◆165. 本当のお父様? 2/3


 父は、私のお願いに顔をしかめた。迷っているようだが、眉間のシワが答えなのだろう。


(嫌なんだ。でも……)


 父が口を開く前に、父の左腕に右手を回して掴み、男性のほうを向いた。


「失礼ですが、どちらさまでしょうか?」


「君のお父様だ」


(そうじゃなくて……。まあ、いいか)


「人違いではないでしょうか?」


「間違いではない。君はあの女の娘だろ?」


「あの女とは、どなたのことでしょうか?」


「あの役立たずの女だ。口答えばかりする生意気な。子どもの一人も、ろくに産めないくせに」


 この男性は、なぜ名前ではなく、こんなおとしめることを言うのだろうか。


「あなたのお名前と、その女性のお名前を、お教えください」


「自分の父親と母親の名前も知らないのか!」


 男性は、大袈裟なくらい目を見開いて、驚いた表情をした。そして、「バカの娘は、バカか」と、吐き捨てるように呟いた。


「まあ、いい。私は、芝崎しばさき。あの芝崎だ」


 男性は、ふんと得意気に鼻を鳴らした。「あの女……」と続けた男性は、視線を横に向けた。


「あの女……の名前は……、なんだったか……」


 腕を組み、つま先をタンタンと上下させながら考え込んだ。


(母親の名前を知らないのかって、バカにしたくせに……。あの女って言い方もなんか……。ひどいこと言うし。なんなの、この人……)


 非常にイライラする。


「……『すみれ』、だったな」


 違う名前を言ってほしかった。人違いが良かった。だが、父の様子から、その可能性は、ほぼないだろうなと思っていた。


 私の父親を名乗り、母の名を知っていて、父とこのような状況になる人物。


 たぶん、この芝崎という男性は――。


「まさか、私の名も知らないとは。娘に私と比べられたくなくて、教えられなかったか? 娘、よく聞け。私がすみれの主人、最初の男だ。もちろん、アッチのほうもな。意味はわかるか?」


「子どもに何をっ!!」


 父は、耐えられないと声を上げた。


(こんな人が、お母様の……)


 今の芝崎の発言で、はっきりした。


 芝崎は、母の最初の結婚相手だ。名前は初めて聞いた。父もてつたちも教えてくれなかった。


 母は子爵家の令嬢だった。学園に入学する頃には、十歳以上年上の芝崎と婚約関係にあり、卒業と同時に結婚した。

 結婚生活は二年ほどで幕を閉じた。母が離婚を突きつけられた。


 離婚から一年経ったある日、父と母は三年ぶりに再会した。その二年後、母の二十四歳の誕生日――五月十日に、二人は結婚した。翌年の六月六日、私が生まれた。


「あなたが私の父親だとすると、年齢があわないと思います。学園に入学しているような年齢でないと、おかしいのではないでしょうか」


「そんなもん、どうにでもなる」


「年齢を詐称しているということですか?」


「あの女のはらなかに残ってたんだろ」


 芝崎は、実に嫌らしい顔でニヤリとわらった。


 父の体が動いた。とっさに、父の腕に回している手に力を込めた。


 数秒後、ハッとした。


(……あっ! そういうこと。ド下ネタじゃないか)


 十三歳の少女に向かって言う内容ではない。言ったところで、理解できる子がどれくらいいるだろうか。


 この世界にも、セクハラ、パワハラなどの言葉はある。しかし、あまり問題視されていない。随分と軽視されている。


 だとしても、ひどい。この人の発言は品性を疑うものばかりだ。


十月十日とつきとうかという言葉をご存じでしょうか? 女性の妊娠期間は約十ヶ月なんですよ。数年間も妊娠していたとおっしゃるんですか?」


 はらなか発言の焦点を少しずらし、妊娠に関する常識を知らないのかと嫌みをぶつける。

 赤ちゃんの種の寿命は数日だ! と言ってやりたいところだが、父の前だ。


「バカには意味がわからないか……。私と結婚したのに、ほかの男にもまたを開いた女だぞ。そこの男と結婚したあとに、私に開かなかったと言い切れないだろ」


(今度は、お母様が不貞を働いたって言うのか……。侮辱だ……)


 母の記憶はほとんどない。顔をはっきり覚えているのは、写真があるからだと思う。

 それでも、大好きな父が愛している母のことが大好きだ。大好きな徹たちに、大切な友人と懐かしそうな顔で言われている母のことを、ほこらしく思っている。


「あなたと結婚したのに、ほかの男性と結婚したとおっしゃいましたが、母が父と結婚したのは、あなたと離婚してから数年後ですよ」


「離婚して何年経とうが、結婚した事実、私が主人であることは変わらない」


「あなたは再婚せずに、今まで母を想っていたんですか?」


「そんなバカなことするか! 女と一緒にするな。私は男だぞ」


「再婚なさってたんですね」


「当たり前だ。私ほどの男を、女が放っておくはずがない。わからないのか?」


(そういえば、お母様を出せとか、呼んでこいとか、言ってない……。この人、何しに来たの? 喧嘩を売りに? 私のことを自分の子とか言って、お父様とお母様の仲を引き裂きに? 違う……、確か……)


「……私を連れて帰る?」


「そうだ! あの裏切り者の女の娘だということには、目をつぶってやる。私たちが、お前の親になってやる。いい結婚相手を見繕みつくろってやるぞ」


「私を引き取って、結婚させるのが目的ですか?」


「卒業後の話だ。それまでは、いい生活をさせてやる。一緒に来いっ!」


 芝崎が手を差し出してきた。


「お断りします。私のお父様は、お父様だけです。結婚相手は自分で探します」


 父の腕に、ギュッとしがみついた。


「言うことを聞けっ!!」


 芝崎は、差し出した手を振り下ろした。


 嫌みを言っても、気持ち悪い笑みを浮かべていたのに、急に顔を赤くして怒り出した。何に腹を立てたのか、わからない。


(断ったから? 嫌みは……通じてなかった?)


「こんなくたびれた男爵家より、よっぽどいい生活をさせてやると言ってるんだぞ!」


 私は十二分じゅうにぶんに我慢したと思う。


 父の子ではないと言われ、話を聞いてみれば、セクハラ発言に、母に対するひどい侮辱に、意味不明で自分勝手な言い分。


 堪忍袋はパンパンに膨れ上がっていた。


 そこに、『くたびれた男爵家』という言葉。入るわけがない。


 ブチン――と、緒が切れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る