121. 久しぶり 3/4 ― 厳重注意(隼人)
「なあ、
「なんですか?」
黒羽はニヤケ顔を本に向けたまま返事をした。
「
バシンッ! と音がした。黒羽が本を閉じた音だ。本を引き出しにしまうと、大地さんにひきつった笑顔を向けた。
「余計なこと……、言わないでください」
「余計なことじゃないだろ。ま、あれを、黒羽から隼人に言うわけないか」
「あれは、冗談っ!」
「冗談ならいいだろ。なんであれ、隼人には知っといてもらわないとな。あのな、隼人――」
大地さんが私に顔を向けた瞬間。黒羽は、大地さんとの間合いを詰め、両手を伸ばした。大地さんは読んでいた。黒羽の両手首をいとも容易く掴んだ。
「だ~い~ち~~」
黒羽は大地さんの口を塞ごうとしているようだ。踏ん張り、全身を使って、掴まれた両手を大地さんの顔に伸ばそうとしている。だが、大地さんはビクともしない。
「まだまだ、だな」
大地さんは力を抜き、黒羽の手を掴んだまま片手を上げた。前に体重をかけていた黒羽は、ダンスを踊るかのようにクルッと半回転した。大地さんは、黒羽の両手を、背中側の腰の辺りで掴み直し、固定した。
「俺の足を蹴ったり踏みつけようとしたら、
大地さんは、黒羽の顔の横で静かに忠告した。
「し、師範に言いつける!」
「何を言うつもりか知らないけど。そんなことしたら、逆に黒羽が目をつけられるだろうな。面倒なことになるぞ」
「う、ぐぐ……」
黒羽は悔しそうに歯を食いしばっている。抜け出そうとしているのかもしれないが、周りの部屋のことを考えていては無理だろう。部屋のことがなくても、あの状態で大地さんから抜け出すのは至難のわざだ。
「よし。じゃあ、あきらめておとなしくしてろよ」
黒羽はガックリとうなだれた。
「前に、黒羽が本を見ながら、真面目な顔して悩んでたんだよ」
「真面目な顔ですか?」
「そう。何見てるのかと思ったら、『
「練習?」
「ふ、二人とも初めてだと大変、って本に書いてあったから……」黒羽は力なく答えた。
「誰と練習するんだよって聞いたら、さらに悩みはじめて。
「いい話じゃないですか。菖蒲さんのことを考えて、悩んでしまったんですよね? 女性のほうが負担が大きいですからねえ。他の人と練習しようとしたわけでもないんですよね?」
黒羽はバッと顔を上げた。
「そ、そうなんです! 他の人だなんて、菖蒲様以外には触れたくもありません!」
「いい話っぽいよな。ここまでは、な……」
「ここまでは?」
黒羽に視線を送ると、黒羽は「う……」と声を
「
大地さんから聞いた黒羽の練習方法は、とてもじゃないが容認できるような内容ではなかった。ただの妄想だと思う。妄想でなければならない。だが、あるものを入手することができれば、実現できてしまう可能性がある。
注意は必要だと判断した。
「い、いだだだだ。痛いっ! ギブ、無理、ギブアップ! 暴力反対!」
大地さんに捕まっている黒羽のこめかみ辺りを、ゲンコツでグリグリと
「黒羽の練習方法は、こんなこととは比べ物にならないくらいの暴力行為ですからね。実行したら捕まります。捕まらなくても、旦那様がいます。捕まったほうがマシだ、と思えるほどの天罰が下りますよ。私としては、是非、天罰のほうでお願いしたいですねえ」
「ちょ、ちょっと、想像してみただけですっ! 妄想です! 本にそういうのがあったから!」
「黒羽は変な本を読みすぎかもしれませんねえ」
「は、隼人がくれた本に載ってた話ですよ! それよりも、手! はやく離してくださいっ!」
「そうなんですか? そんな話ありましたか?」
「朝起きたら恋人が! 隣でまだ眠ってたから! って話ですっ!」
「なるほど。それは……、薬は使ってませんねえ。きっと、そういう関係の上で、ですねえ」
挟む力を強めた。
「ご、ごめんなさいっ! 反省してます! 本当にただの妄想だから! 絶対にやらないから!」
「約束ですからね」
「は、はいっ!」
黒羽の頭から手を離した。大地さんも黒羽を解放した。
黒羽は、頭を押さえてベットに座り込んだ。
「う~……。大地、ひどい。大地に怒られたときに、ちゃんと謝ったのに……」
「大地さん、怒ったんですか?」
「怒ったわけじゃないんだけどな。まあ、つい、手がな。ぶつぶつ妄想垂れ流してたから、頭ひっぱたいて、正気に戻してやったんだよ」
「いつもより力も口調も強かったし、顔も怒ってました。しっかり、怒られましたけど」黒羽は口を尖らせた。
「……薬とか言うからだよ。ただでさえ、妄想垂れ流しててやばいのに。薬を使って、とか言ってたら、もっとやばいだろ。何かあったときに、疑われるだろ。外ではぶつぶつ言わないって言われてもな、言いそうで怖いんだよ。妄想は自由だけどな、口に出すなら気をつけろよ。特に、薬を使ってとか、そういう妄想は絶対口に出すな」
「それはこの前も聞きました。わかりましたって言ったのに……」
「本当にわかってんのか? 絶対だからな。ニヤニヤしながら、薬、とか呟くなよ。絶対、言うなよ!」大地さんは真面目な顔をしている。
「も~、わかりました。あ~、まだ痛い……。腕も頭も……。薬を使って眠らせてとか、物騒なことを言ってしまった私が悪いんですけど。本当にただの妄想ですから。そんなことはしませんから、大丈夫です。初めては、ちゃんと合意のもとしますから。優しくするんで。それで、感動して、
大地さんは、「はあ」とため息を
「ひっぱたきたくなるだろ?」
黒羽はぶつぶつ言い続けている。
「そうですねえ。注意されたばかりなのに。楽しそうに、何を妄想しているんですかねえ」
「こんな感じで、ニヤニヤしながら言ってたから、本気にしたわけじゃなかったんだけど。ただ……、ちょっとな……」
大地さんは険しい顔をした。どこか遠くを見ているように思えた。ハッとしたかと思うと、息を吐きながら表情を
「まあ、俺も注意したし、いいかと思ったんだけど。前に
「菖蒲さんが?」
「ああ。恐怖政治の
「してませんから」
「してたんだよ! だから、今日、隼人からも注意してもらおうと思ってたんだよ。隼人の本のことも、本を目の前にして聞きたかったし。流れ的にもちょうどいいだろ? ……俺が、隼人に痛い目に
「そうだったんですねえ。あれは仕方ないです。大地さんが変なこと言うからですよ。……それにしても、長いですね。黒羽の妄想」
黒羽はまだぶつぶつ言っている。
「ああ。隼人にそっくりだよな」
「私に?」
「忠勝さんも俺も言わないけど、隼人はああやって、ぶつぶつ言うだろ?」
「言いませんよ」
「言うんだよ! 気づいてないだけだからな」
「そんなこ――」
「リンゴを一つ、男の子が手に持っていました」
「は?」
「え?」
黒羽は妄想をやめ、私たちを見上げていた。
「あるとき、男の子は一羽のカラスに絡まれるようになってしまいました。手に持っているリンゴもつつかれてしまいそうです。今のところ、カラスは男の子にしか興味ありません。でも、一回でもリンゴをつつけば、リンゴの美味しさに気づき…………」
黒羽は口を開けたまま、固まってしまった。
「なんだよ?」
「気づき?」
「…………忘れてしまいました」
「はあっ?」
「ええっ?」
「友だちに見せてもらった本に載ってた心理テストなんですけど。忘れてしまいました」
「心理テスト?」
「続きが気になりますねえ」
「その本を友だちがまだ持ってたら、見せてもらって、今度はちゃんと覚えておきます。……そういえば、お茶」
「あっ! 忘れてた。のどが渇いてたんだよ」
「夕食も。すっかり忘れてましたねえ」
本の片づけは大地さんに任せ、黒羽と私は台所に立った。お茶をいれている間に、大地さんはダンボール箱をベッドの下に戻し、折りたたみの低いテーブルを出してくれていた。
久しぶりに黒羽と一緒に料理をした。黒羽は前よりも包丁の使い方が上手になっていた。
それぞれの近況を聞いたり話したりしながら食事をとった。
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