第10話 ずっとそばにいてあげる③

「……着いたよ。降りるよ。立てる?」


 うとうとしたのは、二十分ほどだったらしい。類の声で、さくらは目が覚めた。


 到着したのは、夜の新宿。街全体が光に包まれていて、やたらと明るくて目に痛いほど。現在の時刻、九時半。こんな時間に来たことはない。


 類はさっさと映画館の入っているビルに進み、チケットを買ってしまう。上映開始時刻まで、あと五分しかない。異論も反論もできなかった。

 二時間半ものだというから、映画が終わってすぐに電車に乗れば、間に合うはずだ。弟と一緒とはいえ、これ以上無断で遅くなったら、聡子や涼一がどんなに心配するだろう。きっと、玲も。


 けれど、終電間近の混んでいる電車に、類を乗せてもだいじょうぶなんだろうか? いろんな意味で。



 案内されたのは、プレミアルームのペアシートだった。ふたり用の席がいくつか並べられており、人目が気にならないように広めに間隔をあけてある。

 映画を観るといっても、プライベートでは目立ちたくない類とって、閉鎖空間のほうが落ち着けるかもしれない。


「おいで。座って」


 類が指を差したのは、類の膝の上だった。


「まさか」


 さくらは軽く躱し、類の隣に少し距離を置いてちょこんと座った。


「ちっ、だめか」

「あのねえ、映画でしょ。犬じゃないんだから。なぜに、膝上」

「ブランケットでさくらごと、くるめるから。そうしたら、ふたりで気持ちいいこと、できるでしょ」

「……この映画、ほんとに観たかったの?」


 さくらは話をすり替えた。類が選んだのは、古い洋画である。どうやら、何組かはお客さんが入っているようだが、とても人気があるとはいいがたい。


「うん。すごいらしいよ、ここ。でも、相棒がいないと、ここのペアシートには入れないから、ぼくは気安い相棒を捜していたんだ」

「あー。そうですか」

「普通の女って、その気になると始末が悪いからさ。一回そういう仲になったら、恋人気取りで、ほんと面倒。その点、さくらはまじめだし、ねえさんだし、万が一マスコミにばれても、姉でーす☆って言えるし、利用できる……おっと」

「ふーん。私は、北澤ルイの道具」

「そういうつもりじゃないんだけどさ、ここのペアシート、カップルの乱れ具合がすごいって聞いて。マニアにはたまらない聖地なんだよ」

「聖地?」

「そう。覗きの」


 照明がいっそう暗くなった。予告編に続いて映画本編がはじまるらしい。そういえば、どんな内容の映画なのかも聞いていない。


「ぼくねえ、実は覗き魔なんだ。ぼくの趣味を知ると、たいてい女の子は引くね。信じられない、って。でも、信じる信じないの問題じゃないし。覗きしているときって、ほんと興奮する。ふだん、見られてばかりだからかな」


 だから類は、観覧車のゴンドラに乗るカップルを観察していたのだ。


 東京の主要ターミナル駅に超特大ポスターを貼られるほどのカリスマモデルの性癖が、覗き。熱心なファンが知ったら、かなりショックな事実。


「犯罪だよ、それ」

「人はそう言うけどね、見られたがっている層も存在するんだよ、案外。互いに承知なら、別にやましくないし。ここの映画館に来るカップルも、大部分はそんな輩なわけで。かく言うさくらも、その中のひとりだね。北澤ルイという見世物と出歩くんだから」

「私には、そんな趣味ない」

「いやいや、黙って見てみて。すごいから」


 映画の筋なんて、頭に入らなかった。類の言うように、映画開始十分でペアシートの各所から声が甘い声が漏れてきた。万事未経験のさくらには刺激が強すぎる。ブランケットを頭からかぶって耳をおさえた。けれど、類が追いかけてくる。


「さくら、ぼくたちもしようよ」


 類の手のひらは、汗で湿っていた。息も荒い。ほんとうに興奮しているらしい。頭の中で警鐘がわんわんと鳴る。類は、完全に牡と化していた。


「だめだよ、私たちは姉と弟なんだから」

「義理の間柄でしょ。固いこと言わないで。ぼく、さくらのこと好き」

「ありがとう。私も、類くんには何度襲われても憎めない。でも、だめ」

「キスして胸を触るだけだから。ねえ、お願い。それ以上はしない。ちょっとだけ舌、入れたい」

「だめよ。映画観に来たんだから。人間観察しに来たなんて、知らなかった」

「そういうきまじめで無骨なところ、玲に似ているよね。遊びや冒険心が少なくて、典型的にモテないパターン」

「も、モテない……またその話か。でも、玲はあの容姿だし、学校ではモテるよ」

「そう? 玲に彼女がいるなんて、聞いたことない。あいつは、守銭奴だもん。彼女を作るとか、無駄な遊びはしないと思う」

「玲が、守銭奴?」

「そう。金の亡者。貯金しまくりで、極度のケチ」

「それは、どうして?」


 柴崎家は、そこそこお金持ちの家だと思う。母子家庭とはいえ、聡子は一会社の社長。新居に持ち寄った家具だって、服装だって、いいものを揃え、身につけている。


「知らないよ。あいつ、高校に入ってすぐから、アルバイトをはじめているんだ。朝、それに夜。見た目はデカいし、年をごまかしているんじゃないかな。割りのいい、あぶない仕事にも突っ込んでいるみたいなこと、聞いたよ。玲もタレントやればいいのにって言ったら、『絶対いやだ』のひとことで切られたけど。あいつは裏方が落ち着くんだって」


 ああ、そんな感じだ。クラスの中でも、なるべく目立たないように行動している。

 アルバイト、貯金、裏方。玲はなにを考えているのか、さっぱり見当がつかない。


 さくらは黙り込んでいた。映画を観ているわけではない。もとより、類も覗きに忙しく、前後左右の息づかいや動きを追ってばかりいた。


「ああ。分かった。今日の昼間、玲のことでなにかあったんだ。だから、不機嫌だったんだ」


 類は鋭かった。さくらは否定する。


「ち、違うよ。なにもないよ。ただ、玲が渋谷を、女の子と歩いているのを見かけただけだもん。私、意識なんてしていないし、そもそも関係ない」


「ふーん。すっごい気にしてるんだ」


 けらけらと、類は笑った。


「ぼくも気になるなあ。玲が女と? どんな状況だったのか、詳しく話してみ。ぼくの耳もとに唇を近づけて、静かにね。じゃないと、ここで襲うよ。本気。さあ、五秒以内に説明すること……三、二、一」

「ま、待って。あのね、言うから。今、説明文を考え中」

「遅い」


 ことばを選びながら、さくらはゆっくりと白状した。玲を見かけたときのことを、なるべく詳しく。そして、最後まで。


「あいつが。珍しいこともあるね。女目的ってより、バイト絡みじゃない? とうとう身売りか。玲ぐらいの容姿の持ち主なら、高く売れそうだね」

「身……」

「だって、そういう結論にならない? 放課後、私服、年上の女、渋谷、ラブホテル」


 反論できない。類の推理は的確すぎる。


「うちの学校、バイト禁止なのに」

「じゃあ、さくらが玲に忠告したら? ぼくの考えが、合っているとは限らない。知りたいんでしょ、真実を」


 ほんとうのことは聞きたい。だが、怖い。傷つきたくない。幻滅したくない。


「玲を理想化しないこと。あいつはさくらが想像しているほど、理想の王子さまでもなんでもないよ。ただの貯金が趣味な、老けた高校三年生」

「類くんって、たまにひどいことをさらっと言うよね」

「かわいい顔に実は毒舌っていうのは、鉄板の組み合わせだよ。いわゆるギャップ萌え。覗きの趣味は、さすがに隠しているけど、毒舌はオープンしているから」


 ギャップ萌えとか、自分で言うか? さくらは突っ込むことも諦めた。


「ところで、この映画は残りあと何分? 全部話したら、ぐったり脱力しちゃった。寝ていてもいい?」

「えー。話が逸れそうになったら、成り行き任せか」

「そういうわけじゃないけど。類くんは覗きを堪能していてよ」

「覗いたら、興奮するんだよ。同じことをしたくなるんだよ、安全な相手が必要なんだよ」

「お互い、飾るのはもうやめよう。類くんも私も白状した。ある意味、一線越えたよね私たち。私は類くんの秘密の趣味を守る。映画も付き合う。だから、ちょとだけ休ませて。頭がついていかない」

「考えなくてもいいよ。ぼくが考えるから。さくらはそこに座っているだけでいいの」

「逆に、いたずらしかけて来たら、類くんの危険な趣味を世間にばらすよ」

「さくらのくせに、ぼくを脅迫?」

「お互い、利用し合うってことでしょ。ビジネス契約だよ」

「じゃあ、さくらの秘密って、玲をストーカーしたことか」 

「ストーカーじゃないよ。ただ、追いかけたってだけで」

「立派なストーキング行為じゃん。それとも、玲に特別な好意を持っているってこと?」

「まさか。玲に特別な気持ちなんて、ない」

「自分の胸に手を当ててみ。ま、いいよ寝ててさ。その代わり、今夜はとことん付き合ってもらう。次は、カラオケだよ」

「まだ行くの?」

「うん。この近くに、毎晩乱交の行われているカラオケルームがあるんだって。一度覗いてみたくてさー。でもやっぱりひとりじゃ行けないから、さくらねえさんは同伴をよろしくお願いします」

「これ以上遊んでいたら、ほんとに終電を逃すって」

「だいじょうぶだよ、家族と一緒なんだし。いざとなったら、ぼくがタクシーをつかまえる。それとも、玲に言っちゃおうかなあ。さくらがつけ回していたこと。玲の反応、見てみたいな。ホテルに入るところを目撃されていたなんて知ったら、さすがの玲も真っ青だろうね。あの地味男があわてふためく顔なんて、おもしろそうじゃん」

「私、一応受験生なんだけど。勉強しなくちゃいけないのに」

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