第33話 運命のベルは鳴った①
次の日。
さくらは始発の新幹線で、張り切って登校した。
父の涼一は転勤初日だ。新しい職場で挨拶をし、現状の報告を受けたら午後、学校に来くれて事情を説明するるらしい。軽井沢には、一緒に帰る予定でいる。
「おはよう」
始発に乗っても、登校時間にはぎりぎりにしか到着できないことを知った。焦る。
それでもやはり、教室に玲はいなかった。静かに席に着く。
始業のチャイムが鳴り、朝のホームルーム。一時間目がはじまる。
授業開始後三十分ほど経ったころに、教室後方のドアが開いた。そっと様子を窺うと、ようやく玲が来たところだった。
視線が合った。
さくらは激しく動揺したまさか目が合うとは思ってもいなかったので、固まってしまった。
すると、玲はやさしくほほ笑んでくれた。いつもの顔だった。
さくらはあわてて頷き、顔を黒板方向に戻した。ほかにはなにも、意思表示ができなかった。
一時間目が終わると、ぽんと机の上に包みが置かれた。
いつも使っている、さくらの弁当箱。
見上げると、玲がどうだとばかりに目の前で仁王立ちしている。
「これから、お前の弁当は俺が作ってやる。毎日、真面目に登校するのか」
「うれしい、忙しいのにありがとう。今日、父さまが学校に話をしてくれるから。試験休みに入るまでは、たぶん登校できると思う」
「それと、こいつな」
頭上から降ってきたのは、大量のマスク。
「新幹線なんて、不特定多数の人間が乗るんだ。どんなウィルスが浮遊しているか、分かったものじゃない。絶対にマスクをしろ。お前好みの青とかピンク、柄マスクも用意した」
「ありがとう、玲。すごくうれしい、私……うれしいよお」
さくらは泣いていた。泣くつもりはなかったのに、涙が止まらない。
ぽろぽろ、ぽろぽろ。涙の粒は次々と生まれて来る。
「ばか、これぐらいで泣くやつがいるか」
「うん」
一度流れはじめた涙は、どんどんあふれてゆく。
「さくら、移動しよう。みんなが見ている」
***
玲は遅刻に続き、さくらをなぐさめるために、二時間目もサボることになってしまった。
手をつないで連れて行かれた先は、校舎の屋上だった。風が強くて少し寒い。
ふたりは階段の踊り場の隅に戻り、壁に立てかけてあったベニヤ板を床に敷き、隣どうしくっついて座った。
「これ。昼休みに渡そうと思っていたんだけど」
玲が渡してくれたのは、合格祈願のお守りだった。
「北野天満宮」
確か、天神さん。西陣で歩いているときに、前を素通りした神社だ。
「買いに行った」
「また京都まで?」
「ああ。金曜の夜、部屋を出たあとに勢いで。土曜にお参りをした。お守りを買っただけじゃなくて、ちゃんとご祈祷を申し込んで祝詞を挙げてもらったんだ。大安の土曜だったから、半日もかかったよ。北野天満宮は、学業の神さまの菅原道真公を祀っている。東京にも、湯島天神とか、谷保天神があるけれど、さくらは京都の大学を受験するんだもんな、遠方で祈願するよりも、近いほうがご利益あるだろ」
一時間目を遅刻したのは、帰りもバスだったからだという。早朝にバスで東京に着き、いったん自宅へ戻って弁当を作り、制服に着替えて登校したらしい。
つい先日、京都から戻ったばかりだったので倹約した……というのは、建前で。
「日曜日、お前を冷静に見送る勇気がなかったんだ、ごめん。取り乱しそうで」
お守りのほかに、メッセージカードもが入っている。聡子と類からだ。
「ありがとう、いろいろと。今、読んでもいい?」
『さくらちゃん、応援しています 聡子(母)より』
『さくらねえさんなら、ダイジョウブ。てか、東京に残ってぼくに乗り替えなよ。いっぱいゼイタク、させてあげるよ 姉激愛の類より』
しかし、類のメッセージの後半には、文字の上に黒い線が――――――と引かれ、無残にも消されていて、かろうじて判読できる程度だった。
おそらく、玲の仕業だろう。
でも、うれしくて、また涙がにじんでしまった。
「祥子にも会って、言ってきた。『いずれは、さくらと一緒になりたい』って」
「納得してくれたかな?」
「まさか。京都に来たら、俺たちの仲を全力でじゃまする、と逆に宣言されたよ。祥子らしいといえば、らしいけど」
「どうするの」
「俺も、全力で抵抗する。祥子の思うままにはならない。だから、さくらも俺に協力してくれ。過去の……類とのことは、忘れるから。さくらのことばを信じる」
「……この前、あんなに疑ってかかっていたのに」
「最後まで遂げたなら、類が自慢して言うはずだ。でも、言わなかった。あいつに受けた傷、まだ残っているのか?」
「うん、少しは」
だんだんと赤みが引いてきたけれど、完治はしていない。実は今日も、制服のジャケットの下はタートルネックのニットを着ている。寒い時季でよかった。しばらく、薄着はできそうにない。
「なにもしないから、見せてくれないか。傷をつけてしまったのは、俺の責任だ。さくらを守るとか大言吐いておきながら、ちっとも実現できなかった、俺の。だから、自分の不甲斐なさを、この目に焼きつけておきたい。二度と、つらい思いはさせたくない」
「分かった。でも、驚かないでね。ひどいから」
二時間目の授業中。
屋上に来るような人間はいないが、周囲に人の気配がないかどうかを再確認したあと、さくらはそっとジャケットとニットを脱ぎ、白いブラウスのボタンを外しはじめた。
静かな空間に、意外なまでに響く衣擦れの音。
「ほ、ほんとに、脱いでくれるのか」
「玲が見せてって、言うからでしょ。絶対に絶対に、内緒で。類くんを責めるのも、なし」
「了解」
ごくりと、玲が息を飲む音がした。
ガーゼの下に隠されているさくらの傷は、痛々しい。類のつけた痕が、いくつも残っている。ようやく傷が塞がった段階で、完治にはまだ遠い。
かといって、さくらは病院にも行けなかった。
「ひどいな。痛かっただろ。なんてことしてくれたんだ、あいつ」
そう言いながら。
玲は患部をガーゼで閉じ、やさしく傷口を撫でた。いたわるように、そっとやさしく。
いやな感じは、まったくしなかった。かえって、さくらは癒された。
「私がはっきりしなかった、罰。類くんの言う通りだもん。あの夜……実は、私が駄々こねたの。東京には、帰りたくないって。だから類くんは、私のために泊まるホテルを用意してくれて。ほかにも、服とか、小物も全部。なのに、途中で、やっぱり……玲のこと、思い出して、拒否したから……」
「だからって、これはただの変態の仕業だ」
「類くんは、私にちゃんと釘を差してくれた。ぼくと泊まったら、どういうことになるか分かっているねって。私も、もちろん覚悟してついて行った。でも、玲への気持ちを断ち切るなんて、玲を忘れるなんて、やっぱりできなかった。玲、ふらついてごめん。そばにいたい。受験、がんばるね」
「ああ。俺のそばにいてほしい。できたら、京都でも同居しよう。今みたいに、同じ鍵を持って暮らそう。一秒でも長く、一緒にいたい」
「うん、約束だよ」
「俺は、ふたりで住む部屋を探す。さくらは大学に合格する。よし、当面の目標ができたな」
ふたりは、誓いの指切りをした。
***
その後。
さくらは死に物狂いで勉強した。軽井沢の隔離部屋で、通学途上で、おふろの中やトイレでも。
それでも、睡眠時間は最低五時間を死守し、テレビも見ず、ゲームもせずに勉強に励んだ。どんどん浮世離れする自分を感じたけれど、些細なことに構っていられない。
クラス担任には、今から京都の超難関校を受験するなんて無理だと、はっきり宣告されてしまったが、さくらは意見を変えなかった。
冬休みもクリスマスも年越しも新年もなく、雪降る軽井沢で迎えた。
実は、さくらの猛勉ぶりを心配した涼一が、三日間ぐらいなら帰省してもいいよと、ささやいてくれたのだが、さくらは自分の意思で拒否した。
携帯電話も使わなかった。
玲の声が聞きたいときや、短いメールでもいいからほしいときもあるけれど、さくらはもらったお守りを握り締め、じっと耐えた。
離れていても、心はつながっている。
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