第29話 魔王の残滓
最後に叫んだ黒装束の男は、再度血の塊を吐き出して完全に動かなくなった。
「その黒い奴は死んだみたいだぜ。最後の仕掛けってのはわかんねぇけど」
オゥタドンナーの言葉で我に返ったザシャとクリスは顔を見合わせる。しかし、最後の仕掛けが何であるかは不明なままだ。
「メルヒ、これでそっちは本当に一人になったよ。まだ続ける?」
クリスがメルヒオールを見る。ちらりとダニエラの姿をうかがうと顔面蒼白だった。
「嘘だ、俺は今まで自分一人で戦って、貴様らを圧倒してきたんだ。そんな奴の手を借りた覚えなどない」
ザシャもクリスも、ダニエラの差し金とは言えなかった。実際、メルヒオールがこの黒い人物をけしかけたわけではないことは予想していたからだ。
「証明してやる。貴様らに勝って、俺が誰よりも強いと証明してやる!」
憎しみのこもった視線をメルヒオールが二人に向ける。そして、クリスが下がった。
「ザシャ、メルヒの相手をして。キミからもらった剣、さっきトゥーゼンダーヴィントを受けたときに剣身が欠けて、使えなくなっちゃったんだ」
「聖剣の本気によく耐えたって言うべきなんだろうな」
クリスの見せてくれたかつての愛剣の中程に、確かに大きく欠けた部分があった。あれではもう使い物にならない。
ザシャはクリスからメルヒオールへと視線を移し、剣を構える。
「下級貴族ごときが意気がるなよ。すぐに蹴散らしてくれる!」
メルヒオールは必死の形相でザシャに斬りかかる。その剣撃の速さと重さは、激情の指輪とトゥーゼンダーヴィントの能力でかさ上げされたこともあって相当なものだ。
だが、ザシャはそれをあっさりと受け流す。続く切り上げ、突き、横凪ぎと繰り出されるがすべて躱し、受け流した。
「おのれ! 貴様に魔剣などなければ!」
「自分もトゥーゼントを使っているのによく言うよ」
さすがにこの言い分にはクリスも呆れた。血走った目から、もはやまともな思考を期待できないとしてもだ。
剣撃の激しさは増していく一方だが、同時にメルヒオールの表情に焦りと絶望が色濃く浮かび上がってくる。激情の指輪とトゥーゼンダーヴィントで能力を底上げしても、ザシャとの実力差は埋まらないからだ。
「なぜだ、なぜこの俺の剣がこんな下級貴族ごときに通じんのだ!? 俺は王族だぞ!」
「剣の技量と地位の高さは関係ないでしょ、メルヒ」
「うるさいぞ、クリス!」
状況が不利にもかかわらず、メルヒオールはクリスの言葉に反応してしまう。そしてそれは、ザシャに対しては致命的だった。
ザシャは突き出されたトゥーゼンダーヴィントに合わせてオゥタドンナーで受け流しつつ、その剣を絡め取る。メルヒオールの手から離れたトゥーゼンダーヴィントは、地面を滑るように転がって止まった。
「終わりだ、メルヒオール殿下」
オゥタドンナーの切っ先が硬直したメルヒオールの首元をうかがう。ザシャの表情は無表情だ。
「貴様、王族である俺を傷つけたらどうなるか、わかっているのか?」
「傷つける必要はないだろう。もう勝負はついたんだから」
ザシャの言葉にメルヒオールは答えない。ただ、歯を食いしばるだけだ。
「そこまで! 勝者は、クリストフ殿下とザシャとする!」
決闘の責任者の声が修練場に響き渡り、観戦者の歓声が沸き上がった。
ザシャがオゥタドンナーを下げると、メルヒオールはその場に崩れ落ちる。
「やったね! ザシャ、勝ったよ!」
喜色満面の笑みを浮かべるクリスがザシャに抱きついてきた。鎧のぶつかる音がする。
しかし、眉を寄せたままのザシャはメルヒオールから視線を逸らさない。
「メルヒオール殿下、その右手は?」
一人警戒心を解かないザシャの言葉に、クリスはメルヒオールの右手に目を向ける。
「メルヒ!」
「なんだこれは!?」
クリスとメルヒオールが同時に叫ぶ。メルヒオールの右手首から先が、黒色をした爬虫類の鱗状に変化していたのだ。更に爪は猛禽類のようなものに変わっている。その薬指には、淡い金色に輝く指輪があった。
「クリス、あの指輪は一体何なんだよ?」
「ダニエラ殿がメルヒに渡したらしいけど、詳しいことは私も知らない」
「あんな得体の知れない指輪を母親が渡すのか!」
「メルヒ、早くその指輪を外して!」
震えて指輪を見つめるばかりだったメルヒオールは、クリスの言葉で我に返ると急いで指輪を外そうとする。
「なんだ、どうして外れない!? おのれ!」
見るからに焦っているメルヒオールが必死になって指輪を外そうとするが、まったく動く気配がない。その間にも、手首から肘へと皮膚が黒い爬虫類の鱗に変わってゆく。
「メルヒオール殿下、右腕を切り落とします。腕を差し出してもらいたい」
「下級貴族ごときが、王族の体を傷つけるというのか!?」
「今はそんなことを言ってる場合じゃないでしょう! 全身が変わっちゃうよ!?」
「うるさい! どさくさに紛れて俺を殺すつもりだろう!」
突然の出来事に混乱しているメルヒオールは、二人を血走った目で睨んで後ずさる。
「メルヒ!」
貴賓席から立ち上がったダニエラが血の気の失せた顔で息子を凝視している。
その声を聞いたメルヒオールが振り向いた。
「母上、指輪が取れません! 離れないのです! これは一体どういうことですか!」
「知りません、私は、こんなことになるなど!」
「ダニエラ、そなたは一体メルヒオールに何を渡したのだ!?」
事態を飲み込めない周囲は、為す術もなくメルヒオールの変化を眺めるばかりだ。黒い爬虫類の鱗は既に肩を越え、首筋、右胸、右脇腹へと到達してしまっている。
その変化を見ていた一人のクリスは、メルヒオールが何に変わろうとしているのかようやく気付く。
「うそ、あれって、まさか、魔族?」
「どっかで見たことがあると思ってたら、あれか! またなんでそんなものに」
「ということは、あの黒装束の男って魔王軍の関係者だったんだ」
ゆっくりとダニエラへ向かって歩くメルヒオールの体の半分は、既に黒い爬虫類の鱗に覆われている。
「何かが俺の中に入ってくる! 嫌だ、嫌だ! これは俺の体だ! 出て行け! 来るな、嫌だ出て行けぇ!」
涙を流し、狂乱するも、体の変化は止まらない。ついに全身が黒い爬虫類の鱗に覆われてしまう。
「アアァ、アツイ、アツイィィ!!」
鋭い爪でまとった鎧をかきむしる。金属のこすれる嫌な音が何度も響き、鎧が傷つけられ、そして引きちぎられた。
「何と、主が人でなくなった!? 契約が解除されたぞ!」
地面に転がったままのトゥーゼンダーヴィントが叫ぶ。
メルヒオールだったものは皮膚を鱗状に変化させたあと、今度は体を巨大化させ始めた。
「まずい! クリス、先に行くぞ!」
「はははっ、こういうのも悪かねぇなぁ!」
目配せしたザシャは、もうメルヒオールを助けられないことを確信し、今度はそのなれの果てを討ち取るために前へ出た。
ザシャはオゥタドンナーで成長している魔族を斬りつけた。しかし、足を狙った剣撃は成長している手の鉤爪で止められる。
「アアアァァ、キサマァァ!」
さすがに爪は欠けたが、止められたこと自体にザシャは驚く。
一旦下がったザシャの横に、輝くトゥーゼンダーヴィントを手にしたクリスが立った。
「お待たせ! ちゃんと契約もしたよ!」
「うむ、久方ぶりだな」
「しっかり真の力も解放してるんだな! あいつ、爪でオゥタの一撃を止めたぞ。傷は付けられたがそれだけだ!」
「うわっ、並の魔族じゃないんだ。厄介なのが現れたね」
「いいじゃねぇか! ガンガンいこうぜ!」
成長の止まった元メルヒオールの魔族は二人に正対する。高さは人間の二倍、肌は黒い爬虫類の鱗、尻からは太い蜥蜴のような尻尾が生え、手足には鋭い鉤爪を持つ。顔は一応人の形をしているが、口は耳元まで裂け、目は赤い玉のように輝いていた。
「アァアァァ、コロス、ミナゴロシィ!」
魔族は憎らしげに二人を睨むと声を上げた。
こうして、王太子の座をかけた決闘は、魔族との対決の場へと一変した。
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