065. 〔63. 婚約?〕 2/2(黒羽)


「……は! 黒羽!」


「は、はい?」


「どうしたの? 大丈夫?」


 お嬢様の髪の毛を乾かし、クシでとかしていた。昨日のことと、夕食のときのことを思い返していた。ボーッとしてしまい、手が止まっていた。


 お嬢様が僕のほうを向いて座り直した。


「言える? それとも言えないこと? どっち?」


「……王子様と結婚したいんですか?」


「え? なんで?」


「さっき、夕食のときに、旦那様に言ってましたよね?」


「あ~、側室の話ね。特に意味はないよ」


「したくないんですか?」


「王子様だからしたいとは思わないかな。王子様のことが好きになったら、したいと思うかもだけど。でもなあ……」斜め下に視線を落とした。


「でも、なんですか?」


「好きになって、結婚しても……。大変そうだよね」


 お嬢様は結婚生活を想像したのか、はあ、とため息をいた。


「ふはっ。ふふ」


「あ、どうせ王子様と結婚できるはずないのにって思ったでしょ?」


「いえ。そういうわけでは」


 王子様との結婚を想像して、キラキラした生活よりも、大変そう面倒くさそうが勝ってしまうところが、お嬢様らしいなと思った。


「そんなに大変なのが嫌なら、面倒くさいなら、僕に閉じこめさせてくれればいいのに。全部やってあげるのに……」


「え?」


「あ……」口元を手でおおい、うつむいた。声に出してしまった。悲しい顔をさせてしまったかもしれない。怒らせてしまったかもしれない。


「ふふふっ」


(え?)


 顔を上げると、お嬢様は笑顔だった。


「そうだね。それはらくかも」


「お嬢様……」


「でも、ダメ~」お嬢様が僕の両頬を指でつまんだ。


「なんへでふか」


「なんでも!」


「答えになってまふぇん」


「な~ん~で~も~」頬を四回、引っ張られた。最後の一回と同時に、頬から指が離れた。


「いたい……」じんわりと痛む頬を、両手でさすった。


 痛みがひいてきたので、両手を下ろした。はあ、とため息が出た。


「ん~? まだある?」


「どうしてですか?」


 お嬢様が人差し指で、僕の眉間を押した。


「ある?」


「あります」


「なに?」


「慰めてください」


「理由は?」


「内緒で」


「も~」お嬢様はため息をくと、ベッドの上でひざ立ちした。両手を広げたので、胸元に抱きついた。


「お嬢様」ゆっくりと力を込めた。


「まだしないから。大丈夫」僕の背中をポンポンと優しく叩いた。


「まだじゃなくて、ずっとでお願いします」


「やっぱり、婚約の話が気になってたの?」


「あ……。ズルい! 誘導尋問だ!」


「ズルくない! 引っかかるほうが悪い」


「……ずっと、って。ずっとしないって約束してください」ギュッと腕に力を込めた。


「できない」


「ずっと、って約束してください」


「絶対にしないかどうかなんて、わからないからできない」


「そこをなんとか」


「ダメ。できない」


「期間……、期間限定でいいので。お願いします」抱きしめながら、顔を見上げた。お嬢様は難しい顔をしていた。悩んでいるようだ。


「お嬢様、お願い」


「じゃ、じゃあ……。たぶん、二十歳はたちまではしない」


「絶対にですよ。約束ですよ」


「たぶん!」


「絶対って言ってくれないと、僕眠れません!」


 お嬢様のことをジトッと見つめた。お嬢様は、はあ~~、と長いため息をいた。


「それじゃあ、十八歳じゅうはちまでは絶対にしない」


「なんで、十八歳じゅうはちなんですか?」


「成人するまで、だよ」


「なるほど。わかりました!」ギュウギュウと抱きしめながら、胸元に顔をグリグリとすりつけた。


「約束もしたし。はやくお風呂にでも入れば?」


「なんで急に冷たくなるんですか?」


 両肩を後ろに押されたので、離れないように腕に力を込めた。お嬢様の声のトーンが低い。怒っているような気がする。機嫌が悪いような気がする。


「別に冷たくないけど」


「ほら、冷たいじゃないですか」


「あ、婚約はしないって言ったけど、結婚はするかもしれないから。しちゃったら、ごめんね」お嬢様がプイッと顔を背けた。


「な、な、なんでですか! ひどい!」


「ひどくない!」


「結婚しないって、約束してください!」


「そんなのできない!」


「約束してくれないと、僕眠れません!」


 お嬢様が僕の顔を見ながら、パチパチとまばたきを繰り返した。


「あ、あはは。さっきと同じ。もっと違うのはないの? ふふふ」


「あ、ありますよ。このまま離れません、とか」


「あはは、それも困るね。ふっ、ふふふ。は~あ、結婚は学園を卒業するまではしないよ。だいたいみんなそうでしょ」


 お嬢様が僕の頭を両手でなで始めた。お嬢様になでてもらえるのは、嬉しいし気持ちが良い。


「まあ、こんな、いつまでしないとか言ってても意味ないかもだし。そんな機会、全くないかもしれないしね」


「婚約の話、あったじゃないですか」


「あれが最後だったかもね」


「さっき、怒ってました?」


「よくわかったね」


「もう怒ってませんか?」


「どうだろ~。黒羽が、絶対は無理って言ってるの、わかってくれないからだよ」


「そこは、引けませんので……」


「も~」頭をワシャワシャとなでられた。髪の毛がボサボサになった。


「ねえ、黒羽……」


「なんですか?」


 顔を両手で掴まれ、上を向かせられた。お嬢様と目が合った。


「恋人は約束しないからね。作らないって約束しない」


「……はい。わかりました」


 お嬢様は、眉間にシワを寄せたような、目を細めたような顔をしていた。僕がうなずくと、また頭をワシャワシャとなでた。


「それじゃ、そろそろ離れて~」


「もう少し」


「ほどほど~」


「もう少し」


 お嬢様を抱きしめながら、は~、と息をいた。とりあえず、お嬢様が十八歳になるまでは、僕の手の届かないところに行く確率が低くなった。

 恋人ができるのも嫌だが、まだなんとかできる。してみせる。


(はやく……、お嬢様、はやく僕のことを好きになって)


 胸元に顔をグリグリとすりつけながら、お嬢様、と呟き、僕のことを好きになって、と心の中で唱えた。何回も何回も小さい声で、お嬢様、と呟き唱えた。

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