◆166. 本当のお父様? 3/3


 父の腕から手を離し、一歩前に出た。


「あなたが、ろくに産めない、と言った母は、父と結婚してから私を産んでいます。問題は、母にあったんでしょうか?」


 授かりものだ。双方に問題がなくとも、子どもをもうけられない場合だってある。


 ひどい言葉を放っている。言葉は返ってくる。こんなことは言わないほうがいい。でも、今は抑えられない。


「なっ!」


 芝崎しばさきは、怒りを浮かべた顔を引きつらせた。『自分にも子どもはいる』と、反論してこない。どうやら、子どもはいないらしい。


「私のこと、母親の名前も知らないバカだって言いましたよね? あなたは、結婚していた相手の名前を、なかなか思い出せなかった。人のこと言えないのでは?」


 にこっと笑顔を向けた。


「まあ、随分と前のことですから、忘れてしまうこともあるかもしれません。でも、ですよ。あなたと母の子どもだからって、私を引き取りに来たんですよね? 忘れていたとしても、普通、思い出してから来ませんか?」


 大丈夫ですか? という顔をして、首をかしげた。


はらなかに残ってたとか、本気で言ってます? それとも、冗談ですか? 下ネタですか? おもしろいと思って言ってるんですか?」


 つまらない、という意味を込めて、ふっ、と鼻で笑う。


「結婚した事実がどうこう言ってましたけど。離婚したのも事実なんですよ。母の主人は、夫は、あなたではありません。父です。現実、受け止めてください。あと、男は再婚してもいいけど、女はダメとかありませんから」


 肩に何かが引っかかった。グイッと肩を前に動かし、振り払う。


「私を結婚させたいんでしたね」


 ブラウスの右袖みぎそでのボタンを外し、まくり上げる。


「怪我をしてしまって、傷痕があるんです。二十センチくらい残ってます。いい結婚相手とやらは、見つかりますでしょうか?」


 最終的に残るのは三センチくらいだが、そこはあえて言わない。


 傷痕のある側を芝崎に向けた。白っぽい、細い線のような痕なので、皮肉としては弱いかと思った。


 そんなことはなかった。


「バカがっ! 価値が下がるだろっ! たいした容姿でもないうえに、傷モノかっ!」


 芝崎は、チッ、と舌打ちして、顔を背けた。


(か、価値……)


「……今、価値って言いました?」


 ふつふつ、ぐらぐらと煮え返る。激しい怒りがこみ上がってくる。


 また、肩に違和感を覚えた。振り払う。


「な、なんだ、それは!」


 私のことを指差し、口をパクパクさせている。


 自分の体に目を向けた。


 デートだからと穿いたスカートのすそが、ひらひらと浮いている。

 髪は後ろに結んでいるので見えないが、前髪が視界の端でふわふわしているような気がする。


「化け物っ!!」


「へ?」


 唖然あぜんと口を開け、パチパチとまばたきをする。


「化け物だ!」


 芝崎は、そう叫びながら、大きく二三にさん後退あとずさりした。


「ああ、あはは……」


「何を笑っている!」


「ふっ、ふふふ。そうですね。鬼の娘ですから、化け物かもしれませんね」


「だから、何を――」

「化け物で嬉しいんです!」


「嬉しいって、頭がおかしいんじゃないか!? 化け物だぞ!」


「化け物で結構! あなたのほうが、いろいろとおかしいんじゃないですか?」


「な、な、こ、こんな傷モノで、化け物で、頭がおかしい女! 口答えばかりで使えない! 役に立たない! このクソ女っ! 二度と近寄るなっ!」


「ありがとうございます。是非、そうさせていただきます」


「二度と迎えに来てやるものか! 娘と認めるものか! 後悔しても、知らないからな!」


「願ったり叶ったりなので、お気になさらず」


 芝崎は、ある程度後退あとずさりしてから振り返り、小走りで門から出ていった。

 そういえば、馬車が見当たらない。離れたところに待たせているのだろうか。


 広げた右手を顔に近づけ、ヤッホーと叫ぶポーズを取る。


「絶対に、二度と来ないでね~」


 芝崎の消えていったほうに向かって、近所迷惑にならないよう、普通の音量で言い放った。


 大きく一回、深呼吸のようにため息をつき、やれやれと振り返る。


 あ、と息をのんだ。


 知らぬ間に人が増えていた。父のこともすっかり忘れていた。


 一加いちか一護いちごは、手をつなぎ、心なしか楽しそうにしている。しげるは「さすが、頭突き女」と言って、隣にいる小夜さよに頭を小突かれた。悠子ゆうこは、胸の前で指を組み、祈るようなポーズをしている。


 てつ理恵りえは、父の両隣に立っていた。


「見事に浮いてたな~」


 徹は、感心しているようにも呆れているようにも見える顔をしている。


「本当、不思議よね」


 理恵は頬に手を添えた。


 父は、私と並んで立っていた位置より前に出ていた。私はそれよりも前に出ていた。どうやら、芝崎にどんどん詰め寄っていたようだ。


 胸の前で腕を組んで、ジッと私を見つめている父を見て、ハッとした。


 父と母を侮辱された。『くたびれた男爵家』という言葉は、父だけでなく、湖月家に関わるみんなをバカにされていると感じた。業腹ごうはらだった。とてもじゃないが、許せなかった。

 怒りに身を任せて、暴言を吐いた。吐くぞと思って吐いた。だが、芝崎が視界から消え、落ち着いてみると、言い過ぎてしまったような気がする。


 ひたいや背中に、変な汗が浮かぶ。


(いろいろとまずい……かも……。最低で最悪な人だけど、あの人は一応……)


菖蒲あやめ


「は、はい……」


 呼ばれて、父に駆け寄る。目を合わせてから、頭を下げた。


「ごめんなさい」


「菖蒲?」


 真っ直ぐ立ち、父の顔を見上げた。


「あの人に、思いっきり文句言っちゃった。私のせいで、問題になっちゃう? お父様の仕事に影響する? これから、大変? 大丈夫? ……じゃないよね。本当にごめんなさい」


 これから父は謝罪に奔走ほんそうしなければならないだろう。


 芝崎は華族かぞくだ。当主かどうかは知らないが、伯爵家の人だ。『あの芝崎』とは、『芝崎って、あの伯爵家の?』という反応を期待しての言葉だったのだと思う。

 名を聞けばわかるような名家なのかは、わからない。私は、そういうのに詳しくない。今回、芝崎と伯爵家が繋がったのは、母の最初の結婚相手は伯爵家の人だったと聞いて知っていたからだ。


 芝崎は、爵位、身分に、必要以上にこだわる人に見受けられた。爵位をかさに着て、父に嫌がらせをしそうだ。


「気にするな。影響はない。謝るのは、私のほうだ。嫌な目にわせたな。大丈夫か?」


 父は、私の頭を優しくなでた。


「大丈夫。私が話したいって言ったんだから、お父様が謝るこ……ふあ……」


 話している途中で、アクビが出てしまった。まぶたも少し重い。


「菖蒲。氣流計」


「え? うん……」


 ポシェットから氣流計を取り出し、親指をあてて握る。普段は、メモリの七つ目、八つ目辺りをうろうろしている赤い線が、一つ目と二つ目の間で止まった。

 随分と氣力が減っている。もう少しで倒れるところだった。


「出かけるのは、やめだ。休みなさい」


 倒れるまで減ってしまうと、回復に時間がかかる。今のうちに、少しだけでも眠っておいたほうがよい。


「……はあい」


「残念だが、律穂りつほにも用事ができてしまった。出かけるのは、次の休みにしよう」


 楽しみにしていたので、自分の氣力のせいとはいえ、不満をらしそうになった。言わなくて良かった。律穂に急用ができたのなら、仕方がない。


(だからか~)


 騒ぎを聞きつけて、みんな庭に集合してきた。本来なら、庭にいて、真っ先に駆けつけそうな律穂が見当たらないのは、そういうことだったらしい。


 氣流計をしまい、門のほうに顔を向ける。


 母の芝崎との二年足らずの結婚生活は、どのようなものだったのだろうか。

 政略結婚したのに離婚。母の両親は健在らしいのに、全く交流のない現状。いろいろあったのだろうな、とても大変だったのだろうな、と思ってはいた。だが、まさか結婚相手があんな人だとは思わなかった。

 平気で人のことをさげすむ人との生活。つらい日々を送っていたとしか思えない。


(結婚してるときは、あそこまでじゃなくて。別れたから、別れた相手だから、ケチをつけずにいられなかったとか……。離婚してから、性格が変わっちゃったとか……)


(毎日、意地悪されたり、あんなこと言われてたりとかだったら、やだな……)


「菖蒲……」


 父がハンカチを差し出してくれた。受け取り、目元をぬぐう。


「お父様がお父様で良かった。お母様は、お父様と一緒になれて幸せだったね」


「……私のほうこそだ」


 父は、私の顔を両手ではさみ、胸に引き寄せた。父の背中に手を回し抱きつく。


 腕に力を込めると、苦しいくらいに抱きしめ返してくれた。

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