◆071. その気持ちを大事に 2/2


「惜しいじゃないよ! 何してるの!」


「ちゃんと聞きましたよ。ほっぺにキスしますよって」


「聞いた?」


「はい。僕の話を聞いてないお嬢様が悪いと思います」


「う……」


「何を考えてたんですか?」


「…………だ、だから、さっきも言ったけど、明日のお茶会は、どんなお菓子があるのかなって」


 黒羽くろはは私の正面に移動し、座り込んだ。私の両手を握ると顔をのぞき込んできた。黒羽の顔から視線をそらして、手元に落とした。両手を後ろに引いたが、ギュッと握られていて、黒羽の手を外すことはできなかった。


「お菓子のことを考えている顔じゃありませんでした」


「お菓子だよ」


「お嬢様、ちゃんと目を見てください」


 黒羽の顔を見た。こちらをジッと見つめている。視線を手元に戻し、握られている手をもう一度引いた。


「放して」


「教えてくれるまで、ダメです」


「なんで? 放して。しつこい……」


隼人はやと直伝ですから」


「な、なにそれ。ふふっ」黒羽の言葉に、思わず顔を上げて笑ってしまった。


「隼人は僕が話をするまで、こうして捕まえて放してくれませんでしたから」


「そうなの?」


「そうですよ。毎回ではありませんでしたけど。痛いときもあって、大変だったんです」


「痛いの?」


「隼人はわざとなのか分かりませんけど、掴む力が強いんですよ」


「そういえば、ひねられたり、しめられたりしてなくても、痛がったりしてたね」


 黒羽は思い出したのか、眉間にシワを寄せながらうなずいた。


「話をするまでか……。そんなことやってたんだね」


「さあ、お嬢様。教えてください」


 視線を手元に向け、息を吸い込み、はあ、といた。黒羽の手を軽く握り返し、目を合わせた。


「前に、お茶会や学園に行けば、黒羽にも好きな人ができるって言ったの覚えてる?」


 黒羽は少しだけ目を見開いた。


「……覚えています。でも、それはありえません」


「それなら、それでもいいよ。でも、聞いて」


 黒羽の手をギュッと握りしめた。


「お茶会や学園で、それ以外でも。黒羽に大切な人ができたら、その気持ちを大事にしてほしいの。目移りしないって言っちゃったからとか、十八歳まで婚約しないって私が約束したからとか、そういうのは考えないで」


 黒羽は泣きそうな、辛そうな顔をしている。


 こんな顔をさせたいわけではない。でも、好きな人ができたときに、私にそう言ってしまった手前などと、思いとどまったり足踏みをしたりしてほしくない。


「お願い」握った手に力を込めた。


 風がザアッと通り抜けた。その音にかき消されてしまいそうな小さい声で、「わかりました」と黒羽は呟いた。


「うん。ありがとう」うなずきながら、もう一度手に力を込めた。


 黒羽は小さく深呼吸すると、にこっと微笑んだ。


「お嬢様。大地だいちのこと好きですか?」


「うん。好きだよ」


「隼人のことは?」


「好きだよ」


「僕のことは?」


「好きだけど……」


「僕のこと大切ですか?」


「まあ」


「大事ですよね?」


「そうだけど……」


「僕もです!」勢い良くおおいかぶさるように抱きついてきた。


「ちょっと、やめてよ! ここ庭! 見られちゃう!」黒羽の背中を強めにタップした。


「それじゃ、部屋に行きますか?」


「え? うん。……いや、なんか違う。そういうことじゃない。離れて」


「もう少し」


 肩の上から回されていた腕が、二の腕辺りまで下がってきた。ひじから下しか動かせなくなった。

 黒羽は、私の右肩に顔をうずめた。小さい声で、「お嬢様」と繰り返し呟いている。


「も~。ほどほど~」


「もう少し」


「誰かに見られちゃう」


「あ!」黒羽は顔を上げ、そのまま私の肩にあごを乗せた。


「え? 誰かきた?」


 辺りを見回そうと思ったが、あまり動けず確認できなかった。


「さっきのって、約束ですよね?」


「さっきの?」


「気持ちを大事にするってやつです」


「約束っていうか、お願いというか、私の気持ちを知っててほしかったというか。そう……だね、約束とも言えるかな? 約束してくれてありがとう」


「約束ってことは!」


「ん?」


「約束の~」黒羽は顔をずらして、頬に触れてきた。


「あ! も~。…………長い!」


 頬に触れたまま離れない。十秒ほどして、やっと離れた。


「次は、お嬢様の番」


「するわけないでしょ」


「なんでですか? 約束ですよ? 約束のキスをしないと」


「そんな決まりはない」


「あります」


「外でこんなことしてて、見られちゃったらどうするのって言ってるのに! はやく離れて!」


 黒羽の腕の中から逃れようとしているが、座っている状態で腕もあまり動かせずジタバタすらできない。


「お嬢様がしてくれたら、離れますよ。はやくしないと見られちゃいますよ」


「み、見られたら、私だけじゃなくて黒羽も大変なんだよ!」


「お嬢様は、僕が大変な目にってもいいんですか?」


「なにそれ、ズルい~」


「ズルくないです。お願いします」


「わ、わかったから。離れて……」


 黒羽が抱きつくのをやめてくれた。体が自由になり、は~、と息をいた。


「も~~」黒羽のことをキッとにらんだ。


 黒羽はにこにこしながら、「はやく」と催促してきた。


 キョロキョロと辺りを見て、誰もいないことを確認してから、素早く頬にキスをした。満面の笑みの黒羽の頬を、キスした方を指でつまんだ。


「な、何するんですか! 感触がなくなっちゃう」


「感触がじゃない! ここは部屋の窓からは見えないと思うけど。誰が見てるかわからないんだよ。こんなことしてちゃダメでしょ」


「でも、誰もいないし」


「でもじゃない! 私が見てないと思っても、黒羽は私のこと見てたりするでしょ。お父様もなんだよ。それに、律穂りつほさんは庭のどこかで仕事してるんだよ」


「うっ……」黒羽が下唇をんだ。少しは大変なことをしたと思ったくれたようだ。


「反省して」頬から指を離して、ひたいをペチンと叩いた。


「すみません。これからは部屋でするようにします」


「そうじゃない」


「いえ。今のはそういう話でした」


「い、今のってそうだった? だとしても! 部屋だからいいとかじゃ――」

「そういう話でした!」


 部屋ならいい、部屋でもダメ、と言い争いになった。途中から、寝ぼけてくっついた話を持ち出されて、やや不利になった。


 元気のなかった黒羽が、キスをしてくれたら元気になれると言ったことがあった。それで元気になれるならと、ひたいまぶたにキスをした。喧嘩をしたとき、仲直りにとキスをした。最初は手だったが、頬にするようになった。

 そのあとから、黒羽は事ある毎に頬にキスをしてくるようになった。こうして庭でもしてくるし、廊下などでもしてくる。


 黒羽の困った性格を知っている大地や隼人に見られるならまだしも、本邸のみんなには見られたくない。恥ずかしいのもあるが、それだけではない。一緒に注意されたり怒られたりするならまだよい。もしも、黒羽だけが悪い立場になってしまったら大変だ。

 父は話を聞いてくれる。黒羽のことだけを悪いとは言わないと思う。みんなもわかってくれると思う。でも、避けられるなら避けておきたい。


 しばらくは庭で言い合っていた。昼食の時間になり、食堂に向かった。食事のあとは、部屋で本を読むことにした。


「黒羽~、離れて。これじゃ、読めない」


 一緒に本を読むと言ってついてきた黒羽は、ソファーに座ると同時に抱きついてきた。


「もう少し」


「ほどほど」


「今日は、ほどほどはナシで」


「ナシとかないから」


「慰めてください。今日は家庭教師の時間が、勉強が難しくて大変だったんです」


「わからないことは特になかった、みたいなこと言ってたよね?」


「そうでしたっけ? 忘れてしまいました」


「難しかったなら、復習してきなよ」


「そんな気分じゃないんです。今はくっついていないと。そうしないといけないので」


 黒羽は抱きつくのをやめて、腕にしがみつき寄りかかってきた。


(気分じゃないって……。本当は悩みがあるのかな? 私には言えない悩みだから、こうして発散しようとしてる?)


 私が思っていたよりも、隼人と黒羽はたくさん深い話をしていたようだ。隼人がいなくなり、黒羽は胸の内を語れずめ込んでしまっているのかもしれない。


(普段から、チョップされたり、ひねられたりして騒いでたし。手紙だけだと物足りないとか?)


「黒羽、悩み……とかあったりする?」


「悩みですか? 別に……、あります! 悩んでます。困ってます。だから、元気をください。ほっぺにキスをお願いします!」


「ああ! そうだよ。お昼で途中になっちゃったけど、外でいろいろするのやめてよね」


「部屋ですればいいんですよね。それよりも、元気を!」


「しませんっ!」


「今は部屋だからいいじゃないですか」


「部屋でもダメ!」


 夕食の時間になるまで、本を読んだりお茶を飲んだりしながらも、その話をグダグダと繰り返した。結局、黒羽を説得することはできなかった。「ダメなものはダメ」と無理やり話を切り上げた。

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