159. 黒羽との新しい関係 3/3


「もう疲れた……」


「頑張れ! あと一問」


 情けない声を出したしげるに、一護いちごが活を入れた。


 勉強部屋で、私たちの座る席はだいたい決まっている。ホワイトボードに近い前の席に茂と私が、後ろの席に一加いちかと一護が座る。


 茂は、いつもの席――私の隣で、課題をこなしている。一護は、ホワイトボードの前に置いてある先生用の椅子に座り、茂の正面に陣取っていた。茂が課題を投げ出さないよう見張っている。


「あ~、ワタシの負けかあ」


「ふふ。二連勝」


 リバーシの石を数えていた一加が、口をとがらせた。


 一加は、いつもの席に座っている。私は、椅子を後ろ向きに置き、ホワイトボードを背にして、一加と向かい合っていた。


「開けてもらえますか?」


 廊下から、黒羽くろはの声が聞こえてきた。「私が」と立ち上がる。ドアを開けると、黒羽はお菓子などを乗せた大きいお盆を持っていた。


 茂の課題が終わったら、おやつ勝負をする予定だった。ちょうど良いタイミングだ。


 黒羽は、前のテーブルにお盆を置いた。同時に、「終わった」と、茂から安堵あんどの声がこぼれた。


「負けっぱなしは嫌だけど、みんなでトランプもいいな~」


 一加は、石置き場に石を戻しながら、楽しそうに言った。


「おやつの前に、みなさんに質問があります」


 ホワイトボードの前に立った黒羽は、私以外の三人の顔を見回した。


菖蒲あやめ様の腕はどうしたんですか?」


「えっ!? なんで!?」


 黒羽は知らないはずだ。突然の指摘にうろたえる。


(話に出ちゃった? でも、どうしたって? え? どういう――)


「言ってなかったの?」一加は目を丸くしている。


「だ、だって……、その……」


「ショウは何もわりぃことしてねーんだから、普通に言やーいいだろ」


「……何も悪くないから、言いにくかったんでしょ? ボクが説明するよ」


 一護は、あの日の出来事を全て話した。私が怪我をしたことも、小夜さよが辞めようとしたことも、双子は同じでなければと価値がないと、とらわれていたことも。


 一護が話し終えると、沈黙が流れた。それを破ったのは、黒羽だった。


 バチンッ!


 大きな音――黒羽が自分の頬を思いきり平手打ちした音が、部屋に鳴り響いた。


「なっ! 何してるの!!」


「何もしてません」


 うつむいたまま答えた黒羽は、大きく息を吸い、「は~」とゆっくり息を吐いてから、顔を上げ、にこっと微笑んだ。


「な、何もしてなくないでしょ!」


「してません。一護くん、茂くん」


 黒羽は二人に近づいた。


「それぞれ事情があったのはわかりました。反省していることも。関わったみんなが納得していることも。それでも……」


 一護と茂の前に手刀を差し出し、「いいですか?」と確認した。二人とも、黒羽の顔を見上げ、うなずいた。


 黒羽は、ビシッ! ビシッ! と二人の頭にチョップを食らわせた。二人は頭を手で押さえ、顔をしかめている。


「ワタシは……?」一加はおずおずと手を上げた。


「一加さんは、どちらかといえば、被害者でしょう。髪を切られたわけですから」


「でも、ワタシが茂くんにぶつかったから……」


「気をつけてください」


「うん」一加は、コクンとうなずき、手を下ろした。


「説明ありがとうございます。おやつにしましょう」


 黒羽は、みんなのマグカップにジュースをぎはじめた。



 夜になり、部屋に来た黒羽は、変わらず作り笑顔で微笑んでいた。

 ソファーに座り、本を読みはじめたので、私も隣で本を開いた。


「ふーっ」


 息を吐く音に、顔を上げた。隣に顔を向けると、こちらを見ていた黒羽と目が合った。


「菖蒲様」


「なあに」


「腕を見せてください」


「……うん」


 ガウンを右袖みぎそでだけ脱ぎ、パジャマとその下に着ている薄手の長袖を、ひじまでまくり上げた。


 二十センチほどの傷痕があらわになる。周りの皮膚が少し変色しているが、傷痕自体は細い線だ。ひじ近くのさんセンチは、少しだけ線が太い。


「触れても?」


「うん。大丈夫」


 黒羽は、左手を私の腕の下に添え、右手でそっと傷痕に触れた。


「痛かった……、ですよね」


 黒羽の指が優しく傷痕をなぞる。


「怪我をした瞬間は、痛いとかはわからなくて。手当てしてもらって、しばらくしてから……、ちょっと。でも、痛いときもあったけど、痛み止めが効いたから。どうしようもなく痛いとかは、なかったよ」


「……ありがとうございます」


 黒羽は、まくり上げたそでを戻し、ガウンを羽織り直すのを手伝ってくれた。ふぅ、と小さく息をくと、再び本に視線を落とした。


「……はあ」


 ため息が聞こえてきた。隣を向いても、目は合わない。黒羽は、本を読みながら、ため息をいている。先ほどから、何度も、だ。


(そんな本じゃないはずだけど。あ、また……。ため息、多いな)


「ねえ、黒羽」


「はい」


「何か気になることでもあるの?」


「……いえ、特には」


「本、おもしろい?」


「ええ」


(おもしろいのに、ため息?)


「本当に何もないの?」


「はい」


「私に言いたいこととかない?」


「…………ないです」


「学園で、何かあったりとか……。学園であったことで、話し足りないこととかない?」


「ないですね」


 そう言ったあと、黒羽は、ほんの少しだけ、ハッとしたような顔をしたように見えた。もう少し突っ込んでみようかと思ったが、次の瞬間には作り笑顔に戻っていたのでやめた。


「そう……。話しかけて、ごめんね。本の続きを、どうぞ」


「……はい」


(ダメだったか)


 ため息の理由ついでに、それとなく恋人の話を聞き出そうと思ったが、空振りに終わった。


(ラブレターのときに、冗談めかして聞けば良かった。も~、なんで教えてくれないのかな。なんか、久しぶりにモヤモヤしてき……)


(あっ!)


 本を閉じ、体ごと黒羽のほうを向いた。


「黒羽」


「はい」


「怪我したこと、黙っててごめんね」


 黒羽の表情が、ふとゆるんだような気がした。頭をなでたいと思った。黒羽の頭に手を伸ばそうとした。


「いえ、いいんですよ」


 黒羽は、お茶会だったら周りから黄色い声が上がりそうな、最高の作り笑顔で微笑んだ。


(ため息の理由は、怪我のことじゃない?)


 前だったら、『なんで教えてくれなかったんですか! 慰めてください』と怒られていてもおかしくない。


(そっか。黒羽にとって、もう怒るようなことじゃないから。ため息の理由、ほかに思い当たらないな……)


 黒羽の頭をなでようと、少しだけ上げていた手を下ろした。


(……ん? いやいや、ある! そっか、そういうことか!)


 謎が解けたことと、その答えに頬がゆるむ。


 黒羽が帰省のために、学園を離れてから一週間以上経つ。つまり、それだけ恋人に会っていない。


(恋人のことを想って……。そっか~。それは、ため息出ちゃうよね!)


「ふふ」


 にこにこしている黒羽の顔を、微笑ましい気持ちでしばらく見つめていた。




 テーブルに箱を置き、ソファーに座った。箱から写真立てを取り出す。それに、黒羽に撮ってもらった写真を入れた。

 一加と一護、茂、私の、四人で写っている写真と、編み物をしている私が一人で写っている写真だ。


 黒羽は学園に戻るまで、毎晩、部屋に遊びに来た。


 その間、ひたいにペチンと右手をお見舞いするようなこと、頬をつまむようなこと、『ほどほど』と言うようなことは、一度もなかった。

 黒羽の口から恋人の話が出ることもなかった。


 優しかった。向けられた笑顔は、作られたものばかりだったが、冷たくされるようなことはなかった。

 隣で本を読んでいて、いつの間にか眠ってしまったとき、ベッドまで運んでくれた。怪我のことを知ってからは、腕に気を使ってくれた。


 くっつかれては、ほどほどと騒いでいた頃と比べれば、アッサリしている。笑顔が作り笑顔なのは、寂しく感じる。


(でも、今の関係も、充分いい関係だよね)


 写真を眺めながら、立ち上がった。


 新しい写真立てを、机の上に飾ってある写真立ての隣に、そっと置いた。

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