第16話 絶望の果てには夢がある③

 三日後に、休暇が取れた涼一は、さくらとともに学校へ向かった。問題を釈明するために。

 校内で、さくらはすっかり有名人だった。ただし、色物として。



 涼一はさくらの軽率さをひたすら謝り続け、類を擁護した。

 自宅謹慎は、間もなく解かれることに決まったけれど、しばらくは噂の的となるだろう。だが、さくらは負けるものか、と意気込んだ。



 一方のお相手、類はというと。


「困ったね」


 笑顔で、それだけしか言わなかった。なにしろ類は、清潔感いっぱいのさわやかイメージで売っているのだ。女子絡みのスキャンダルなんて、大打撃もいいところ。


 流出写真の件で、所属事務所からもさんざん絞られた様子なのに、あくまで飄々としている。この軽さと明るさが類のいいところでもあるけれど、当のさくらにしてみれば苦笑せざるを得なかった。


「でもこれで、さくらがぼくのものだって、世間には知れ渡ったよ。ぼくには、いい傾向」


 前向き過ぎる!


「なんてことを。怒られたでしょ」

「いいの、いいの。言わせたいやつらには、適当に言わせておけば。そうそう、明日のラジオ出演で、今回の件を少し話すことになっているから、聞いてね」

「少し話すって、なにを?」

「決まっているでしょ。ぼくと、さくらの関係」


 関係、なんて言われると、いかにもあやしい気がする。退廃的で淫靡な香り、とでも言うのだろうか。


***


 類はうまく喋った。


『あの写真は、ぼくです。写真の相手は、ぼくの姉です』


『でも、最近家族の事情で、姉になってくれたばかりで、身内としての意識が希薄だったことは認めますし、反省もしています。ぼくは姉のことが、好き。大好き。とても大切な存在です』


 家族一緒に、揃ってラジオを聞いていが、涼一はリアルでお茶を吹いた。さくらも、叫びそうになった。

 油に火を注いでないか? いくらなんでも、『好き』は、ないだろう。


「この言い方じゃ、みんな誤解するよね? 玲は、どう思う」

「……さあな」


 つまらなさそうに、玲はソファを立った。


「おいおい。例の計画はもう少し続けて、類くんを諦めさせてくれよ、ふたりとも」


 涼一は、玲に縋った。 


「類からの宣戦布告は受け取りました。な、さくら」

「え、ええ」


 けれど、憎めない。類の美点だった。


「でも私たち、考えたのだけれど」


 黙ったまま、ずっと考え込んでいた様子だった聡子が、会話に割って入った。


「その話は、待ちなさい。話し合っている途中だろう」


 おもむろに、涼一が制止する。


「でも、子どもたちが困っているのよ。相談したほうがいい。家族の問題だもの」


 聡子は涼一に向かって強く頷いた。そして、子どもたちに視線を送る。


「いい、よく聞いて。同居は、早かったのかなって。涼一さんと入籍して、後悔はしていない。家族が増えてうれしい。でも、きょうだいが不仲になる様子なんて、つらい。類がこんなに暴走するなんて、予想外だった。せめて、玲とさくらちゃんが、進路を決めて高校を卒業するまで、同居を一時解消しようかと」

「一時解消、ですか?」

「ええ。そう言えば、学校側も安心するでしょうし。あなたたちの印象もよくなるはず。玲はともかく、さくらちゃんには進学への内申点があるから」


 さくらと玲は、顔を見合わせた。


「私は、涼一さんと同じ空間で同じ時間を過ごしたいと思っていたけれど、やっぱりお互い仕事の日々。一緒の時間なんて、ほとんどない。だったら、私たちが我慢すればいいだけ。近い将来、この部屋でまた同居することにして、現状では別居していても変わらないのでは、と」

「そうなると、今度は聡子さんの夢を妨害してしまうことになりますよね」


 思い切って、さくらは言い返した。強い視線で、聡子を見つめる。


「私の、夢? そんなの、話したことあった?」


 不思議そうに訊かれてしまい、さくらはやや勢いを失った。 でも、言いたいことは、言っておこう。


「玲から、聞いたんです。聡子さんは、父さまの子を生みたい、と。時間的にリミットがあるから、悠長に構えてはいられないんだって。私、分かります。好きな人の赤ちゃんが欲しいっていう気持ち。私には、まだまだ早い話ですけれど、いつかそんな人がきっとできると思います」

「玲ったら、おしゃべりな子」

「さくらだって、家族だ」


 玲は聡子から顔を背けた。涼一が腕を伸ばし、聡子の肩を抱いた。


「いい子じゃないか、母親思いの」

「でも」

「玲くんはおとなだね。普通、親が子作りに励む宣言なんか出したら、引くよ? なのに、容認するどころか、応援まで。ありがたいことだね」

「この際だから、告白しましょうか。子どもといっても、高校生だし。今回の再婚を機に調べたんだけど、私の卵子は年齢の平均以上に減っていて、現状では自然妊娠は難しそうなの。だから、同居して励んでも……って、結論。玲と類の父親代わりのつもりで、働いた結果かな。母性よりも、父性の人間になっていた」

「そんなこと、ありません! 聡子さんは、私の憧れです。きれいでうつくしくて女らしいし、なんでこんなに素敵な人が、大きな娘付きの父さまと結婚してくれたのかって、今でも疑問に思います。それに、可能性がゼロでないのなら、がんばってみる価値はあります。とにかく、私は家族が離れることには反対です!」


 いつの間にか立ち上がり、涙ぐみながらさくらは家族を前に演説していた。気がついたときにはもう遅い。玲など、おなかをかかえて爆笑している。


「俺も別居には反対だ。親の再婚に振り回されてここまで来て、今さら引き返してどうすんだ。類の手から、さくらは俺が守る。しかしまあ、親に、子作りをがんばれとか勧める娘が、ほかにいるか?」


 顔を真っ赤に染めて悪態を突く玲。聡子は泣き出してしまったし、涼一は聡子の感情をおさえようと懸命に励ましている。


 だが、聡子は突然、笑い出した。

 なにごとかと、さくらは目を疑った。


「いい子どもたちを持ったわ、私! 実は、明日から新婚旅行に行くつもりなの。この時期を逃すと、お互いまとまった休みは取れなくて。あとは、よろしくね。結婚式も、ふたりだけで挙げて来る。おめでたい知らせが届けられるように、がんばってくる!」


 新婚旅行。

 再婚どうしだし、子どもが受験生なので盛大な結婚式はしない、と聞いていたが、まさか新婚旅行に出るとは。さくらは、耳を疑った。夢かも、しれない、と。


「未成年の三人を置いて、親だけで?」

「この生活にも、だいぶ慣れてきたでしょ。類はあんな感じだけど、玲がしっかり見てやって」

「そんな」

「だいじょうぶだいじょうぶ! 類は仕事が忙しいから、帰って来ない日も多いし。撮影で泊まりがけとかね」

「で、でも」


 類がいなくても、玲がいる。兄とはいえ、玲とふたりきの夜なんて、それもそれでどう過ごせばいいのか。


「急いで荷造りしなくちゃ♪」

「聡子、部屋へ行こうか。玲くん、さくらを頼むよ」


 ふたりは、リビングに取り残された。しばしの静寂。

 さくらは玲の肩に頭を預けた。


「兄弟仲がちぐはぐになったから、別居だって? 子どもが望めそうにないから、早めの同居だって? で、新婚旅行? そんなの、勝手過ぎるよね。親には、さんざん振り回されてきたのに、笑っちゃうよ。本気で怒って、損した。乙女の流した涙を、返せ!」

「ああ。同居解消なんて、許さない」

「私はこの部屋、とても好きだもん。家族が、帰って来るのを待つのも、楽しい。ひとりじゃない」

「そうだな。同感」


 玲はさくらの頭をやさしく撫でる。心地よくて、つい眠ってしまいそうになる。


「……聡子さん、新婚旅行で、赤ちゃんに恵まれるといいね」

「だけど、そのときは、お前がベビーシッター代わり確定」

「うわあ。それは、まじきつい」

「それか、代理母。私、やっぱり生めないから、代わりにお願いとか言い出して、この際、類の胤でもいいからとかで、柴崎家の子どもを生む羽目になるかもな」

「そんな展開、もっと困ります!」

「じゃ、さくらも早く独立しないと。居心地いいからって、ここのマンションでぬるま湯につかっていたら、柴崎家の家政婦で、一生☆終了」

「いや。お断りです」

「なら、拒否しろ」


 玲の隣。

 玲のぬくもり。

 玲の声。息遣い。

 玲の腕が、さくらをあたたかく包んでくれている。


 兄に、なぐさめられているだけだと分かっていても、全身が痺れるほどのあたたかさに、さくらは酔ってしまいそうになった。

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