098. かくれんぼ 1/2(一護)


じゅうじゃ無理、足りない」お嬢様が首を横に振った。


「三十?」一加いちかが指を三本立てた。


「広さ的に、六十がいいと思う」ボクは手の平に人差し指をあてた。


「じゃあ、六十。移動は?」


「移動って?」

「かくれたあとに、移動していいかってこと?」


「そう。時間になったら、移動しちゃダメなのか。鬼に隠れて移動してもいいのか」


「鬼的にはナシがいいけど。移動アリのほうがおもしろそう……かな?」一加が首をかしげた。


「じゃあ、アリ?」お嬢様が一加とボクを交互に見た。


「ボクもアリのほうがおもしろそうだとは思うけど。最初だし、とりあえずナシでやってみれば?」


「じゃあ、様子見ってことで、とりあえずナシ。最初はグーね」


 お嬢様と一加と、かくれんぼをすることになった。ルールは、家の中のみ、客間のベッドなどをぐちゃぐちゃにしない、だ。


 鬼は一加に決まった。もういいかい、はない。数え終わったら、すぐに鬼が動きだす。お嬢様の姿はすでにない。開始と同時にどこかへ行ってしまった。


(どこに隠れよう。……あそこでいっか)


 客間はカーテンが閉められていて、薄暗かった。


 クローゼットの扉を開けた。


「あっ!」


「あれ? お嬢様」


 先客がいた。お嬢様が驚いた顔でこちらを見ていた。


「なんだ、一護いちごくんか。一加ちゃんにしては、早いと思った」


 そのまま、お嬢様の隣に入って扉を閉めた。このクローゼットは、ボクたちくらいの大きさだったら、二人くらいは余裕で入れる広さがある。


「ちょっと~、同じところに隠れたら一緒に見つかっちゃうでしょ」


「もう、時間ないから」


「え~、そこは走って別のところに行こうよ」


「とりあえず、座ろう」


「も~」


 二人で並んで座った。


「お嬢様」


「なあに」


「一護、ね」


「うっ……、一護」


 敬語はやめてほしい、呼び捨てにしてほしいと頼んだ。敬語で話すことはなくなったが、呼び捨てがなかなか定着しない。呼び捨てになったかと思うと、すぐに『ちゃん』と『くん』が付いてしまう。そのたび、指摘している。


 クローゼットの扉にはスリットがないので、閉めると真っ暗だった。扉の隙間がうっすらと見えるか見えないかくらいだ。


 こんな風に暗いところに隠れていると思い出してしまう。


「嫌だな」思わず口にしていた。


「なにが?」


「なんでもない」足を抱えている両腕に力を込めた。


 お嬢様に甘えてもいいだろうか。


 看病してもらうまで、そっけなくしていたボクたちが、急にまとわりついても許してくれる。一緒に眠りたいと押しかけても、受け入れてくれる。欲しい言葉をくれる。触ってほしいと頼めば、触ってくれる。どんどん甘えたくなる。


「殴られないように隠れてたことを、思い出すなって」


「出ようか。かくれんぼやめて違うことしよ!」


「待って!」


 動こうとしたお嬢様を止めた。嫌なことを思い出すけど、この状況は嬉しかった。


「大丈夫。嫌な思い出が、かくれんぼの楽しい思い出にかわるように。続けたい」


「本当に大丈夫?」


 手探りで、お嬢様の腕を見つけ、その先にある手を握りしめた。


「うん。こうしてれば、手もあったかいし大丈夫」


 暗くて見えないだろうけど、笑顔で答えた。すると、お嬢様はボクの手を両手で握りしめてくれた。


「無理はしないでね」


「ありがとう」


「うん」


 やっぱり、お嬢様は優しい。欲が出てしまう。お嬢様に頼みたい。ボクみたいなのに頼まれても、気分が悪いだけかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。


(でも、この前、触っちゃダメって思ってないって……。触ってくれるって……)


「お嬢様、あの、その……」


「なあに」


「こういうとき、ボクが一加を抱きしめてて。ボクも誰かに抱きしめてほしくて」


「うん」


「お嬢様に抱きしめてほしいな」


「え? 私?」


「ダメ? そう、だよね……。触ってほしかったんだけど」


「う、あ~、う~ん?」


 遠慮がちに頼んでみた。お嬢様は悩んでいる。あと二回ほど頼んだら、折れて抱きしめてくれるような気もする。でも嫌われたくない。もう引いたほうが良いだろうか、と思っているとお嬢様が動きだした。

 ひざを抱えて座っているボクを、横からおおいかぶさるように抱きしめてくれた。


「大丈夫。怖くないからね。痛くもないよ」


「うっ……」


 優しく頭をなでてくれている。泣きそうになってしまった。

 しばらくそうしてくれていた。体の左側が温かかった。そのぬくもりが、離れる気配がした。


(まだ、まだ待って!)


 自分の足を抱えていた手を外し、お嬢様に抱きついた。


「ちょっと、いち――」

「せっ、せっかくだし。一加に見つかるまで、このままでいいでしょ?」


 声が震えてしまった。お嬢様が胸に抱きしめ直してくれた。「大丈夫」と言いながら頭をなでてくれている。


 限界だった。


「うっ、うぅ、うああぁ」


 お嬢様が大きく息を吸っていたのが、胸の動きでわかった。呆れられてしまったかと思った。


「大丈夫だよ、一護。大丈夫」


 お嬢様は、ギューッと抱きしめてくれた。少しだけ力をゆるめると、片手で、トントン、と背中を叩きながら、「怖くない」と呟いた。


「いっぱい泣いていいんだよ」


「うわああぁぁ。うぅっ。ううぅぅ~」


 ボクと一加は双子で、姉は一加だけど、ボクは男だから、ボクが頑張らないといけないと思っている。一加を守るために痛い思いをしても大丈夫。一加が痛い思いをするくらいなら、ボクがしたほうがマシだ。一加のことは大事だから、苦ではない。


(苦ではない、けど)


「お嬢様、き、汚くないって、汚くないって言って……」


 お嬢様に泣きながらお願いしていた。お嬢様が息をのんだ。


「も~、一護ってば……、うぅっ」


 お嬢様にはボクの受けた暴力について話した。はっきりと言葉にして伝えた。その上で、汚くないと言ってくれた。


 助けてくれた大人たちはそのことを知っていたかもしれないし、知らなかったかもしれない。大人たちがボクたちを可哀想と思う気持ちの中に、ボクだけが受けた暴力のことが含まれていたのかはわからなかった。

 あの人は自分からボクに何をしたか、自分の立場が悪くなるようなことは言わないと思う。ボクも言わなかった。怖くて誰にも言えなかった。だから、たぶん助けてくれた大人たちは知らなかった。知る手段がなかったと思う。


 あの人は本当の母親ではなかった。ボクたちは養子ですらなかった。あの人はただの女の人だ。ボクは何も悪いことはしていない。


(お嬢様に一度話して気が楽になった。もう大丈夫って思ったのに……)


「お嬢様、お願い……、言って……」


「汚くないって、言ってるでしょ。一護は、汚くない、汚くない、汚くない、汚くないから~。うぅ……」


 お嬢様は泣きながら、苦しくなるほどの力で抱きしめてくれた。


 大人が嫌いだ。女の人が嫌いだ。あの人を思い出す。でも、湖月こげつ家の人たちは好きだ。特に大人じゃないお嬢様が好きだ。安心する。


 ただボクのことを心配して、優しく抱きしめて泣いてくれている。一加とはまた違うこのにくもりと涙が、ボクの中にまって固まってしまっていたものを、とかして洗い流してくれるような気がした。


「汚くないよ」


「うん、うん……」


「私で、良ければ、いくら……でも、言うから。不安になったら、いつでも、言って。うぅ……」


 お嬢様は、ボクを抱きしめ続けてくれた。ボクもずっとお嬢様の胸にしがみつくように抱きついていた。

 何度も何度も、汚くないって言ってくれた。ボクはその言葉に何度もうなずいた。


 一体どれくらいの間、そうしていただろうか。必死にしがみついていた体の鼓動を感じられるくらいに落ち着いてきた。


「お嬢様、その、ごめんなさい。服に、いろいろと……、涙とか、その、他にも……」


「そんなこと気にしない。着替えればいいだけだよ。それよりも大丈夫? もっと泣く?」


「も、もう、大丈夫」


 お嬢様が優しく頭をなでてくれた。気持ちは落ち着いた。落ち着いたので、思いきり泣いてしまったことが恥ずかしくなってきた。


「だ、大丈夫だからさ。服、着替えに行こうよ」


「そう? じゃあ、部屋に戻ろうかな」


 お嬢様は扉を開けると、ピタッと動きを止め、ゆっくりと振り向いた。


「かくれんぼ中だったね。結構、経ってるよね?」


「そうだね……」


 ボクたちは涙と鼻をいてから、急いでお嬢様の部屋に向かった。着替えもあるけど、一加がいるならそこだと思った。お嬢様の部屋は開始位置でもあった。


 ドアを開けると、一加がソファーに座っていた。こちらをチラリとも見ずに、顔の横辺りに挙手をした。


「はい、一加さん。どうぞ」


 お嬢様がさすと、立ち上がりこちらを向いた。


「ルールの変更を求めます! 一回五分とか十分とか時間を決める! 過ぎたら、鬼の負け! 隠れた人は自分から出てきて!」


「異議なし」顔の横に挙手をした。


「私もありません」お嬢様も同じように手を上げた。


「もう! みんな仕事してるから、大きな声出せないし。どこにいるかわかんないし。……あれ? お嬢様、服濡れてない?」


「あ、そうなの。さっき、手を洗ったときに、水がいっぱい跳ねちゃって。着替えよっかな」


 ボクが泣いていたことは、内緒にしてくれるらしい。ボクの顔をよく見れば、泣いていたとわかると思うが、一加の視線はお嬢様に向いている。


「手伝うね!」


「え? 自分ででき――」

「手伝う!」


「大じょ――」

「手伝う!」


「そ、そう? それじゃ、お願い」


「ボクは廊下にいるから、終わったら教えて」


「一護もいれば? いてっ」


 お嬢様が一加のひたいをペチンと叩いた。ボクは廊下に出た。


 泣いたことは恥ずかしかったが、スッキリした気がする。そういえば、あんな風に泣いたのはいつ以来だろう。お嬢様は、いつでも言って、と言ってくれた。

 悲しくなったり、不安になっても、お嬢様の胸で泣けるのなら、そんな気持ちになるのも怖くはないような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る