138. 夏の終わりに 2/3 ― 心変わり
ススキ花火を両手に一本ずつ持った。先端の薄紙をちぎるか迷った。ちぎるタイプか確認するのも、ちぎった薄紙を持っているのも面倒くさいと思い、薄紙から火をつけることにした。
右手に持った花火をローソクに近づけた。火花を散らしはじめた。
このススキ花火は、途中で色が変化するらしい。
(変わったって、責めたりしないのに……)
手紙のことを謝られた次の日、なぜか
なんとなく、わかった。教えてもらえなかった、手紙を出せなくなった理由。たぶんだが、わかってしまった。
とうとう黒羽は巡り会った。
好きな人か恋人ができた。
そうであれば、週一で私に手紙を出している場合ではない。毎回、
本当はすぐに出すのをやめたかったのかもしれない。それを、直接会って話すまではと、続けてくれたのではないだろうか。
学園に戻る前日まで手紙の話をしなかったのは、言いづらかったから。次の日に目を合わせてくれなかったのは、気まずかったから。何度も謝ったのは、手紙についてではなく、心変わりしたことについて。
そう考えるとしっくりくる。
(しっくりこないこともあるけど……。説明がつかないってことはないし……)
右手の花火が終わりそうになったので、左手に持った花火を近づけた。今度は左手の花火が、シューッと火花を散らしはじめた。
(学園に戻る前日、手紙の話をするまで普通だったのは……)
二人とも、私の知らない、騎士の顔、先生の顔がある。でも、ここに来たときは、
黒羽もきっとそうだ。私の知らない、学園での顔がある。好きな人、恋人と過ごすときの顔がある。でも、ここに帰ってくると、私の、私たちの知っている黒羽に戻ってしまう。
これまでのように振る舞ってしまった、と考えられる。
(私のことを知りたがったのは……)
黒羽は、みんなが知っていることを知らないのは嫌だ、私のことは誰よりも知っていたい、と言っていた。
私が生まれたときから黒羽が学園に行くまで、私たちはいつも一緒だった。母がいたときは、たぶん母だと思うが、母が亡くなってから、私と一番一緒にいたのは黒羽だ。私のことを一番知っていたのも黒羽だった。
私のことを一人だけ知らないのは、仲間はずれのようで寂しいというのもあると思う。だが、それよりも、その立ち位置を誰にも譲りたくないのかもしれない。
父は黒羽のことを息子のように思っている。黒羽もそれは感じていると思う。それでも、黒羽にとって、
(まあ、想像だけど……。本当のところはわからない……)
ススキ花火をバケツの水に浸けた。スパーク花火を手に取り、火をつけた。
(お化け屋敷の仕返しって意地悪したから、そのまた仕返しなのかなって、ちょっと思ったりもしたけど……。そのまま学園に戻っちゃったし。去年の夏と冬のとき、黒羽が学園に着くよりもはやくに届いてた手紙も、今回はなかった……)
花火は軸を残しながら、バチバチと火花を散らしている。
(今回は……、か。前までと今回で……、違ったこと……)
おもしろかったという本を五冊くれた。読み終わった本とはいえ、黒羽が本をプレゼントしてくれたのは初めてのことだった。正確にいうと、前に一冊もらっているので、二回目なのかもしれないが、プレゼントとして持ってきてくれたのは初めてだった。
これに関しては理由がわかっている。
前回、冬に帰ってきたときに、ちょうど読み終わったという本を「読みますか?」と置いていってくれた。その本がとてもおもしろかった。だから手紙にそう書いた。《他にも読んだ本を教えて》とも書いた。
手紙で教えてもらった本を読んでみた。それもおもしろかった。また手紙に書いたが、そのやり取りはそこで終わってしまった。《読んだ本があれば》と書いたので、読んでいないのだろうと思っていた。
本を私にプレゼントするためだった。教えたら買ってしまうだろうと、黙っていたのだそうだ。
お小遣いは自分のために使ってほしい。私にプレゼントするために買ったのだとしたら、やめてほしいところだが、読み終わった本ということでありがたくいただいた。
(あとは……)
キスされなかった。
黒羽が学園に入学する前、別邸で「はなむけに」とキスをされてから、夏にも冬にも、唇にキスをされた。してはダメだと怒ってもしてきた。冬には「したいから」などと言って触れてきた。
(つまり今回は……、したいと思わなかったってことだよね。決定的な違い……だよね……)
トランプ大会の罰ゲームのとき、「みんなの前では、口にはしませんから安心してください。二人きりのときだけにしときますね」と、みんなに聞こえないよう耳元で言われた。思わず「当たり前でしょ!」と黒羽の腕を叩いた。でも、結局、二人きりのときもされなかった。
(別に、してほしかったわけじゃないけど!)
(そうだ。あと、絶対に忘れないでくださいって言われてない……)
花火をバケツの水に浸けた。ジュワッと音がした。
線香花火を手に取り、
「他の花火はやらないの? なくなっちゃうよ?」
「前にやったからいい」
「そっか」
「つけてあげる」
一加は、私の持っている線香花火に、自分の持っている線香花火を近づけた。
「一加、あんまり近づけると……」
「あ……」
一加の線香花火の玉が、私の線香花火にくっついて取れてしまった。私の線香花火がパチパチと鳴りはじめた。
「失敗しちゃった」
一加は、新しい線香花火にローソクから火をつけ、隣にしゃがみ直した。
「きれいだね」
「うん。とってもきれい。全然、飽きない。ずっと眺めてたい」
「一加は線香花火が好きなんだね」
「うん」
一加は、線香花火を見つめたまま
(なんなんだろう……。この気持ち……。フラれちゃった気分?)
こうなることを望んでいた。これで、私は黒羽の告白に返事をしなくて済む。なのに、肩の荷が下りたという解放感はない。どこか寂しく感じている。
(うーん。子どもが巣立った母親の気分? そういえば、夫はいたって覚えてるのに、子どもがいたかどうかは覚えて……ないな……)
線香花火の玉が地面に落ちた。
立ち上がり、伸びをした。
ススキ花火を手に取り、火をつけた。シューッという音とともに、きれいな火花を散らしはじめた。
煙が鼻にツンときた。空へと上がっていく煙を目で追い、顔を上げた。星が瞬いていた。
「おい」
「なあに」
「お前、大丈夫か? なんか変だぞ」
「お前じゃない」
「うるせーな」
「変じゃないけど……」
「ボーッとしすぎだろ。そんなんだから、訓練機壊すんだぞ」
黒羽が目を合わせてくれなかった理由に思い至ったのは、黒羽を見送ったあとの、
茂にものすごく怒られた。
(黒羽の態度が気になったからって、練習中に考えることじゃなかった……。いつも集中しろって言われてるのに。気を取られて、壊しちゃうなんて。茂くんに怒られるのも当然……)
「ごめんなさい」
「俺はいーけど。旦那様に謝ったのかよ。新しく買うのは、旦那様なんだからな」
「ちゃんと謝った。新しいの買ってくれるって」
「今度は壊すなよ」
「うん」
「……なあ。悩みがあるなら、相談しろよ。一加と一護がいるだろ」
「え?」
「あいつらにできないなら、俺にしろよ。聞くだけ聞いてやる」
「茂くん……。優しいね! ガキ大将って感じだね!」
「んだよ、それ」
茂は消えた花火を私に手渡すと、「トイレ」と言って家屋へ向かった。
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