◆144. 呪縛 5/5 ― 解放


「はよ」


「おはよう、しげる。ノッ……」


 突然ドアが開いた。茂がノックをせずに勉強部屋に入ってきた。


 一護いちごはノックをするようにと注意しようとして、口を開けたまま固まってしまった。

 一加いちかは目を丸くしている。


「おはよー、茂くん。どうしたの?」


 片手で口元をおおいながら、声をかけた。


「うるせーな」


 茂は私を一瞥いちべつし、リュックをテーブルの上に置いた。一加の前に立つと、真面目な顔をして頭を下げた。


「マジでごめん」


 短髪だった少年は、丸坊主になっていた。一加の髪を切ったことに対する反省なのだろう。


「気にしてないって、昨日言ったのに……。うん。わかったよ、茂くん。だから、もう気にしないで。あのときは取り乱しちゃったけど、今はスッキリした気分なんだよ。元気だから、私の髪のことは終わりね!」


「……よくわかんねーけど、わかった。元気ならいーや」


 助け舟のつもりだったとはいえ、一加の髪を勝手に切ってしまったことは、褒められたものではない。しかし、一加と一護が、両親だった人たちの呪縛から解放されるきっかけとなった。


(私が怪我したり、小夜さよさんと茂くんが辞めるなんて話になっちゃったりしたけど……。一加と一護のことがわかって良かったよ)


 もしかしたら、本人たちも気づいていない何かが、まだあるかもしれない。だが、確実に一つ、二人の心は軽くなった。


(両親だった人たちの悪影響はこれで終わり、って信じたい。まあ、何かあったら、みんなで……、だね。茂くんもきっと力になってくれる)


 茂に目を向けた。


「ふふっ」


 笑ってはいけないのだろうが、見慣れない頭にニヤニヤしてしまう。「ちょっと、触らせて」と茂の頭に手を伸ばした。


「ショリショリする!」


「おい、ショウ! 人の頭、勝手に触るなよ」


「そう! そうだよ、茂くん。触るだけでも、そう思うでしょ? 髪も一緒だよ。特に女の人。勝手に切っちゃうなんて、もってのほかだからね。次からは確認しようね」


「……うるせーな。母ちゃんみてーなこと言いやがって。うんざりなんだよ」


「うんざりするほど言われたの?」


「そーだよ! 女の髪に何してんだってな!」


「そっか。良かったね。それは愛だよ。お前って言わない。ドアはノックする。人の髪は勝手に、触らない、切らない。茂くん、私たちの愛でどんどん成長していくね」


「お前、バカにしてるな?」


「も~、お前って言わない。バカになんてしてないよ。うーん、この頭。ガキ大将感が増したね」


「ガキ大将……。ぜってー、バカにしてる」


「褒めてるの! いい意味でのガキ大将だよ」


「んだよ、それ」


「あ~、ショリショリしてて気持ちいい」


「いいな! ワタシも触りたい!」

「ボクも!」


「勝手にしろ!」


 茂は席につき、ブスッとした顔でテーブルに頬杖をついた。家庭教師の先生が来るまで、茂の頭を触り続けた。



「何やってるの?」


 茂を「帰るよ」と呼び来た小夜は、目を丸くした。三人で、茂を囲んで頭をなでていた。


 暇さえあれば、茂の坊主頭に触っていた。てつたちも触っていた。家庭教師の先生もだ。今日一日、茂は誰かしらに頭をなでられていたのではないだろうか。


 門のところで、小夜と茂を見送った。小夜も茂の頭をなでていた。


「だよね。触っちゃうよね」


「うん」

「気持ちいいもんね」


 三人で顔を見合わせ、笑いながら家に入った。




 一加と一護と一緒に、こっそりと玄関をのぞいた。父が女性と話をしている。一加と一護の髪を切りに来てくれた美容師だ。


「どう?」


「大丈夫」

「ボクも平気」


 髪を切るということは、至近距離に近づくことになる。もちろん、髪や顔などに触れることにもなる。

 大丈夫かどうか、二人に確認してもらった。無理な場合は、私の髪を切ってもらうことになっていた。


「ボクのほうが簡単だから」


 一護が先陣を切った。


 髪を切っているところを見ているつもりだった。そばにいたほうが良いのではないかと思った。「最初に見せるから、部屋で待ってて」と追い出されてしまった。完成してから見てほしいそうだ。


 コンコン。


 ドアがノックされた。一護だ。


「どうぞ」


 ドアが開いた。一護はバスタオルを頭からかぶっている。中に入り、ドアを閉めてから、ゆっくりとバスタオルを取った。


「えっ!?」


 一護の髪は短くなっていた。切ったのだから、当たり前だ。ただ、思っていたよりも、かなり短くなっていた。


「坊主にしたの!?」


 頭に手を伸ばした。触れる直前に「いい?」と聞いた。うなずいてくれたので、頭をなでた。


「うーん。同じ丸坊主なのに感触が違うね~。髪質が違うからかな? 明日、茂くんもビックリするだろうな~」


 今日は家庭教師も小夜も休みだ。茂は来ていない。


 手触りの良さに、無心で一護の頭をなで続けた。


「ねえ、ショウ」


「なあに」


「腕、あと残るんでしょ?」


「うん。でも、全部じゃないよ。残るのは、二、三センチくらい」


「責任取るよ」


「責任?」


「結婚しよう」


「そっかあ、ありが…………えっ!?」


「ボクと結婚しよう」


「い、いやいや、いいよ! 気にしないで!」


華族かぞくのお嬢様は、傷があると大変でしょ? ボクのせいだ。一加とボクが、ずっと一緒にいて、ずっとショウの面倒を見るよ」


「大変な人もいるかもしれないけど、私は大変じゃないよ! このくらいの傷痕で結婚できないとか言う人は、こっちから願い下げだよ!」


「そう?」


「そうそう! そうだよ! っていうか、一加にそうしようって言われたの?」


「ううん。一加に言われたわけじゃないよ。一加には、まだ言ってない。でも、きっと賛成するよ」


「そうなんだ……。一護も、なかなかすごいことを言うね」


「そうかな?」


「一加は知らないのに、一加と一緒にって……。一加は一加で結婚したいでしょ」


「そうなったら、その結婚した人も一緒に」


「それは~、その結婚した人が可哀想なんじゃないかな……」


「ええ~。一加と結婚するなら、ショウのことを一番に考えてくれる人じゃないと……」


「一番は一加じゃないとダメだと思うんだけど」


「ボクたちと同じくらいショウのことが好きで、一緒にいることを大切に思ってくれるような人がいいよ。ショウのことが一番……、黒羽くろは……。うーん、黒羽かあ……」


 一護はうつむき、悩みはじめた。


(黒羽の一番は、私じゃないんだけどな……)


 黒羽が学園に戻る前日の夜、手紙のやり取りはもうできないと言われた。週一だった手紙は、本当に来なくなってしまった。

 帰省中、普通だと思っていた黒羽の態度は、手紙のことを私に告げたあと変わった。黒羽は私から目をそらすようになった。


 手紙のことと、黒羽の態度から、黒羽に好きな人か恋人ができたという結論に至った。

 その人のために、私との手紙のやり取りはしないほうが良いと判断した。手紙を書く時間を、その人との時間に充てたいと考えた。どちらか、または両方だと思った。

 目を合わせてくれなくなったのは、気まずかったからだと思った。


 黒羽のことを全力で応援している。おめでとう、と思っている。ただ、少しだけ寂しい気持ちがある。


 ずっと手をつないで隣にいてくれた人がいなくなってしまった寂しさだ。その気持ちがまだ消えていない。そういう人ができたと教えてもらえなかったことも引っかかっている。


(この気持ちが消えるのには、もうちょっと時間がかかるかな……。毎週届いてた手紙が来ないのが、意外に寂しいんだよね……)


(うーん。何か、はじめようかな? ……編み物。久しぶりに編み物ってのもいいかも! ん? 久しぶりって、最後に編み物したの、前世か……)


「やっぱり、黒羽は無理!」


 ぶつぶつと悩んでいた一護が顔を上げた。


「そう? お似合いかもしれないよ?」


「ううん。一加と黒羽は、どうあっても反発すると思う」


「ふふ。そっか」


「……そういえば、黒羽から手紙来ないね。喧嘩でもしたの?」


「してないよ。忙しくなっちゃったんだって。この前、帰ってきたときに言ってた。だから、手紙出せなくなったって。黒羽からの手紙は、もう来ないよ」


「忙しい? 出せない? 黒羽が?」


 忙しいということにして、好きな人のことは伏せた。一護は首をひねり怪しんでいる。


「一加がどんな髪型にするのか、一護は知ってるの?」話をそらした。


「知らない。聞いてないよ。ボクも言ってなかったから、ボクが切ってもらってるところを見てビックリしてた」


 そのときの一加の様子や、丸坊主になった感想を聞いたりしていると、ドアがコンコンと鳴った。


 どうやら一加も終わったようだ。


 一加もバスタオルを頭からかぶっていた。部屋に入り、こちらを背にドアを閉めた。両手でバスタオルを押さえながら、しずしずと私たちのほうに向き直った。


 上目遣いに一護と私のことを、チラッチラッと見てから、恥ずかしそうにバスタオルを取った。


 前髪は眉が隠れるくらいの長さで切り揃えられている。耳の辺りはあごの位置で切り揃えられ、後ろ髪は肩下十センチくらいになっていた。

 いわゆる姫カットだ。


「うわあ! かっわい~!! なるほど。短くなっちゃったところをうまいこと……。似合うね。お人形さんみたい」


 前の髪型が似合っていなかったわけではないが、姫カットは一加にとてもよく似合っている。雰囲気もあっている。

 見た瞬間、これだ! と思った。


 眺めながら、一加の周りを一周した。正面から、さらにしげしげと眺めた。


 一加は頬を染め、はにかんでいる。


「いいね、一加! すっごく、いいよ!」


「ホント? 嬉しい! なんかね。とってもね。うきうきするの!」


 一加はクルッと回ってみせてくれた。サラッサラッと、黒髪が楽しそうに揺れた。



 次の日。二人の新しい髪型を見た茂は、一護を見て笑い、一加を見て顔を赤くしていた。

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