第15話 絶望の果てには夢がある②

「北澤ルイを目撃した人によると、ルイと彼女はこのあと、人目も気にせず、熱烈にキスを繰り返して夜の街に消えたってあるよ。私が、北澤ルイのこと好きだって言ったときも無反応だったくせに、自分は本物と夜のデートか」

「違う。違うの! 遊園地には行ったけど、事情があって」

「どんな事情よ? 柴崎くんと仲よさそうにしているかと思ったら、今度は北澤ルイ? おとなしそうにして、意外ととんでもない女だったんだね」


 玲と類のことを説明しようかと考えたが、自分の一存でなにもかも話してしまうことには気が引けた。

 高校生活で、玲は弟の類のことを隠してきた。類の芸能活動に支障が出ないよう、黙ってきた。それを、ここで破ってもいいのだろうか。自分は悪くないということを証明したいためだけに、玲の努力を破ってよいものか。


「お願い、信じて。今は詳しく説明できないけど」


 さくらのことばに、女子たちがざわめいた。


『信じてって、どこを信じればいいの』

『説明もなにも、こんな写真があるのに』

『自分が、北澤ルイの彼女だからって、思い上がっているんじゃない』

『彼女じゃなくて、ただの遊び相手だったりしてね』


「おい、なにしているんだ」


 数々の非難を打ち破ったのは、今朝も遅刻ぎりぎりで登校してきた玲だった。


「ひとりを寄ってたかって囲むなんて。高三にもなって、小学生みたいなことするな。なにかされてないか、だいじょうぶか、さくら」


 玲はさくらをかばった。


「う、うん。ありがとう、平気」


 さくらを気遣う紳士的な態度の玲に、女子たちの不満は爆発した。


『笹塚さんって、北澤ルイと夜遊びしているのに、柴崎くんまで手玉に取っているわけ?』

『地味なくせに、そうとうな手練れね』

『許せない』

『ほんと。絶対に許せない』


「北澤ルイと夜遊びって、なんのことだ」


 玲が女子の肩につかみかかそうになったので、さくらはあわてて止めに入った。


「この前、出かけたとき……写真を撮られたみたいで。ネットに画像が」

「あの夜の?」

「ごめんなさい」

「だから、軽率な行動は慎めと。お前も、類も」


 頭をかかえた玲だが、目の前の敵……女子たちをなだめるのが先決だった。


「詳しくは言えないけど、類とこいつには縁があるんだ。そっとしてやってくれないか」

「どんな縁なのか、聞かせてくれないと納得できない」


 純花が食い下がった。ほかの女子も頷く。


「人には言えない秘密ぐらい、誰でも持っているだろ。それぞれの秘密の大きさや形が違うだけで」

「さくらの秘密は大きいってこと?」

「ああ。俺も、さくらと同じ秘密をかかえているから」


 玲の漠然とした説明に、煙を巻かれたように静まったけれど、納得した者はいない。それぞれ不満そうに口を曲げたり、頬を膨らませている。

 さくらに対する、嫉妬と羨望が渦巻いていた。



「笹塚、いるか? 授業の前に、話がある」


 とうとう、担任がさくらを呼び出した。件の写真は校内に広がっている、と言われた。教師に届いていても、おかしくはない。


「先生、呼び出されるのは、さくらだけですか? 俺は呼ばれないんですか」


 玲が担任を問いつめた。柴崎家の兄として、家族をかばいたいのだろう。さくらは胸が痛んだ。自分が、軽い気持ちで類と出かけたせいで、大ごとに巻き込んでしまった。


「柴崎は関係ない、今回。おーい、他の者は、一時間目の準備をするように」

「いいえ、関係あります。さくらは俺の……」


 家族だから、と言いかける玲をさくらは止めた。


「行ってくる。そろそろ授業、はじまるよ」


 後ろめたいことは、なにもない。さくらは、玲にほほ笑んだ。


***


 案の定、呼び出された内容は『流出写真』についてだった。

 会議室には校長と副校長、それに担任、学年主任など、教師が何人か並んでいる。訊問だ。


「この若い女性は、あなたで間違いないのですか」


 拡大された問題の画像を突きつけられ、取り調べがはじまった。さくらと類が抱き合っている。おそらく、遊園地の花火が上がるほんの少し前。


「はい。私です」

「相手は、北澤ルイというモデルで、間違いないのかね」

「はい」


 教師が、いっせいにため息をついた。


「出歩いてはいけないという校則はないが、きみは我が校の生徒として節度ある行動をすべきだった。制服を着ていないとはいえ、高校生だ。このような公共の場所で有名人と抱擁したら、どんなことになるのか想像しなかったのかい?」

「申し訳、ありません」

「この彼とは、ずっと親しくしているのか」

「親しい、というか……」

「恋人どうし、なのかね。きみが、みだりに下品な写真を撮られては、我が校の評判に瑕がつく」


 針の莚だった。非は、さくらにある。類に誘われて乗せられてしまったのだから。朝まで類と一緒だったことを白状したら、きっと卒倒する教師が出るだろう。

 さくらは肩を落として小さくなった。


「そいつばかりを責めないでください。北澤ルイこと、柴崎類は俺の弟。さくらの義弟です。さくらは、姉として類を抱き締めただけです」


 会議室のドアが放たれた、と思ったら、乱入したのは、玲だった。


「類の素行が悪いのは、俺たち家族全員の責任です。当時のさくらは、類のことをよく知らなくて、付き合わされただけです」

「兄。きみが?」


 校長がさくらの担任に尋ねた。


「笹塚さくらと同じクラスの、柴崎玲。先日、片親どうしが入籍して義兄妹になったばかりです。混乱を避けるために、校内での笹塚は旧姓を通していますが、正しくは柴崎姓です。笹塚の父親が、学校へ事情を話しに来た当日、校長はあいにく留守だったので報告書を提出したはずですが」

「し、柴崎玲の、学籍簿を持ってきなさい。北澤ルイが弟なのか、確認が必要です」


 校長から命じられた副校長が、入学時に提出したマル秘扱いの学籍簿を探しに行った。


「柴崎くんの言うことが正しい、と仮定して。笹塚さん、あなたは北澤ルイに対し、姉として接しているのですか」

「私は……」


 さくらは、玲の顔をちらりと窺った。玲は小さく頷いている。正直に答えよう。


「初めはとても驚きました。有名人が自分の弟になったなんて、信じられなくて。想像していたよりも、類くんは人懐っこくて、周囲を困らせてばかりですが、類くんの明るさには救われます。私は彼が弟になってくれて、うれしいです」

「写真の下には、笹塚さんのほうから、北澤ルイに抱きついたようなことが書いてありますよ。それに、世間一般のきょうだいならば、いくら弟と仲がよくても、キスまでしないと思いますが。微妙な年ごろですから、よからぬ間柄になってしまっては、笹塚さんの処分を検討するしかありません」

「それは……」


 返答に詰まった。

 きょうだいというよりも、正直なところ、男女として意識してしまうことのほうが多い。頭では理解できていても、現状に追いつけない。


「柴崎家では、日ごろから大げさにスキンシップを取り合う、欧米スタイルの家風なんです! うちの一員になったさくらも、それをさっそく実践しているだけです! 郷に入っては郷に従え。なあ、さくら?」

「へ? ええ、ああ、そうです。柴崎家はなにごとも、万事前向きな明るいオーバーリアクションなんです」


 嘘だろ、という空気が流れているものの、反論する教師はいなかった。なにせ、芸能人を輩出している実家だ。普通の家庭と違うことが起きていてもおかしくはない。


 微妙な雰囲気の中、副校長が資料を手に戻ってきた。


「ありました。柴崎玲の弟の名は、類。字は違いますが、年齢は合っています」

「『北澤』は、もちろん芸名です」

「笹塚さくらの学籍簿と、担任の報告書も読み上げてください」


 さくらの調査書には、赤字で新しく『親が再婚』『柴崎玲と家族になった』ことが書き込まれてある。


「ほうほう、思い出した。父親が直談判に来たという、あの懸案か」


 校長の承認印もしっかり捺されてあるにもかかわらず、両親再婚の件は軽く扱われていたらしい。


「とにかくだね」


 おっほん、すべてを誤魔化すように、校長は大きな咳払いをした。


「笹塚さんは、騒ぎが落ち着くまでしばらく自宅謹慎。今日はもう、帰りなさい。後日、親御さんときみを含めて面談をするから、そのつもりでいなさい」


「……分かりました。ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」


 さくらは頭を下げた。


「俺も、処分してください。類のことを黙っていたのは、兄である、自分の責任です」


 割り込む玲に、教師たちは困惑した。


「柴崎は、授業を受けること。第一、家の方針できみたちは同居しているのだろう? 若い男女が昼間から同じ空間にいたら、間違いがおきないとも限らない」

「俺たちは、そんな関係じゃありません」

「口先では、なんとでも言える。校内の生徒が兄妹になり、さらに一緒に住むなど、私は反対だった」


 猛烈に反対したのは、ふたりの担任教師だった。進路が問われるやっかいな高校三年生の秋になって、同居、兄妹と問題が勃発しては担任も頭が痛いところだろう。


「玲。お願い、教室に戻って」

「でも」

「いいから、お願い。あとで、授業のノートを貸してもらえたら、私も助かるし」


 ここで、玲の危険なアルバイトの件が漏れたりでもしたら。面倒ごとを背負ったふたりまとめて退学、なんて展開にもなりかねない。心配してくれるのはうれしいけれど、これ以上、玲を教師の前にさらしたくない。


「ここは、兄の全責任だろうよ、まったく」


 ぶつぶつ言いながらも、玲は教室に戻って行った。

 さくらの処遇について、質問攻めに遭うに違いない。類のことも、根堀り葉掘り詰問されるのだろう……それも、気の毒だ。

 そう思いながらも、さくらは帰路に着いた。

 玲なら、すべてをうまく話してくれると信じている。

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