064. 〔63. 婚約?〕 1/2(黒羽)
「
ガタンッ
先ほどは、旦那様がお嬢様に好きな人はいるかと聞いたことに驚き、お盆を落としていた。
あわてた様子の隼人は、謝りながら椅子に座った。僕のことをチラチラと見ている。僕が何か
お嬢様の好きな人の話は緊張した。婚約の件数には驚いた。でも、婚約の話自体には驚かなかった。知っていたからだ。昨夜、旦那様が教えてくれた。
「黒羽」
「なんでしょうか?」
お風呂に向かう途中、旦那様に呼び止められた。
「
「っ! ……あ、すみません」
抱えていた着替えなどを落としてしまった。拾うためにしゃがみ込んだ。
(何て返せば……)
服に手を伸ばしながら考えた。おめでとうございます、などのお祝いの言葉は述べたくない。断ってください、とは言えない。お嬢様がお嫁に行くときは僕をお嬢様つきの使用人にしてください、と言うのがよいのだろうか。
(どうしたら……)
考えがまとまらず、服を拾うことがなかなかできずにいた。服に落としていた視線に、大きな手が入ってきた。
旦那様が
「まだ
(なんで……?)
僕が立ち上がると、旦那様は着替えを手渡してくれた。
「
「え?」
ずっと下に向けていた顔を上げた。旦那様と目が合った。
「
「はい……」
僕が
(なんで、僕に……)
旦那様が僕に教えてくれた理由がわからなかった。
お風呂に向かうのをやめ、自室へ戻った。一時間ほど時間を潰してから、お風呂へと向かった。脱衣室に隼人がいた。
「随分と遅かったですねえ。黒羽が最後ですよ。今夜はどうしますか? 勉強会やりますか?」
「今夜は遅くなってしまったので。明日の夜にお願いします」
隼人がここを辞めると知った一週間後くらいから、眠る前に少しだけ隼人の部屋で過ごしている。
先ほどのことを隼人に相談するにしても、その前に独りで考えたかった。だから、部屋で時間を潰して遅らせた。潰しながらも考えたが、気持ちを落ち着かせるだけで精一杯だった。
「わかりました。それじゃ、あと、よろしくお願いしますね」
「はい」
隼人は濡れた髪を器用にタオルで包むと、脱衣室を出ていった。
「はあ……」
頭と体を洗い終わり、湯船に浸かるとため息が出た。涙も出てきた。
(お嬢様のそばにいたい。絶対に離れたくない)
「一緒にいたいのに……」
お嬢様つきの使用人になれば、お嬢様がどこへ行ってもついていけると思っていた。でも、よく考えてみれば、ついていけるとは限らない。男の僕がお嬢様のそばにいることを、結婚相手が許すかどうかわからない。許さないことの方がありえると思う。僕なら嫌だ。
お嬢様が結婚してもそばにいるためには、ここにいてもらうしかない。
(もし、もしも、お嬢様がお嫁に行くとなったら。僕はどうしたら……)
旦那様は、お嬢様が決めることだと言っていた。お嬢様が嫁には行きたくないと言えば、無理に行かせるようなことはしないということだと思う。
「なら、お嬢様を……。お嬢様をここに縛りつけておかないと……。絶対に僕から離れられないようにしないと……。絶対に放さない……」
視線を落としていた
ひな先生のときのことを思い返した。
応接室のソファーに旦那様と向かい合って座り、話をした。旦那様に説明を求められたので、あったことをそのまま話した。僕の部屋で何があったのかも話した。どうしてそうしたのかも話した。僕が傷つけばお嬢様とずっと一緒にいられる、お嬢様が僕のものになると考えたことは伏せた。
僕が話し終えると、ひな先生が何て言っていたのかを教えてくれた。立ち上がって、否定した。
僕のことで嘘をつかれただけなら、取り乱したりはしなかった。ひな先生はお嬢様にひどいことをしていた。それを、自分がお嬢様にやられていたなどと嘘をついていた。許せなかった。
旦那様は、わかっている、落ち着きなさい、と僕を隣に座るように
すまなかった、と旦那様からひな先生のことを謝られた。お嬢様のことも、僕のことも信じていると言ってくれた。少し怖い顔をして、自分を犠牲にするのはやめなさい、と僕の頭に手を置いた。
旦那様は僕の頭をなでると、そのまま頬に手を添えた。ジッと僕の目を見て、優しい声色で
「すみれが、黒羽にいつも何て言っていたか……、覚えているか?」
覚えていなかった。もう何年も前のことだ。それだけでなく、僕は周りに興味がなかった。お嬢様が生まれてからは、お嬢様にしか興味がなかった。
僕が奥様のことで覚えているのは、元気で明るかったのに、いつからか元気がなくなって、そのまま亡くなってしまったということくらいだ。だから、お嬢様に奥様のことを聞かれても、何も話すことができなかった。
「私もすみれと同じ気持ちだ。すみれより長く過ごしてきた分、私のほうが……。いや、そんなことを言ったら、すみれに怒られそうだな」
旦那様はそう言うと、優しい顔で、覚えていないか、と微笑んだ。手を頬から離すと、
食堂に向かうために、一歩踏み出したときだった。
「
耳元で女の人に
奥様の言葉と、先ほどの旦那様の言葉を思い出して、涙がこぼれた。
バシャッ
お湯を両手ですくい、顔にかけた。はあ、と息を
(奥様は僕のことを大事に思ってくれていた。旦那様も僕のことを大事に思ってくれている。大地も隼人も、きっとそう……。なのに、僕は……)
「お嬢様のそばにいるためなら、なんでもしてしまいそう……」
なんでもしてしまったら、お嬢様が悲しむ。それは嫌だ。でも、そばにいられなくなるのも嫌だ。
みんなが悲しまない道。それはやはり一つしかないと思った。それに、それは僕が一番叶えたい望みだ。
叶えることができれば、僕にとっては
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