第8話 ずっとそばにいてあげる①
渋谷から、さくらは即帰宅した。
……けれど。
食事を作る気力もなく、リビングのソファにだらりと座っていた。制服のまま、着替えてもいない。
頭に渦巻いているのは、玲のことばかり。女の人と、ホテルへ入って行ったということは、つまりそういう深い仲なのだろう。
想像したくもない。ああ、いやだいやだ。
玲はモテる。彼女がいてもおかしくはない。そんな気配をいっさい感じさせないだけで、実はけっこう遊んでいるのかもしれない。
うわあ、やめろ妄想。さくらは自分の頭を叩きまくった。
「関係ない。関係ないよ、ただのきょうだい。ただの身内」
「誰が、ただの身内なの」
「きゃっ」
ソファの背後からさくらに近づいてきたのは、類だった。
「る、類くん、おかえりなさい。でも、びっくりさせないで」
「無防備。驚くほうが、悪いの。それより、なんでこんなところで腐っているわけ。さくららしくないじゃん。たまには、ひとりで寂しいさくらと遊んであげようかと思って、せっかく仕事を早く終わらせて帰ったのに」
「たまには、どんよりもします」
「ねー。ごはん、早く作って。今夜、ぼくとさくらだけらしいよ」
「うん。やらなきゃなとは思うんだけど、力が入らなくて」
「力?」
「うん、力が」
「ぼくの力を授けてあげようか。クチ移しで」
「それは、要りません」
「日本一のアイドルモデルさまが提案してやっているのに、即断? さくらは、いっつもつれないね」
大げさに、類は『あーあ』とため息をついた。
「だって、見返りを要求されても困るし」
「見返りなんて、いらないよ。ただ、さくらがそばにいてくれたら」
「……とにかく、ひとりにして。ごめん、お願い」
「悶々としていても、解決にならないよ?」
「ほんと、ごめん。私、今憂鬱なの」
「あれか、乙女の日か」
「違います。放っておいてって」
「こんなさくらを、放っておけないよ。家の雰囲気が悪くなるし。ちょっと、外の空気を吸いに行こう。着替えて出てきて」
「なんなの、類くん。いきなり」
促されるまま、渋々さくらは類を追いかけた。ちょっと、と言うぐらいだから、近くの公園とか、気分転換にただ散歩するだけだろうと思い、さくらは普段着に着替えると、なにも持たずに飛び出した。
「遅い」
先に、マンションのエントランスで待っていた、類のひとことがさくらの胸に突き刺さった。
「あのね、これでも急いで出てきた」
「このぼくを待たせるなんて、さくらは前代未聞の女。遅い遅い遅い遅い!」
「類くん。おことばだけど、『このぼく』とか、普通言う? 私より、年下でしょ?」
「歳は、さくらが半年早いぐらいじゃないか。ぼくは稼いでいるもんね。収入。社会的知名度、貢献度。修羅場での立ち回り。ぼくに、ひとつでも勝てるわけ?」
「……いいえ」
最後の『修羅場』というのは意味がよく分からないが、とにかく逆らわないほうがよさそうな会話の流れだった。
「だったら、ぼくにおとなしくついてきて。ほら」
類はさくらの手を引っ張り、電車に乗った。もちろん、さくらは財布を家に置いてきてしまったので、類に罵倒されながら切符を買ってもらう始末。
乗車後の会話はない。たまに、類の存在に気がついた女子がこちらをじろじろと見てくる。
類は一顧だにしない。慣れっこらしい。帽子を目深にかぶり、眼鏡をかけていても、類の輝きオーラはごまかせないようだ。
すいすいと電車を乗り継ぎ、ようやく類は目的地に到着したと告げた。
「夜の遊園地……?」
「入るよ」
「ま、待って」
「さくらの好みは、絶叫系? それとも、いちゃいちゃ恋人ごっこコース? ぼくのオススメは、もちろん後者だけど。アイドルさまが恋人のふりをしてあげるんだから、超オトクだよ?」
「絶叫系で、お願いします」
なぜ、そのふたつしか選択肢がないのだろう。けれど、反抗ができない。
「……縦? 回転? 横? ホラー?」
「回転で!」
「あっそ。あくまで、いちゃいちゃの選択肢は無視なんだね。ここでお化け屋敷でも選んだら、まだかわいかったのに」
夜の遊園地は、イルミネーションがとてもうつくしかった。光の海、光のお花畑、光のトンネル。イルミネーションを見下ろし、くぐり、ふたりはフリーパスを使ってアトラクションに乗りまくった。
平日の夜だけあって、園内は空いている。さくらは久々に、きゃあきゃあ叫んでしまった。
「類くん、おなか空きました」
絶叫系にぶっ続けで一時間乗ったら、さくらはさすがに空腹だった。
「あんなにくるくるして、食事できるの?」
「ええ。まったく平気ですね」
「うげー」
きれいでかわいい顔を歪ませながら、類は目を逸らしながら、帽子をかぶり直した。
さくらたちは、レストランへ入って夕食をとった。さくらはオムライスを完食。類はコーヒーを頼んだだけで、それもほとんど手をつけなかった。
「類くん、もしかして絶叫系は苦手だったとか。食欲、なくした?」
「ふん、苦手なものか。ダイエットしているだけ。外食は太るからキライ。さくらの手料理のほうが、万倍健康にいい」
「ごめんなさい。明日はちゃんと作る。だから、なるべく早く帰ってきて、ごはんを食べて、ね?」
「分かった。分かったって。くどいな」
「仕事が終わったら連絡して。父さまも聡子さんもいつも遅いし、夜食でもなんでもいいから。カロリーの低いもの、用意する。体型の維持は仕方ないけれど、まったく食べないのは、身体によくない。倒れるよ。もともと、すごく細いのに」
「はいはい。さくらは世話焼き女房ってより、おかんだな。でもまあ、そこまで言うなら食べてあげてもいいけど、おクチあーんして食べさせてよね」
「いくらなんでもそこまでは、面倒見られません」
「けち」
食後に、ふたりは観覧車に乗った。さすがのさくらも、食事後すぐは絶叫系よりも休息を挟んだほうがいいと判断した。
「類くん、見て見て。きれいね、地上。わあ、光がさざ波みたい」
「ああ」
向かい合って乗り込んだはずなのに、類はさくらの隣の席に長い脚を組んで座っていた。車内の重みが一方にかかり、ぐらりと揺れる。
「ゴンドラのバランスが悪くなるし、乗り込んでからはあんまり動かないでほしいな」
「いいじゃん。平気だよ、これぐらい。そんな脆弱なつくりはしていないって。こっちに座ったほうがよく見えるんだよ。お、きれいだね。光のオーロラか」
そう言いながら、さくらの肩に堂々と手を回し、ぎゅぎゅっと身体を密着させてくる。
「類くん?」
忘れかけていた。この弟は、さくらを襲いかけた前科持ちだった。
「今日は、いやなことがあったんだね。自宅に帰ってきて、すぐに分かった。ああ、さくらが元気ないって」
「……学校で、少し怒られて。でも、私がぼんやりしていたせいなの」
「それだけ?」
「そ、そうだよ。それだけ」
「戸惑っているんでしょ、家族のこと。今なら、誰も聞いていないし、ぜんぶ話しちゃいなよ」
類が、耳もとでささやいている。
「うん……まだ、割り切れていないから。新しい家族ができたことはうれしい。だけど、素直に受け入れられなくて」
「ぼくは、うれしいだけだったけど。気にしたって、はじまらないじゃん。楽しまなきゃ! 親が再婚したからこそ、こんなに楽しい夜を過ごせているって。ぼく、遊園地なんて、子どものころ以来。ぼくは目立つから、昼間に遊ぶなんて絶対無理だし。今が、夜でよかった。夜の暗さが、ぼくを少し隠してくれる」
類は、まぶしい。容姿だけではない。ものの考え方、とらえ方も前向き。すぐにうじうじしてしまう、さくらとはまるで違う。
「おとなだ、類くんは」
「まあね。それなりに経験積んできているし。でも心配しなくてだいじょうぶだよ、さくら。ぼくが全部教えてあげる」
類はさくらに抱きついてきた。
ふたりが乗っている観覧車は、ちょうどてっぺんの位置にある。
「もう、逃げられないね。いざというときのために、防犯カメラはついているけど、同乗した時点で両者合意の上だからねえ、ただいちゃついているようにしか映らないよね」
「合意していない! 私、いつ合意した?」
「出かけるって、ついてきたじゃん」
「あ、あれは、近所を歩くのかと思って、つい」
「それは、さくらの早合点。どこに行くのか聞かれたら、答えるつもりだったよ。聞かなかったさくらが悪い。だから、合意。へえ、意外と肉がついていてやわらかいんだね。さくらの身体、骨っぽく映るのに」
「るるる、類くんっ。どこに手を突っ込んで!」
「肌すべすべで、手が止まらないよ。もっと奥に触れたいな。身体の力を抜いて。怖いことはしない」
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