第2章 ③ 別邸 9歳

9歳

◆055. 変わった生活、変わらないやり取り 1/2


 食堂の椅子に座って、窓の外を眺めていた。濃い青空に、白い雲がもくもくとしている。今はまだ午前中だが、陽射しが強く、外は暑そうだ。


 門の辺りを見ていた。首を長くして待っていた。


(あ、きた!!)


 門から、人影馬影が入ってくるのが見えた。玄関まで駆けていき、急いでサンダルを履いて、庭に飛びだした。


大地だいち! グルグルして!」


「いきなりかよ」


 黒国丸くろくにまるから降りた大地は、はあ、とため息をいた。腕にぶら下がった状態でグルグルしてもらった。


「もっと!」


「もっとは、こいつを休ませてからな」大地は黒国丸の首を優しくポンポンと叩いた。


「そうだね。黒国丸、久しぶりだね。元気にしてた?」


 黒国丸が首を上下に動かした。その動作が、うん、とうなずいたように見えて、そっか、と私も頷いた。


 裏庭にある馬小屋まで、黒国丸の手綱をひく大地の隣を歩いてついていった。家の中で待ってろ、と言われたが、大地が黒国丸の世話をするのを木陰から見ていた。


(この光景、久しぶりだな)


 世話を終えた大地が、手を洗い、荷物を抱え、こちらにやってきた。


「中にいろっていったのに。まあ、お待たせ。なんだその顔」


 大地は、ふっ、と笑うと私の頭をグリグリとなでた。


「その顔って? ねえ、グルグル!」


 頭に乗っている大地の手をとって、腕にしがみついた。


「ニヤついてるぞ。グルグルは荷物置いてからじゃないと無理。それに、シャワー浴びたい。あちい」


「ええ~」


「あとでやってやるから」


「何してるんですか!」不機嫌な声が聞こえてきた。


 こちらに向かって黒羽が駆けてきていた。その後ろに隼人の姿も見えた。

 目の前で立ち止まった黒羽は、ジトッと大地をにらんだ。


「お嬢様から離れてください」


「相変わらずだな……。よくみろ、俺じゃないだろ。くっついてきてるのは、お嬢様だろ」


「それでも、大地が悪い」


「ひどいな」


 ゆっくりと歩いて近づいてきた隼人も、私たちのもとにたどり着いた。大地と黒羽の様子を見て、ふふっ、と笑ったあと、大地に話しかけた。


「久しぶりですねえ」


「ああ。隼人、久しぶり」


「お嬢様が食堂からいなくなってたので、大地さんが来たのかなって思いましたけど。正解でしたね」


「そういや、着いたら、すぐに出てきたな」


「それはそうですよ。お嬢様、ずっと楽しみにしてましたから。今日も朝から、そわそわしっぱなしで――」

「は、隼人!」


 大地から離れ、隼人にしがみついた。それ以上言わないで、と目で訴えた。隼人は目を細めてうなずいた。


「なんだ、そんなに俺に会いたかったのか」大地がニヤニヤしながら、また私の頭をグリグリとなでた。


「ち、違う! 違わないけど……。黒国丸もいるから。黒国丸もあわせてだから」


「はは、そっか。黒国丸には、明日乗せてやるよ」


「やったあ。楽しみ!」


「さあ、中に入りましょうか。外は暑いですから。お腹も空きましたし。お昼にしましょう」


「そうだな。あ、その前に風呂使わせて」


 大地と隼人は、話をしながら玄関に向かって歩きだした。その後ろを、黒羽と並んで歩いた。


「ふふふ」


「どうしたんですか? お嬢様」


 黒羽のことを見て、笑みがこぼれた。黒羽が少し不貞腐ふてくされたような、照れたような顔をした。


「嬉しいね」


「何がですか?」


 久しぶりに大地に会えて嬉しいね、と私が言っていることはわかっているはずだ。それなのに、黒羽はわからないフリをした。


 最初こそ、大地のことをにらんだ黒羽だったが、そのあとはずっとにこにこしていた。久しぶりに大地に会えて嬉しそうだ。私も嬉しい。本人に知られてしまったのは恥ずかしかったが、そわそわしていたのは事実だ。


 二週間ほど前、大地が夏期休暇を利用して一泊二日で遊びに来てくれることになったと父から聞いた。それから、ずっと今日を楽しみにしていた。


 大地がここを出ていく日、私はいっぱい泣いてしまった。その日だけではなく、出ていくと聞いてから、寂しいと感じるたびに泣いていた。最初は我慢していたが、そのことに気づいた大地と隼人が、我慢するなと優しく頭をなでてくれた。


 黒羽も見送るとき、せいせいする、と言いながら涙を流していた。黒羽はずっと我慢していた。私が我慢していたとき、黒羽も我慢しているのがわかった。だから、黒羽の前では泣かないようにしていた。でも、大地が出発する前日に泣いているところを見られてしまった。


 僕の前で泣いてくれればいいのに、と黒羽はソファーに座っていた私のことを抱きしめた。私が泣いたら黒羽も泣いちゃうでしょ、というと否定したが、声が少し震えていた。私が立ち上がろうとしても、黒羽は離れてくれなかった。

 声を殺して泣いていた。黒羽の涙がおさまるまで、黒羽のことを抱きしめていた。


 黒羽が我慢していると気づいたときに、我慢しないで泣いたら、と言うかどうか迷った。言わなかった。大地と隼人は、私が我慢していることに気づいた。きっと、黒羽のことも気づいていると思った。


 三人の間で何かあったのかどうかはわからない。でも、見送るときに泣いた黒羽の頬をぬぐった大地は、優しい顔をしていた。



(大地のことで、泣いたり喜んだりするのは、恥ずかしいのかな?)


「なんでもない」笑顔で小さく横に顔を振った。


「かわいい」黒羽が抱きついてきた。


「ちょっと~、暑い~!」


 背中から抱きついてきた黒羽を、引きずるように歩いた。


「大地にはくっついてたじゃないですか」


「あれは、グルグルしてもらうため」


「これは、お嬢様と僕のためです」


「なにそれ、意味わかんない。歩きにくい」


「それじゃ、これで」


「あ、暑い~」


 立ち止まった黒羽の胸の中に閉じこめられた。腕を肩とお腹の辺りに回し、顔を肩にグリグリとすりつけている。背中がピッタリとくっついていて、とても暑い。肩で動く黒羽の顔が、首にも触れてくすぐったい。


「こら、黒羽! ほどほど!」


 大地と隼人も立ち止まり、こちらを向いていた。


「ほら~、隼人も言ってるでしょ。ほどほど~」


「もう少し~」


「おい、黒羽。ほどほどにしとかないと……」


「いてっ」隼人のチョップが、黒羽の頭にとまった。


「草むしり」隼人がボソッと呟いた。


「わっ、は、離れます。離れました!」


 黒羽はあわてて私から離れた。背中を風が通り抜けていった。


「もういいんですか?」隼人が頬に手を添えて、首を少し傾けた。


「いいです。大丈夫です」


「ふふ、残念です。楽できると思ったのに。黒羽がひとりで草むしりしてくれるのかと思ったんですけど」隼人がにっこりと微笑んだ。


「早く中に入りましょう。食事の準備をしましょう」


 黒羽は隼人のことを回れ右させると、背中をグイグイと押しながら歩きはじめた。


「ホント、相変わらずだな」大地は呆れたような顔をした。


「黒羽は大地に対しては反抗的だけど、隼人の言うことはわりとすぐに聞くよね」


「隼人は優しいようで、容赦ないからな」


「そうなの?」


「ああ。なぜか、俺と黒羽に対しては……」


「仲良しなんだね」


「仲良し……。まあ、そうだな。ほら、俺たちも行くぞ」


 大地に背中をポンッと叩かれた。大地と一緒に黒羽たちを追いかけ、玄関へと向かった。



「この座り順も久しぶりですねえ」


 シャワーを浴びてきた大地が席につくと、隼人が私たちを見回してポツリとらした。

 大地がいなくなってからは、隼人が大地の座っていたところに、黒羽が隼人の正面に、私がその隣に座るようになった。


 他にも変わったことがある。


 今までは、父が家にいられるとき以外は、大地か隼人が必ず家にいた。でも、大地がいなくなってしまい、それが難しくなった。父がいられるときに隼人が休めばよいのかもしれないが、それでは隼人が大変だ。休日の予定も立てにくい。

 隼人が休みのときは、本邸で過ごすようになった。父と黒羽と、たまに隼人も一緒に、本邸に通うようになった。



「うまそうだな。いただきます」


 大地がおかずとご飯を頬張った。私たちも、いただきますと言って食べはじめた。


 今日の昼食はしょうが焼きだ。大地が好きなものだ。大地は肉料理ならなんでも好きだが、特にしょうが焼きが大好きだ。テーブルの真ん中には、山盛りのキャベツが置いてある。


「そういえばさ~」大地がキャベツのおかわりをよそいながら、私に顔を向けた。


「なに?」


「今年はなんだった?」


「なにが?」


「アレだよ」


 わけがわからず首を傾げると、隼人が「誕生日プレゼントのことですよ」と教えてくれた。


「ヤドカリだったけど」


 息を吸う音がした。


「また、どうして」大地がゆっくりと息を吐いた。どうやら、落ち着こうといているようだ。


「最初は、動物だったじゃないか。それなのにここ数年は……。狙ってるのか? センスなのか? いつ動物に戻るんだ?」


 もう耐えられない、と大地は笑いだした。


 五歳までの誕生日プレゼントのぬいぐるみは、イヌ、ゾウ、ネコ、キリン、イルカだった。そのあとは、イモムシ、ホシ、キノコだった。ホシはヒトデでなどではなく、ちゃんとした星だ。

 そこに、ヤドカリが仲間入りした。


「お父様」


 大地の笑いがピタッと止まった。


「――が、帰ってくるのは何時だったかなぁ?」


「んだよ! お嬢様、ビビらすなよ」


 賑やかに昼食はすすんだ。大地の近況を聞いたり、こちらのことを話したりした。


 大地は机仕事が面倒だとぼやいた。剣術の訓練など体を動かすことに関しては、特に問題なくこなしているそうだ。


忠勝ただかつさんとの稽古のことを考えれば、どんな訓練も……」遠い目をして呟いた。


 父と大地が稽古しているところを一度だけ見たことがある。すごかった。強いと思っていた大地が、こてんぱんにやられていた。

 あの稽古は、私の氣力きりょくをわざとれさせた大地への、特別な稽古だと思っていた。もし、父との稽古が毎回あのようなものだったのだとしたら、どんな訓練も目じゃないかもしれないと思った。

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