに広い。

 そして、自身の剣の間合いまで賊を引き付けてから、その力に任せて剣を横なぎに一振り。

 剣の風圧も相まって、間合いに入った賊の体が腹を境目に両断され、後方へ吹き飛んでいく。ギリギリ間合いに入っていなかった者も、剣の風圧によって同じく後方へ吹き飛ぶ形となって、迫る人の壁は一瞬にして崩壊した。

 たった一撃で賊の3分の1は削れた。


「こんな狭いところで一斉にかかってきては自殺に等しい行動だとは考えないのか?」


「剣の風圧だけでこれだけの威力があるとは……。その恰好、もしかして暗黒騎士というものか?」


 この世界で言われる【暗黒騎士】とは、聖王騎士とは無論、真逆の立場にある騎士のことで、基本的に闇側の、魔王の元に仕える騎士のことを指す。ゆえに、その脅威は聖王騎士団の中ではかなり上に当たる存在だ。


「漆黒の鎧。まさにそうだな。魔王直属の騎士がなぜ光国にいるかは非常に気になるところだが、今はこの場を収めるのが先決だ。地の利を生かせ」


「ああ」


 賊たちには手に負えない相手だと理解したところで、先ほどまで手を出さずに待っていた騎士たちが剣を構えた。


「考えろ。私に届く戦いを。出ないと、一瞬で終わるぞ」


「自分の実力に相当の自信があるようだな。だが、そんな重そうな鎧を着てさぞかし動き辛いだろう?」


 そう言葉を残すと、騎士の一人がその姿を消した。

 そして、もう一人の騎士が剣を地面に這わせながら、ギリリリという金属音を鳴らせ向かってくる。

 速さはそれほどない。しかし、ディアータも俊敏さにおいてはそれほど優れてはいないため、眼前の騎士とは同格。彼の剣を振り上げる攻撃は彼女に届くものではないものの、その剣技の軌跡は、十分ほかの騎士よりも優れていた。

 やはり、先ほど自負していただけのことはある。

 素早い跳躍をしたわけでも無く、視認できるレベルの速さで繰り出される剣技には目に見えて変わった特徴はなかったが、それを黒剣で弾き返したとき、それに加わる剣の重さが他を圧倒するものだった。

 眼前の騎士はディアータと同じ誇る膂力に任せて戦うタイプだったのだ。

 とはいえ、力任せの戦法だけで渡り歩けるほど世界の戦場は甘くない。いかに相手の隙をつけるか、そういった探り合いや力に加えて素早さで相手を翻弄させたりなど、そういった策や技を要していかなければ到底勝てない。

 ただ、その圧倒的なまでの力の差が存在していれば策など弄さずとも勝ててしまうのが実際のところだ。現にディアータはそういった存在である。

 重い一撃を受けても、それはあくまで、彼女にとって、同じ騎士団の中では圧倒的に強い一撃だったという認識でしかない。

 彼女が経験した中で比べてしまえば、さほど気にも止まらないレベルの誤差でしかないのだ。

 自身の一撃が、相手を少し圧倒したと勘違いをした男は、誇らしげに笑って見せる。

 そんな男の阿呆な勘違いに馬鹿らしいなとあざけるディアータっだったが、そんな男など無視して、黒剣の剣先を緩やかな軌道に乗せて後方上部へと向ける。

 すると金属同士が衝突したときの耳を劈く高音が鳴り響いた。


「馬鹿な!? 見えているはずがない!」


 そんな言葉と共に、ディアータの後方上部で姿を見せたのは先ほど姿を消していたもう一人の騎士だった。


「私は黒兎人コーネロだ。不可視化したところで、貴様の動く音で居場所は知覚できる。すべてを遮断させれば、私の不意を衝けたかもしれないが、貴様ではそんな芸当はできないだろう」


「ちっ! 亜人だったのか! 亜人で暗黒騎士とは分が悪すぎるな」


「なら仲間を呼べばいい。いくら増えたところで戦況に変化は起きないがな」


 ディアータの挑発に苛立ちを覚ええる男たちだったが、それはできなかった。

 娼館や賊と関係を持っている以上、表立って国を支えている聖王騎士団を呼ぶことはできない。この場では現状、騎士団二人と賊の数十人で戦うしか選択の余地はないのだ。


「おいお前ら! 女の気を引くくらいはできるだろ!」


「あたりめーだろ! 騎士団連中に引けは取らねーよ。行くぞお前ら!」


 また馬鹿の一つ覚えだと、ディアータは辟易した。

 一斉に襲い掛かる賊連中と合わせて後方から先ほど姿を消した騎士が地下道の壁を素早く跳躍してディアータに向かってくる。左手に剣を握り、右手に赤く光る炎が宿っていた。

 そして、男は右手に携えた炎をディアータめがけて放つと、地下道一帯を照らすほどの炎が彼女へと降りかかる。しかし、ディアータはそれを一切かわすことなくその身で受けると、炎の中からその姿を突如として現した騎士の男が振りかざした剣を黒剣でたやすく受け止める。


「炎をその身で受けておきながら、俺の攻撃を普通に受けとめるか……。いったいどんな体をしてやがる」


「騎士ばかり相手にしてると痛い目見るぜ!」


 空中を飛んできた騎士を受け止めているせいで、ディアータの懐はがら空きだった。

 まさか霧散したとはいえ、炎の残炎がある中でそこへ普通に飛び込んでくるとは思うことができなかった彼女は賊の男の攻撃に反応が遅れてしまい、完全にかわすことができず攻撃を許してしまった。

 賊の短剣が漆黒の鎧に掠り傷をつけた。

 防御性能はそこら辺の高級武具でも到底及ばないもののため、別に躱さなくても弾き返すことはできるが、彼女は躱し切ることに注意を払っていた。しかし、見誤ってしまった結果、鎧に小さいながらも傷を残してしまった。


「なんつう堅さだっ!」


 男が悪態をつきながら、ディアータから距離を取り、炎に飛び込んだせいで服に着いた火を払い消していると、男めがけて騎士の一人が飛んできた。

 空中でその剣を止められていた騎士が、圧倒的なディアータの力によって、その体を思いっきり弾き飛ばされたのだ。


「化け物みたいな力だな。黒兎人とか言っていたが、中に入っているのは異形なる存在ゲシュペンストじゃないのか? じゃなきゃあの力は説明ができないぞ……って、なんか様子が変だぞ?」


 男たちの眼前では、暗黒騎士が鎧に着けられた傷をそっと触るようにしてその身を震わせていた。


「……よ、よくも、よくも私の鎧に傷をつけてくれたな……………………殺すッ」


 限界を超えた殺意が魔力として融合して紅く外へ放出され、炎のように淡く漂うようにその身を覆い始めた。


「お、おいなんだよあれっ!? なんかの魔法か?」


「……違う。あれは……っ!」


 騎士の一人がディアータの異様な姿に身を震わせるほどの恐怖を露わにさせる。


「……冥加ディローネ


 その身にオーラを纏った者は、飛躍的にその能力を向上させ、何人も寄せ付けない絶大的な力を有する。それはまるで神が与えた奇跡のようで、神の加護を持ったもの【冥加ディローネ】として知るものを恐れさせていた。

 この世界でもその力を顕現させた者は歴代の勇者と、聖王騎士団すべてを束ねる最高峰の統括だけだった。


「や、やばい! ……勝てないっ。こんなの、逃げるしかない!」


 騎士の一人が血相を変えて脱兎のごとく通路の奥へと逃げていく。


「おいおい、聖王騎士団様がなんつう様だよ。なさけねー。こんなのただのこけおどしだろ?」


 知らなければ何も恐れることはない。無知というのは残酷だ。

 だが、当の本人であるディアータ自身、そのことには気づいていない。

 鎧に傷をつけられたことで理性の箍を崩壊させていたため、思考のすべてが暗黒と化していた。



「赦さない…………殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺してやる!!!!!!!!!!」



 空中から深紅の大剣を顕現させ、両腕に大剣を握ると、ディアータはゆっくりとその歩みを進めた。

 一歩、彼女が足を踏み込みと、地面が砕けていく。

 地響きを伴う彼女の歩行にさすがにその危険さを実感した賊たちも一斉に後方へと逃げだした。

 しかし、賊の逃げ足など、今のディアータにとっては蝸牛レベルでしかない。

 幾ら必死に逃げたところで、いくら魔法による強化をしたところで、彼女が一度跳躍すれば、100mの距離も1秒でなくなる。

 そして、逃げ出した男たちを追ってディアータが跳躍をすると、踏み込んだ石盤が凄絶な爆発とともに後方へ吹き飛び、彼女は賊の男たちのすぐ後ろに追いつく。

 跳躍した速度に乗せて、そのまま両手に持つ大剣を振るい、逃げ惑う男たちを一瞬のうちに刻み、血飛沫と肉の雨を降らせた。

 漆黒の鎧も飛沫した賊の血によって深紅色に光を反射させていた。


「こ、こんなの、勝てるわけがない! 騎士団の地位なんて知るか! 罰ならいくらでも受けてやる!」


 賊と共に逃げていた騎士団の一人がポーチから小さな木笛を取り出して、思い切り拭こうとした瞬間、小さく音が鳴ったかと思うと、それは剣によって骨身を刻まれるぶつ切り音によってかき消されてしまった。

 たった数秒で十数人の賊と騎士が肉塊と化して地を染め上げる。

 ぐちゃりと男どもの肉塊の床を踏み、ディアータは先に逃げた騎士の男を追いかけた。

 先に逃げた騎士の一人は逃走中、魔法によって自身の俊敏性を底上げして逃げに徹してた。そのため、意外とディアータと男の距離は広がっていた。

 しかし彼女にそれは無意味な話だった。


 男は顔をゆがませながら必死に追いつかれないように逃げていく。

 地下道の先、賊の潜窟先が広がる場所まで騎士は逃げ込むことができた。

 ウルスの合図によって動いたのは賊の半数もない。大半の戦力は地下道にある根城に待機していた。

 騎士の一人が血相を変えて逃げかえってくるのを賊の男どもが目にして、「おい、どうしたんだ?」と声をかけるも、そんなことば彼の耳に入ることはなく、男はそのまま賊たちを素通りして、根城の奥へと入っていく。

 賊の根城には抜け穴が無数に作られており、そこから普段様々なところへ出ていくのだ。そんな外へ通じる通路をもとめて騎士の男は走り続ける。


「死にたくないっ! 俺はまだ死にたくない!」


 そして男は街の外へつながる道を探すべく、賊の頭領の元へ向かっていた。

 しかしその直後、後方から賊たちの断末魔が聞こえてきた。


「き、きたぁああ!!!」


 目に涙を浮かべながら、男は頭領の元へ急ぐ。

 漸く頭領の元へたどり着き、細かい内容も説明せず、道だけを聞き出そうとするも、頭領はなかなか答えを言わない。なにせ、ウルスの元へ娼婦をもらいに行ったのに、無様な姿で逃げかえってくるのだ、尋常ではない状況にあるのは理解できる。賊をまとめ上げる頭領としては見過ごせないものだった。だから、今にも発狂しそうな騎士の男に訊き返す。


「いったい何があった? 他の連中は?」


「そんなことはあとでいいだろっ!! 今は早くこの場から逃げたほうがいい! でないと死ぬぞ!」


 そう頭領に叫んだところで、頭領の部屋の外で男たちの絶叫が響く。


「何事だ!」


「もう終わりだ……」


 藁にもすがる思いで男はポーチから木笛を取り出して吹きならす。


「馬鹿野郎っ! てめえ俺たちをか!」


「こうでもしないと俺たちは助からないんだよ!」


「いったい何を――」


 突如部屋の外が静かになった。

 奇妙な静寂のあと、頭領と騎士の男がじっと部屋の入り口を見つめる。

 すると、ゆっくりとその扉が開いていく。

 そこにはもはや最初から深紅の鎧だったのかと思わせるほどの血に染め上げられ、いたるところに肉片がこびり付いている暗黒騎士の姿があった。

 その姿を見た騎士の男は引きつった笑みを浮かべた。


「だれだてめえー!」


「……」


 深紅の騎士は無言に立ち尽くす。


「だんまりか? ここをの根城と知っての狼藉か? てめぇー、生きては返さねーぞ」


 そんな頭領の言葉など無視して、深紅の騎士はぐらりとその歩みを進めた。

 まるで壊れた傀儡人形のように一歩踏み出すごとにがくりと力なく揺れる。

 紅いオーラを纏っているため、それが異様さに拍車をかけていた。


「不気味な野郎だぜ! まるで屍人アンデットみたいだな。ま、このグスタフ様に掛かればどんな相手だろうと瞬殺だ。盗賊の頭をするだけの実力をてめーに見せてやるよ! 【幻影ファントム】」


 グスタフは魔法によりその身を分散させた。

 行使した者の魔力によって分身体の数は変わってくる魔法で、通常でも3人程度しか作り出せないものだが、グスタフは6人にまで分身を創り、同時に深紅の騎士へと持ち前の獲物で相手の急所を狙っていく。

 そこから先の戦闘はもはや戦闘ではなかった。

 まるで、深紅の騎士の周りに見えない刃でも回転しているのかと思わせるほどに、一定の距離に近づいたとたん、グスタフの体が一瞬にして原形を留めない肉塊へと化していったのだ。

 そして技も空しく跡形もなく死んだグスタフを見て、死期を悟った男は一矢報いようと、自身が持てる最高峰の攻撃魔法を放った。

 勝てるとは到底思えない。だが、にはなる。

 男は深紅の騎士に向き直ると、震える足を鼓舞して魔法を放つ。


轟絶の烈火ログレシアフレイム!!」


 深紅の騎士めがけて天蓋から凄絶な炎の柱が降り落ち、轟音と共に騎士を覆いつくす。その熱量は近距離にいたものまで焼き殺してしまうほど。

 床に散らばるグスタフの肉塊も一瞬にして灰と化した。

 男が意識を消さない限り、魔力が尽きない限り魔法は持続可能。


 ――どれほど経ったのか。


 死と隣り合わせの戦況下では、1分が1時間まで引き延ばされる。

 そんな緊迫感の中で、男は瞬きせずに自身が生み出した炎の柱を見据える。


 ――頼む、頼む!


 そう心の中で叫ぶ。

 しかし、そんな中、視界に映る自身の魔法を維持するために突き出した両腕が、見る見るうちに崩壊していくではないか。


 ――どうして!?


 男がそう思っていると、視界の先、すぐ目の前に、陽炎のように深紅の騎士が姿を見せた。


 ――隠蔽ヴォーゴか……。


 ディアータに対して最初に騎士が使った魔法。


 ――どうしてこうなった?


 男は次第に刻まれていく恐怖よりも、後悔ばかりが頭をよぎる。

 真っ当に生きていれば、もっと違った運命をつかむことができたのか。

 男の中で、恐怖が臨界点に達し、すでに恐怖が存在しなくなってしまった。

 すべてを諦念に支配され深紅の騎士によって体を刻まれていくのを甘受していた。

 そして……同胞たちと道を同じくした。


「ぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!!!」


 誰もいなくなった空間で虚無に苛まれ、箍の外れた憎悪の感情がおさまらないまま、殺す相手もいなくなってしまった状況下で、彼女の感情は行き場を失い、悲痛の叫びとなって咆哮する。

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