138. 夏の終わりに 2/3 ― 心変わり


 ススキ花火を両手に一本ずつ持った。先端の薄紙をちぎるか迷った。ちぎるタイプか確認するのも、ちぎった薄紙を持っているのも面倒くさいと思い、薄紙から火をつけることにした。


 右手に持った花火をローソクに近づけた。火花を散らしはじめた。


 このススキ花火は、途中で色が変化するらしい。


(変わったって、責めたりしないのに……)


 手紙のことを謝られた次の日、なぜか黒羽くろはは目を合わせてくれなかった。何回かは目が合った。でも、すぐにそらされてしまった。馬車に乗り込む直前にだけ、ちゃんと目を合わせてくれた。「菖蒲あやめ様、ごめんなさい。体に気をつけてください」と、黒羽は最後にまた謝った。


 なんとなく、わかった。教えてもらえなかった、手紙を出せなくなった理由。たぶんだが、わかってしまった。


 とうとう黒羽は巡り会った。

 好きな人か恋人ができた。


 そうであれば、週一で私に手紙を出している場合ではない。毎回、便箋びんせん五枚から七枚だったのが、一枚になったのもうなずける。

 本当はすぐに出すのをやめたかったのかもしれない。それを、直接会って話すまではと、続けてくれたのではないだろうか。


 学園に戻る前日まで手紙の話をしなかったのは、言いづらかったから。次の日に目を合わせてくれなかったのは、気まずかったから。何度も謝ったのは、手紙についてではなく、心変わりしたことについて。

 そう考えるとしっくりくる。


(しっくりこないこともあるけど……。説明がつかないってことはないし……)


 右手の花火が終わりそうになったので、左手に持った花火を近づけた。今度は左手の花火が、シューッと火花を散らしはじめた。


(学園に戻る前日、手紙の話をするまで普通だったのは……)


 大地だいちが騎士になってから、会うのは年に二三日にさんにちだけになってしまった。だが、会えばいつも通りだ。一緒に暮らしていた頃と同じように過ごせる。


 隼人はやとに、二年五ヶ月ぶりに会った。久しぶりすぎて、少しだけ緊張してしまったが、それはすぐに解けた。髪を切ってダテメガネをかけていても、隼人は隼人だった。


 二人とも、私の知らない、騎士の顔、先生の顔がある。でも、ここに来たときは、湖月こげつ邸にいるときは、私の知っている顔をしてくれる。自然とそうなるのだと思う。


 黒羽もきっとそうだ。私の知らない、学園での顔がある。好きな人、恋人と過ごすときの顔がある。でも、ここに帰ってくると、私の、私たちの知っている黒羽に戻ってしまう。

 これまでのように振る舞ってしまった、と考えられる。


(私のことを知りたがったのは……)


 黒羽は、みんなが知っていることを知らないのは嫌だ、私のことは誰よりも知っていたい、と言っていた。

 私が生まれたときから黒羽が学園に行くまで、私たちはいつも一緒だった。母がいたときは、たぶん母だと思うが、母が亡くなってから、私と一番一緒にいたのは黒羽だ。私のことを一番知っていたのも黒羽だった。


 私のことを一人だけ知らないのは、仲間はずれのようで寂しいというのもあると思う。だが、それよりも、その立ち位置を誰にも譲りたくないのかもしれない。


 父は黒羽のことを息子のように思っている。黒羽もそれは感じていると思う。それでも、黒羽にとって、湖月家こことの繋がりは私なのかもしれない。誰よりも私のことを知り、私と繋がっていれば、父たちとも繋がっていられると思っているのかもしれない。


(まあ、想像だけど……。本当のところはわからない……)


 ススキ花火をバケツの水に浸けた。スパーク花火を手に取り、火をつけた。


(お化け屋敷の仕返しって意地悪したから、そのまた仕返しなのかなって、ちょっと思ったりもしたけど……。そのまま学園に戻っちゃったし。去年の夏と冬のとき、黒羽が学園に着くよりもはやくに届いてた手紙も、今回はなかった……)


 花火は軸を残しながら、バチバチと火花を散らしている。


(今回は……、か。前までと今回で……、違ったこと……)


 おもしろかったという本を五冊くれた。読み終わった本とはいえ、黒羽が本をプレゼントしてくれたのは初めてのことだった。正確にいうと、前に一冊もらっているので、二回目なのかもしれないが、プレゼントとして持ってきてくれたのは初めてだった。

 これに関しては理由がわかっている。


 前回、冬に帰ってきたときに、ちょうど読み終わったという本を「読みますか?」と置いていってくれた。その本がとてもおもしろかった。だから手紙にそう書いた。《他にも読んだ本を教えて》とも書いた。

 手紙で教えてもらった本を読んでみた。それもおもしろかった。また手紙に書いたが、そのやり取りはそこで終わってしまった。《読んだ本があれば》と書いたので、読んでいないのだろうと思っていた。


 本を私にプレゼントするためだった。教えたら買ってしまうだろうと、黙っていたのだそうだ。

 お小遣いは自分のために使ってほしい。私にプレゼントするために買ったのだとしたら、やめてほしいところだが、読み終わった本ということでありがたくいただいた。


(あとは……)


 キスされなかった。


 黒羽が学園に入学する前、別邸で「はなむけに」とキスをされてから、夏にも冬にも、唇にキスをされた。してはダメだと怒ってもしてきた。冬には「したいから」などと言って触れてきた。


(つまり今回は……、したいと思わなかったってことだよね。決定的な違い……だよね……)


 トランプ大会の罰ゲームのとき、「みんなの前では、口にはしませんから安心してください。二人きりのときだけにしときますね」と、みんなに聞こえないよう耳元で言われた。思わず「当たり前でしょ!」と黒羽の腕を叩いた。でも、結局、二人きりのときもされなかった。


(別に、してほしかったわけじゃないけど!)


(そうだ。あと、絶対に忘れないでくださいって言われてない……)


 花火をバケツの水に浸けた。ジュワッと音がした。


 線香花火を手に取り、一加いちかの隣にしゃがみ込んだ。一加は、ずっと線香花火をしている。


「他の花火はやらないの? なくなっちゃうよ?」


「前にやったからいい」


「そっか」


「つけてあげる」


 一加は、私の持っている線香花火に、自分の持っている線香花火を近づけた。


「一加、あんまり近づけると……」


「あ……」


 一加の線香花火の玉が、私の線香花火にくっついて取れてしまった。私の線香花火がパチパチと鳴りはじめた。


「失敗しちゃった」


 一加は、新しい線香花火にローソクから火をつけ、隣にしゃがみ直した。


「きれいだね」


「うん。とってもきれい。全然、飽きない。ずっと眺めてたい」


「一加は線香花火が好きなんだね」


「うん」


 一加は、線香花火を見つめたままうなずいた。


(なんなんだろう……。この気持ち……。フラれちゃった気分?)


 こうなることを望んでいた。これで、私は黒羽の告白に返事をしなくて済む。なのに、肩の荷が下りたという解放感はない。どこか寂しく感じている。


(うーん。子どもが巣立った母親の気分? そういえば、夫はいたって覚えてるのに、子どもがいたかどうかは覚えて……ないな……)


 線香花火の玉が地面に落ちた。


 立ち上がり、伸びをした。


 ススキ花火を手に取り、火をつけた。シューッという音とともに、きれいな火花を散らしはじめた。

 煙が鼻にツンときた。空へと上がっていく煙を目で追い、顔を上げた。星が瞬いていた。


「おい」


「なあに」


 しげるは新しい花火を持って隣にくると、私の持っている花火から火をつけた。


「お前、大丈夫か? なんか変だぞ」


「お前じゃない」


「うるせーな」


「変じゃないけど……」


「ボーッとしすぎだろ。そんなんだから、訓練機壊すんだぞ」


 黒羽が目を合わせてくれなかった理由に思い至ったのは、黒羽を見送ったあとの、氣力きりょく制御の練習中だった。そうか! そういうことか! と思った次の瞬間、訓練機から煙が出ていた。


 茂にものすごく怒られた。氣力流出過多症きりょくりゅうしゅつかたしょうの人が使っても壊れない電化製品は、普通の製品に比べてとても値段が高い。つまり、流出制御訓練機も高価なものだ。しかも、訓練するためのものなので、滅多なことでは壊れない。それを壊してしまった。ふざけたことしてんなよ、と雷を落とされた。


(黒羽の態度が気になったからって、練習中に考えることじゃなかった……。いつも集中しろって言われてるのに。気を取られて、壊しちゃうなんて。茂くんに怒られるのも当然……)


「ごめんなさい」


「俺はいーけど。旦那様に謝ったのかよ。新しく買うのは、旦那様なんだからな」


「ちゃんと謝った。新しいの買ってくれるって」


「今度は壊すなよ」


「うん」


「……なあ。悩みがあるなら、相談しろよ。一加と一護がいるだろ」


「え?」


「あいつらにできないなら、俺にしろよ。聞くだけ聞いてやる」


「茂くん……。優しいね! ガキ大将って感じだね!」


「んだよ、それ」


 茂は消えた花火を私に手渡すと、「トイレ」と言って家屋へ向かった。

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