第20話 想い①

「柴崎。柴崎玲。欠席か」


 次の日。


 いつもの時間に起きたら、すでに玲も類もいなかった。ふたりとも仕事に出たらしい。しかしまあ、よく働く家族だ。


 泊まりがけでの撮影が入っている類は今夜、帰らない予定。

 玲とは学校で会うだろうと思い、お弁当を作って登校したものの、学校には出て来なかった。欠席なんて、意外だった。


「笹塚。柴崎は具合でも悪いのか」


 担任が、さくらを名指しした。いっせいに視線が集まる。


「いいえ。私は」

「欠席理由、なにか聞いていないか」


 聞いているわけがない。けれど、さくらは玲が学校で不利にならないよう、適当な理由を考え。


「そういえば、出がけにおなかが痛くて微熱があるって言っていましたから、途中で帰ったのかもしれません。あとで、連絡を入れてみます」

「無断欠席は、成績に響くぞ。カゼも、はやってきた。受験生の皆も、体調管理には気をつけるように」


 親も類もいない今夜は、玲とふたりきりだと、どきどきして浮かれている自分がいたのに。ばかみたい。


 休み時間、さくらは玲に電話をした。メールも送った。しつこく。けれど、電話はずっと留守電のままで、とうとうメールの返信もなかった。

 玲に作ってきたお弁当は、もったいないので純花に食べてもらった。


 まったく、どこに行ってしまったのだろうか。メールぐらい、時間のあるときに短い文面でいいから、返してくれてもよさそうなのに。


 なんて、薄情なやつ。さくらは心の中で毒づいてみたけれど、すぐに空しくなった。どこかで倒れていたらどうしよう。

 一応、心当たりがないかどうか、類にも連絡を取ってみる。こんなときに限って、多忙な類からは即返事がある不思議。


『どうしたの、ぼくのいとしいさくら。ぼくのことが、恋しくなった? さくらの身体、今すぐぎゅっと抱いてあげられなくて、すごく残念だけど、今夜は帰れないんだ。玲? 例のバイトじゃないのかな。朝早くに出ていったよ。昨日のことで超むかついていたから、声もかけなかったけどね!』


 などという、けったいな内容だ。


「ぼくのいとしいさくら。ぎゅっと、抱いて、あげられない……? 差出人、ルイくん? えっ、弟のルイくんとは、やっぱりそういう関係? きゃっ」


 横からメールの画面を覗き込んだ純花が、軽く悲鳴を上げる。さくらはあわてて画面を隠したけれど、すでにほとんどの文面を読まれていた。


「ちょっと純花っ。違うよ。これは、いつもの挨拶というか、類くん式の定型文なの! 誤解しないで」

「刺激的な挨拶過ぎて、ついていけない。ルイくんと、そんな仲だったなんて。禁断の姉弟愛。いいなあ、うらやましいなあ。すっごくやさしくしてくれそう、あーあ。溺愛万歳」


 実物に会ったら、類の軽薄さにきっとがっかりするに違いない。類は、純花と会わせたくないと思う。


「玲がいないことを、問い合わせただけなの。付き合いの長い弟なら、居場所を知っているかもって、淡い期待」

「さっきの、腹痛微熱は嘘なんだ。じゃ、バイト先は?」

「連絡先、知らない。それに、私の把握していないアルバイトも、まだまだあるみたいで」

「ま、柴崎くんは進学コースじゃないから、この時期教室にいなくても、あまり関係ないんだけどね」


 クラスメイトのほとんどは、受験で染まっていたけれど、例外もいた。すでに推薦で決まっている人、専門学校へ進学する人、海外留学を志す人、などなど。


 玲は進学コースではなかった。

 成績はかなりいいほうなのに、なにを目指しているのか、聞いたことがない。近くにいて理解していたはずなのに、実はなにも知らない。


「で、こんな大切な時期にルイくんと、らぶらぶなことしているの? 毎日? あー、もう。どういうことよ。勉強そっちのけか」


 純花は勝手な想像をたくましくしていた。否定しても聞いてくれない。


 結局その日、玲は学校に姿をあらわさなかった。心配で心配で、さくらは授業が終わると自宅に飛んで帰った。

 具合が悪くて、マンションで倒れているのではないかという不安があったからだ。


 だがしかし、玲は家にもいなかった。家族の予定表も空欄のまま。

 まさか、事故にでも巻き込まれたのではないか。明日になっても玲からの連絡がなかったら、親に知らせるべきかもしれない。


 新婚旅行に出かけた、親の帰宅は四日後。


 さくらは一晩中、不安に包まれたまま、ひとりきりの夜をじりじりと過ごした。


 おはよう、と声をかければ返事があった。家族がいる、うれしい、とつい先日まで笑っていたのに。


 玲がいない。


 帰宅を待ちながら、うっかりソファで寝てしまったさくらは、だるくて重い身体を引ずるようにして、登校することにした。


 玲のことが気になって、昨日は家事はまったくはかどらなかった。


 掃除もできなかったし、洗濯物も山盛りのまま。キッチンのシンクには、洗うべき食器が何枚も重ねられている。人のせいにしてはいけないけれど、新居に引っ越ししてきて、室内がもっとも荒れている状態。


 しかし、玲は今日もいない。味気ない。そっけない。さみしい。


 なかば諦めつつも、定期的にメールを送り続ける。もしかしてを期待するが、やはり返事はない。どんだけストーカーやっているのかと思いつつ、まるでひとり相撲のようで、さくらは疲れてしまった。帰ってきたらひどく叱ってやりたい。

 さくらは意気込んだ。


***


『学校、何時に終わる?』


 五時間目と六時間目の休み時間に携帯を確認したら、こんなメールが届いていた。

 アイドルモデルの類からだった。玲ではないかと、少し期待して画面を開いたのに。


『三時半ぐらいだよ。駅前で、買い物を済ませてから、帰るね。類くん、今日は帰宅する日だっけ』


 類の今日の予定を、思い浮かべる。けれど、なにも思い出せなかった。


 玲がいないとなると、類とあの部屋でふたりきりになってしまう。どうしよう、気まずい。

 いや、そもそも玲が悪い。守るって言ってくれたのに、どこかへ消えるなんて。

 両親が帰ってくるまで類と過ごすなんて、か弱いうさぎをトラの檻の中に放り込むようなものだ。


「なんでもかんでも人のせいにすると、ものごと万事簡単だよね……」


 類からの返信はなかった。そもそも、類は気まぐれな性格なので、あまり考えないほうがいい。振り回されるのがオチだから。

 さくらは小さくため息をつきながら、バッグに携帯をしまった。


 下校時刻が近づくと、校内が騒然とした。特に女子が、恐慌状態に陥っている。窓という窓から、女子高生が顔を出して一点を集中して見つめている。


『間違いない! 校門の前に立っている人、あれ北澤ルイだよぉ』

『本物?』

『まじやばい、まじやばいんだけど』

『うちの三年に、お兄さんがいるって話、聞いたことあるよ』

『脚、長い。顔、小さ過ぎ! 超かっこいいっ』


 さくらのクラスにも、騒動が伝播した。クラスメイトが全員、さくらを見ている。


『柴崎くんはお休みだし、これは……笹塚さんに、用事があって待っているってこと?』

『天下のアイドルモデルを待たせるなんて、どんだけ仲いいの』


 私語が飛び交うので、帰りのホームルームがなかなかはじめられない担任教師はいらついていた。とうとう、騒ぎに便乗する始末。


「お、ほんとうだ。それっぽいな。みんな、笹塚のためにホームルームをさっさと終えるぞ」

「はーい!」


 こうなると皆、聞き分けがよかった。ほかのクラスに出し抜かれないよう、校門へのダッシュ用意を万全に整える。


『私、笹塚さんのために道、開ける』

『切り開く必要があるよ、きっと』

『ほかの女子に、じゃまされないようにしなきゃ』

『殺到するだろうね』


 本人の心とは裏腹に、類は突拍子もないことをしてくれた。なぜ、人の学校の前で堂々と待ち伏せる? 騒ぎになることは目に見えているのに。

 こっちは一般人だ、類とは違う。頭が痛くなってきた。


 ホームルーム終了のチャイムと同時に、多数の生徒が廊下を走りはじめた。黄色い歓声をあげながら、我先にばたばたと校門を目指す。


 衆人環視の中、さくらは動けなかった。

 どうせ北澤ルイに会いに行くんだろ的な冷ややかな視線が、受け入れられない。

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