1-27

 そういえば、今は何時なんだろう。夜になってから大分経った気がする。

十和子のムル練習は一向に芽を出さない。そもそも、死を具現化するってどうやればいいのだろう。とりあえず念じてはいるけれど。


 今のところ、笑顔の疑似神は姿を見せていない。だが、それも不気味なことだった。走るたびに見かけた信徒の姿すら見えない。まるで、嵐の前の静けさのような……。


 十和子は少し休憩しようと、ユキのとなりの地面に腰かけた。すぐ横に確かに人がいるのに、とても心細い。蒼ちゃんや、詩菜に隣にいてほしい。


 そういえば、と十和子は思った。詩菜はいつから笑顔に傾倒するようになっていたのだろう。詩菜とは、高校からの付き合いだったから、その前のことは分からない。けれど、少なくとも十和子にとっての彼女は、どこにでもいる普通の人だった。よく笑う人でもあったけど。こんな、宗教じみた物を盲信しているなんて微塵も思っていなかった。


 どうすればよかったんだろう、と、十和子は後悔した。世間的に悪だと言われようとも。多くの人が彼女を許さなくても。自分を殺したことに怒っていないと言えば嘘になる。けれど、彼女の優しさも知っている身からすれば、奴は悪人ですと言われて、はいそうですかと簡単に納得できるものでもないのだ。許しもできず、断罪もできず、この感情はなんというのだろう。


 おそらくだが、ユキはこの感情を理解できない。悪を迷わず悪と断定し、成すべきことが出来る強い人だ。だから、こんな迷いなんて、きっとない。

 孤独だ。もう、何も望まないから、このまま、朝まで何もないといい――。膝を抱えてそう願っても、現実は残酷で。ずるりと、遠くで大きなものを引きずる音と、大人数の足音が聞こえた。


 十和子は飛ぶように立ち上がった後、手でユキの体を軽く揺り動かした。

「ユキ!」

 その声に反応したのか、ユキは豹のような素早い動きで警戒体制をとり、周囲にそば耳を立てる。

「来たか。……さっきよりかは動けるか。結局、ムルは使えるようになったのか」

「それは、まだ……」

「そうか。……相手は数をそろえてきたか。しかも、左右両方からきて、挟み撃ちにする気だな。十和子、自分の身は自分で守れ。まずは周りの雑魚を殲滅する」

「わ、わかった」

「奴らの体制が揃うまで待つこともない。疑似神がいない方をさっさと潰すぞ」

 ユキは言いながら、大きなものを引きずる音がしない方へダッシュで駆けて行く。さっきまで大けがを負っていたとは思えない動きだった。それに負けないよう、十和子も駆けて行く。

 心の中に迷いと不安でいっぱいにさせながら。


 走り出して数秒もしないうちに信徒の群れが見えてきた。ざっと見十人くらいはいる。相手も本気を出してきたようだ。

「十和子は後ろを警戒しろ。こいつらは私が片付ける」

 ユキが軽く手を振ると、黒い水のようなムルが現れ、信徒たちを襲う。が、やはり威力が弱い。半数は流されず、踏ん張っている。

「くっそ」

 ユキが手を下し、苦しそうに息を吐く。同時にムルもどこかへ消えてしまった。水から自由になった信徒たちは、はさみを持ってそのまま突撃しようとしている。

「ユキ、やっぱきついの?」

「思ったより、傷が響いているな。しばらくすればまた使えるようになるだろうが、連続しての使用が出来ない」

 ムルが使えない間の応急手段としてなのか、ユキは流されていった信徒が置いていったはさみを拾い上げ、無造作に振り回す。ガキガキンっと、はさみ同士がかち合う音がした。だが、人数の所為か使い慣れない武器の所為か、非常に分が悪い。


 十和子もはさみを持ち上げ応戦しようとする。が、持ち上がらない。持ち手の部分を少し浮かすだけで腰が砕けそうだ。振り回すなんてもってのほか。やはりこれを軽々扱っている信徒のみなさんは人間からちょっとずれた存在であるようだ。

「十和子! 貴様は何もしなくていい! 後ろへの警戒と自分が死なないことだけを考えろ!」

 ユキが怒鳴りながら、再びムルを放つ。何人かの信徒は流されていったが、全員とはいかなかった。残った信徒たちが再び襲ってくる。


 さらに、遂に後ろの疑似神たちもこちらに追いつきつつあるようだ。近づいてくる音が聞こえてきている。

「ユキ、どうしよう。このままじゃはさみうちに遭っちゃう」

「仕方が無い。十和子。貴様が、あの疑似神の相手をしろ」

「……へ?」

 一瞬耳を疑った。私が、疑似神と? いくら今まで役に立っていないとはいえそんな玉砕覚悟で戦えってか。

「私は信徒共を全員潰す」

「待って待って待っておかしいでしょ。ムル使えないのに無理だって」

「しょうがないだろ。そもそも私のムルは雑魚殲滅向きだ。単体への瞬間火力があまりでない。最初っから私が疑似神にかかりきりになれば信徒に囲まれて数で押される危険が高まる。貴様が疑似神と戦っている間に信徒を殲滅できれば勝機が出てくる。大丈夫だ。貴様には必殺のかかとおとしがあるだろう」

「ただのかかとおとしだよ!!」

 多分二度と奴には通用しない。

「迷っている時間はない。やれ」

 返答に困っている十和子の視界に、黄色く目立つ笑顔の疑似神が現れる。やるしかない。それはわかっている。

 なんかこう、物語の主人公よろしく、戦闘中に都合よく覚醒して強大な力を手に入れたり出来ないかなと、儚い現実逃避をはじめながら、十和子は、人生で初めて神と対峙する。

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