093. 〔87-91. 双子〕(一護)


 ボクの世界には一加いちかだけいればいい、と思っていた。



 コンコン


「はあい、どうぞ。……あれ? どうかしましたか?」


 一加とボクは、枕と毛布を持って、お嬢様の部屋にやってきた。一緒に眠るためだ。


「お嬢様。昨日の夜、怖い夢見ちゃって」

「ボクも。今日も見たら嫌だから」


 嘘だった。ただ一緒に眠りたいから、そういうことにした。一加に誘われた。ボクもそうしたかったから、その話に乗った――。



 ボクたちが、親だと思っていた人たちは親ではなかった。あの人たちが、実の両親でなくてホッとした。


 一加とボクに暴力を振るい、都合の良いときだけ可愛がった。その可愛がり方は、普通ではなかった。そのことを知ったときは、ショックだった。愛されていると、信じていたものが崩れてしまった。


 ボクたちにひどいことをしたのは大人だった。でも、助けてくれたのも大人だった。大人全員が悪い人じゃないことは、知っているし、わかっている。それでも、受け入れることは難しかった。


 施設で親切にされても信用できなかった。一加と寄り添って、ずっと二人で生きていこうと決めた。大人になっても、大人が受け入れられなかったら、そのときは二人で……、と最悪な結末を考えていた。



 ――バサッ


 お嬢様の枕と毛布を真ん中によせて、自分たちの毛布を広げた。


「私が真ん中なんですか?」お嬢様は困った顔をしている。


「嫌なの?」

「そうなの? 嫌なの?」


「二人が嫌とかではなくて。寝相とかの問題で……」


「大丈夫。受け止めるから」

「まかせといて」


「ふふっ。受け止めるって。ふっ、ふふふ」


 お嬢様は笑いながら、ベッドに上がり座った。ボクたちもベッドに上がり、三角形に向き合って座った――。



 ある日、随分と遠くから話しかけられた。だいたいは、ボクたちが双子なので珍しがってそばに寄ってきて、場合によっては触ろうとする。それなのに、その人はただ遠くからぬいぐるみを持って話しかけてきた。


(ウサギ……)


 誰かに話しかけられると、ボクの背中に隠れて顔を上げない一加が、いつもと違う様子に顔を上げた。ぬいぐるみに興味を持ったようで、ボクの背中からジッとぬいぐるみを見ていた。


 ぬいぐるみの人は、何回もボクたちに会いに来て、少しずつ距離を詰めてきた。ぬいぐるみの後ろにあった顔を、初めて見たときは驚いた。顔を四分の一ほど隠していた。近くで見ると、傷痕を隠していることがわかった。


 援助したい、という申し出を何度も断った。学園に入学するまでの間、その人の家で使用人の手伝いをしながら生活する。学園生活を送る費用は卒業したら返済する。それは良かった。

 ボクたちにできるとは思えなかった。大人が怖い、特に一加の男の人への恐怖がひどかった。

 そんな一加が、ぬいぐるみの人との話し合いには参加していた。一言も話さなかったけど、泣きもせず震えもせずボクに寄り添って、その人と近くに置いてあるぬいぐるみを見ていた。不思議だった。


 何度も何度も会いに来てくれた、ボクたちのこの恐怖ごと受け入れてくれると言ったぬいぐるみの人を、頼ってみることに決めた。一加も他の大人の人みたいに怖がらない。もうこの人しかいないかもしれないと思った。



 ――パサッ


「罰ゲーム、何にしますか?」


「ほっぺにチュウ」

「おでこにで!」


「それって、罰ゲーム……になりますか?」


 眠る前に少し遊ぼうとトランプを始めた。ババ抜きだ。


「負けた人が、一抜いちぬけの人にするんですか?」


「負けた人が、残り二人に」

「異議なし」


「なんかおかしくないですか?」


 お嬢様は罰ゲームの内容に納得がいかないようだ。罰ゲームにはなっていないかもしれない。ボクたちは、お嬢様に触れたいだけだから。


「お嬢様。敬語はやめようよ」

「そうだよ。まあ、ボクたちが言うのも変だけど」


「あと、呼び捨てにしてよ」

「あ、ボクのこともね」


「え……、えっと~」


「敬語で話さないと失礼ですか?」

「ボクたち、失礼でしたか?」


「い、いや、そんなことないで……、ないよ。私も敬語やめるね。一加ちゃ……、一加も一護いちごも、普通に、気軽に話して」


「うん」

「わかった」


 お嬢様は少しだけ恥ずかしそうに、ボクたちを呼び捨てにしてくれた――。



 湖月こげつ邸には五人の使用人がいた。説明はしておいてくれたようで、近くに寄ってくる人はいなかった。みんな気を使ってくれて、まず声をかけて様子を見てから、近づいてくるか、手招きをした。

 一加に関しては、男の人は極力声もかけないようにしてくれていた。徐々に慣れていけばよいと、長い目で見てくれていた。


「湖月菖蒲あやめです。よろしくお願いします」


 旦那様には一人娘がいた。話し合いの中で何回も出てきていたので知っていた。

 最初はよく話しかけられた。でも、できる限り喋らないようにした。ボクたちは二人だけでいたい。それに、今まで寄ってきた人たちは、ボクたちの間に入ろうとした。ボクが一加を思う気持ちを、一加がボクを思う気持ちを、自分に向けさせようと躍起やっきになる。非常にうっとうしい。


 お嬢様はそのうち話しかけてこなくなった。頭にきて、無視をしているのだろうと思った。それと同時に気づいた。とても大変なことをしてしまったと焦った。お世話になっている人の娘に嫌われた。旦那様に怒られる、孤児院に戻ることになるかもしれないと思った。

 旦那様からもてつさんたちからも、お嬢様のことで注意されることはなかった。お嬢様は、こちらから話しかけると普通だった。単にボクたちに興味がなくなっただけのようだった。ホッと胸をなで下ろした。



 ――シュッシュッシュッ


「やっぱり、罰ゲームおかしいで……、おかしいよね」


 負けたお嬢様がトランプをシャッフルしている。一加は頬に、ボクはひたいにキスをしてもらった。ボクたちは満足していた。

 ちなみに負けたら、お嬢様のひたいにキスできた。それでも満足できた。一番つまらないのは、お嬢様と一緒に勝つことだった。それだとお嬢様に触れられない。そうならなくて良かった。


「次の罰ゲームは、私が決めよっと! 多数決はとらないからね」


 そういうと、お嬢様はベッドから下り、油性ペンを持って戻ってきた――。



 一加が知らない大人の男の人に、掴まれ、詰め寄られ、怒鳴られてしまった。みんなのおかげで、少しずつだけど大人に慣れてきていたのに、台無しになった。夜中に一加が悲鳴を上げ、怖い怖いと泣き出した。

 みんな心配してくれたけど、こうなってしまっては大人は誰も頼れなかった。すると、お嬢様が自分で良ければ一緒にいると言い出した。旦那様たちの誰かが、廊下で待機することになるよりはいいかと、お嬢様に部屋にいてもらうことにした。ボクたちの様子を見て、口を出してくるかもしれないと思ったけど、何もしてこなかった。椅子に座って見ているだけだった。


 ボクは疲れてしまった。


 大丈夫だと、何回言ってもわかってくれない一加に。今までこんなに長い時間グズることなんてなかった。最近、平和に暮らしていた。前と今との落差のせいだったのかもしれない。


 ボクだって大人が怖い。一加は女の子だから、もっと怖かったって理解できる。でも、ボクだって辛い目にった。ボクのほうがひどい目にった。気持ち悪い目にった。

 もう何もかもあきらめてしまいたい気持ちになった。大人になってからでも、今からでも、同じなんじゃないかと思った。


 背中に温かいものが触れた。


 お嬢様の手だった。その手が背中をさすってくれた。一加が泣き止んだ。たぶん、ボク以外の人がいたことに驚いたのだと思う。

 お嬢様は、部屋を明るくして、ボクたちに水を飲むようにとコップを差し出した。一加を着替えさせ、二人で一緒に眠るようにとうながした。お嬢様が椅子に座っているのに、ボクたちだけがベッドで眠ってよいものかと迷っていると、いいからと押し切られた。


 呟くように話すお嬢様の声が、子守唄みたいだなって思った。子守唄なんて歌ってもらったことがない。それなのに、こんな風に感じるなんて不思議だなと思った。物語を聞いているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。


 お嬢様の部屋で一週間過ごした。最初の数日間は寒くて苦しかった。嫌な夢を見て怖かった。でも、お嬢様の声と手が癒してくれた。

 最後の日の朝と夜、お嬢様を真ん中にして眠った。一加との間に誰かをはさんで眠ったのは、記憶の限り初めてだった。



 ――パサッ


「やった! 一抜いちぬけ~!」


 お嬢様が両手を上げた。ペンを持って、ニヤニヤしている。


「一護、負けてよ!」

「嫌だ!」


 ボクは残り一枚だ。一加の持つ二枚から、ジョーカー以外を引けばいい。


「こっち!」


「はい、残念~! 私の番! これ!」


「あ!」


「はい、あがり~!」


 ボクの手にはトランプが一枚残った。負けてしまった。


「それじゃ、罰ゲームね」


 お嬢様がペンのキャップを外して、一加に手渡した。まずは一加が、次にお嬢様が落書きをした。なぜか一加が「ズルい」と頬を膨らませた。


「ほっぺに何がかいてあるかは、朝になってからのお楽しみ。明日はそのまま過ごしてくだ……過ごしてね」


「む~、いいなあ」

「何がいいの? 明日も仕事あるのに」


「みんな以外会わないでしょ。見られて恥ずかしいのは……、家庭教師の先生くらい? でもきっと先生も気にしないよ。大丈夫、大丈夫」


 トランプとペンを片づけて、三人でベッドに潜り込んだ。


 朝起きて、鏡を見ると、右の頬に《マケイヌ》と書いてあった。左の頬には、指先くらいのハートマークが三つ描いてあった。


(一加がうらやましがったのは、コレか)


 みんなに笑われて一日恥ずかしい思いをしたけれど、このハートマークを消してしまうのはもったいないなと思った。

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