099. かくれんぼ 2/2(一加)


 お嬢様が着替えをしている。


 さっきまで、かくれんぼをしていた。お嬢様の部屋のソファーで待っていると、お嬢様と一護いちごが一緒に戻ってきた。お嬢様の胸元が濡れていた。手を洗ったときに水が跳ねてしまったらしい。


(あ~あ、ぐっしょり……)


 脱がせたお嬢様の服を目の前にかかげた。かなり濡れていた。


 一護の涙と鼻水で。


 お嬢様と一護が見つからなくて、部屋で待っていたわけじゃない。二人のことは見つけていた。


 そっと客間のドアを開けると、二人の話し声が聞こえてきた。静かに中に入って、勢い良くクローゼットを開けて驚かせようと思った。


 一護の泣き声が聞こえてきたのでやめた。


 静かにドアを閉めた。二人が戻ってくるのを、お嬢様の部屋で待つことにした。



 ワタシと一護は、感情や動作が、よくシンクロしていた。小さいときは、常に同じと言ってしまっていいくらいだった。


 怒るのも泣くのも一緒だった。同時に同じくらい怒ったり泣いたりしていた。それがいつからか、一護はワタシより怒らなくなり泣かなくなった。何かあれば、ワタシより一歩前に出て、ワタシのことをかばうようになった。ワタシは一護の後ろに隠れるようになった。


 自然に一護とシンクロしていたはずの動作も、両親だった人たちの暴力が怖くて、意識して揃えるようになっていた。ワタシたちが揃っていると、機嫌が良かった。でも、意識すると揃うものも揃わなくて、機嫌を損ねてしまい、暴力を振るわれ、怖くて意識して、と悪循環だった。



(お嬢様とワタシたちは同じくらいの背だから……。う~ん?)


 どういう体勢になれば、お嬢様の胸元に顔がくるのかを考えた。


「どうしたの? 着替え終わったよ?」


「う~ん」濡れている服をソファーの背もたれにかけた。


「え? なに?」


 お嬢様の手を引いてベッドに連れていき、座らせた。ゆっくりと押し倒して、胸に抱きついた。

 一護と同じようにくっつこうと思ったが考えるのが面倒になったので、とりあえず顔だけ胸にくっつけることにした。


一加いちかち……、一加?」


「一人で寂しかったから」


「ご、ごめんね」


「もう、いいけど。ルール新しくしたし」


 お嬢様が優しく頭をなでてくれている。


「今度から、遊ぶときに時計しないとね。時間見みるのに」


「そうだね。お嬢様はしないとね。ワタシと一護はしてるから」


「お茶会のときくらいしか、つけないからなあ」


「お茶会って楽しい?」


「う、う~ん。楽しいような。楽しくないような……」


「どっち?」


 体を起こして、隣に寝直した。お嬢様のほうを向いて、腕にくっついた。

 お嬢様は仰向けのまま、天井を見つめている。


「お菓子とお茶は美味しい。慶一けいいち様……は置いといて、慶次けいじ様とお喋りするのは楽しいかな。でも、行くのが面倒くさい。あと、お父様の友だちを作りなさい攻撃が辛い」


「ケイイチ様とケイジ様は友だちなの?」


 お嬢様が顔だけこちらに向けた。


「あ~、そっか。会ったことないよね。慶次様は同い年で友だちで、慶一様は慶次様のお兄さんで四つ上なの。慶一様は友だちと言っていいのか、ちょっと迷うかな。黒羽くろはの友だち……」天井に視線を向けた。


「……あの二人って友だちなのかな? お茶会で、たまに一緒に女の子に囲まれてたけど。あの状態で、何話すんだろ。今度聞いてみようかな。……来年は慶一様も学園かあ。黒羽と先輩後輩になるんだ。なんかちょっと変な感じ。おもしろいかも」独り言のように呟いている。


「黒羽って人もお茶会行ってたの?」


「うん。私より黒羽のほうが行ってたよ。黒羽がいる間は、私は黒羽のおまけでしか出たことなかったし。黒羽が招待されて、弟さんとか妹さんもどうぞってときにだけ、私も出てたの」


「ワタシと一護も行くのかな?」


 お嬢様が体ごとワタシのほうを向いた。


「黒羽が出てたから、一加たちも出るんじゃないかな。でも、一加たちが出たくなかったら、出なくても大丈夫だよ。お父様に相談しよう。心配しないで」


「ワタシ……、出たいな。お嬢様と行ってみたい。お菓子、一緒に食べたいな。でも、大人の人もいっぱいいるんだよね?」


「そうだね。そんなにいないときもあるけど。確実にいるね。お茶会を目標にしてみたら? お茶会に出れるように、ちょっとずつ、ね」


「うん」


「それまでは、家でお茶会しよ。家で食べるお菓子とお茶も美味しいよ」お嬢様はにこっと微笑んだ。


 コンコン


「ねえ、まだ? さすがに遅くない?」


 一護がドアを開けてのぞき込んできた。


「な、なんで二人で寝てるの? ボク、待ってたんだけど」


「あ、ご、ごめ――」

「ワタシも待ってました~」


「ぐっ……」


 謝ろうとしたお嬢様をさえぎって、言い返した。一護は言葉に詰まった。


「一護。お嬢様の服、洗濯物に出してきてよ」


「なんでボク――」

「ワタシ、ひとりぼっちで寂しかったな」


「行ってきます……。まあ、これに関してはボクが行くべきなのか……」


 ぶつぶつと呟きながらお嬢様の服を手に取り、一護は部屋を出ていった。一護に謝るために、体を起こしていたお嬢様に抱きついて、勢い良くベッドに押し倒した。


「うわっ。も~、一加~」


「ねえ、お嬢様」


「なあに」


「一護のこと、いっぱい触ってあげて」


「えっ!?」


 お嬢様はとても驚いた表情をした。目をパチパチとまたたかせた。


(そんなに変なこと言ったかな? 嫌なのかな? で、でも……)


「手伝ってくれるんだよね? ワタシたちのこと。大人が嫌いじゃなくなるように。苦手を克服できるように」


「それは、もちろん」


「大人じゃないお嬢様がいっぱい触って。ワタシたちは、ワタシたち以外をけてきたから。まずは、ワタシたちじゃない人に慣れるところから。それに……、触ってもらえると……、安心できるから」


 一護があんな風に泣いたのは久しぶりだった。もう声を上げて泣くことはないのかと思っていた。泣かなくなったのは、大きくなったからだと思っていた。


 一護もワタシも、観賞されていたことが普通じゃないと知ってしまった。それから自分たちのことを汚いと思うようになった。ワタシよりも一護のほうが、その強迫観念にとらわれている。

 ワタシはお嬢様に触ったり触ってもらえたりすると気持ちが楽になる。安心する。ワタシがそうなら、一護もそうだ。だから、一護のことをいっぱい触ってあげてほしいと思った。


「い、嫌?」


「え? ううん。あ! 違う、違うよ。私が驚いたのは、嫌とかそういうのじゃなくて。一加と一護って似てるなって思って」


「似てるよ? よく言われるし、そう思ってる」


「うん。そうだね」


 お嬢様はにこにこしながらワタシの頬に触れた。人差し指でグリグリと押してきた。


「なんで、押すの~?」


「いきなり押し倒されてビックリしたから」


「ごめん~」


「ふふ。ねえ、一加――」


 お嬢様が素敵な計画を立ててくれた。一護が戻ってくるのを楽しみに待った。



「一加~、ちょっと開けて~」


 ドアを開けると、一護がお盆を持っていた。戻ってくる途中、てつさんがジュースとお菓子を持たせてくれたそうだ。


 一護はお盆をテーブルに置くと、ソファーの右端に座った。私は左端に座った。お嬢様は真ん中に座らずに、一護に「詰めて」とお願いした。「お嬢様が真ん中」と言った一護の腕を掴んで引き寄せた。一護は不思議そうな顔をして真ん中に座った。


「なんで、ボクが真ん中? 一加、いいの?」


「今はね」


「たまにはいいでしょ?」


 お嬢様は一護の右側に座ると、ワタシに目配せした。


「うわっ。なに?」


 お嬢様と同時に一護の腕にしがみつき、頬にチュッとキスをした。反対側では、お嬢様が同じようにキスをした。


「どう? 嬉しいでしょ?」一護の顔をのぞき込んだ。


「両手に花だね」お嬢様も覗き込んだ。


「花……かどうかは微妙だけど。嬉しいよ」一護は少しだけ照れている。


「なんで? お嬢様とワタシだよ? 花でしょ?」


「花だよね?」


「はあ……。花です」


 花と認めなかった一護をにらんだ。お嬢様も口を尖らせていた。ワタシたちの顔を交互に見た一護は、ため息をいた。でも、笑顔だった。


 このあとずっと一護を真ん中にして過ごした。お嬢様と二人で、一護にいっぱいくっついた。



 夜、ベッドで目を閉じていると、ドアがノックされた。一護だった。


「ねえ、一加。お嬢様から何か聞いた?」


「何かって? なんで?」


「ボクが真ん中だったから。一加はお嬢様の隣が好きでしょ」


「隣がいいけど。お嬢様が、今日は一護が真ん中って言ったから。たまにはいいかなって思っただけだよ。それで、何かってなんのこと?」


「いや、それならいいんだけど。なんでもないよ。おやすみ」


 一護はワタシの頬におやすみのキスをした。


「変なの。おやすみ」


 私がおやすみのキスをすると、一護はそそくさと自分の部屋へと戻っていった。


 ふうっ、と息をいた。


 お嬢様と一護が部屋に戻ってきたときといい、今といい、ワタシの演技もなかなかのものだなと思った。


(そういえば、むか~しあったな。一護が大泣きしてたこと……)


 同じタイミングで同じくらい泣いていた頃、一度だけあった。一護だけが泣いたことがあった。泣きながら、トイレに閉じこもってしまった。理由はわからなかった。いくら聞いても、なんでもないの一点張りだった。


(あれ? もしかして、あのとき辺りからかな?)


 一護があまり泣かなくなってきたのは、その頃からだったかもしれない。何年か前で、よく覚えていないけど、そうだったような気がしてきた。


 ベッドに横になり、目を閉じた。今日のことを思い返した。


 クローゼットから一護の泣き声が聞こえてきたとき、なんで泣いてるの? と心配になったりはしなかった。


(なんていうか、きっともう大丈夫、って思ったんだよね)


 一護はワタシよりも、しっかりしている。ワタシの分もしっかりしようとしている。そのせいで、いつも気を張ってしまっている。

 お嬢様の胸で、一護は泣いた。いつか切れてしまうかもしれないと思っていた張り詰められたものがゆるんだと感じた。一護はお嬢様の前なら、気を心を緩められる。


 お嬢様の部屋で過ごしてから、ワタシの中で張っていたものはすっかり緩んでいた。それとは別の胸につかえていた何かが、フッと消えたような気がした。

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