045. 尊敬よりも(黒羽)
「それじゃ、お嬢様。お願いします」
「はあい」
お嬢様は、ソファーに座った僕の前に立つと、頭を軽く抱きしめてくれた。軽くなのは、苦しくないようにだ。僕はお嬢様の背中に手を回し、ギュッと抱きついた。
今日はお茶会だった。お嬢様も一緒だったが、案の定ほとんど一緒にいられなかった。
お茶会が始まり、旦那様が離れると、僕の周りに女の子たちが集まってきた。お嬢様はそそくさと逃げていった。
お嬢様は旦那様から、友だちを作るように、せめて話しかけるように、と言われていた。でも、友だちを作る気も話しかける気もないようで、人がいる場所を
「友だち、作らなくてよかったんですか?」
「作ろうと思って、作れるものでもないし」
体を少し離し、お嬢様の顔を
「話しかけようとすら、してませんでしたよね?」
「も~、何で知ってるの? あんなに囲まれてるのに。お父様も知ってるんだよね。大人同士で話してるのに。なんでだろ? 適当に言ってるだけなのかな……」
「適当じゃないですよ」
お嬢様にジトッと見つめられたので否定した。旦那様のことはわからないが、僕はちゃんと見ている。
「今日は、ちょっと話しかけにくかっただけだよ」
お嬢様は、はあ、とため息を
どうやら、お嬢様は知らない人に話しかけることが苦手のようだ。
(嬉しいかも)
お嬢様は、フラフラしながら、お菓子を物色していた。ケーキを食べたそうにしていた。ケーキを食べるためにはテーブルにつくしかない。誰も使用していないテーブルはいくつかあったが、どれも四脚ずつ椅子が置いてあった。一人で座るのは気が引けるのか、ケーキをあきらめ、トボトボと次のお菓子置き場へと向かいはじめた。
途中、ジュースを配っている使用人がいた。お嬢様は普通に話しかけて、ジュースをもらっていた。美味しかったのか、一口飲むとコップから口を離し、ジュースを見ながら目を輝かせていた。
それを、近くにいた僕と同じくらいの年の男が見ていた。お嬢様に近づいたので、思わず一歩前に出てしまった。正面にいた女の子が、あのっ、と頬を染めた。申し訳ございません、と一歩下がった。
お嬢様に近づいたと思った男は、使用人からジュースを受け取ると、そのままお嬢様を通りすぎていった。ホッとした。
お嬢様はジュースを飲み終えると、キョロキョロと会場を見渡した。それに気づいた使用人が、お嬢様に声をかけた。お嬢様は使用人にコップを手渡すと、軽く会釈をして、お菓子置き場へと向かった。
「使用人とは普通に話してますよね」
「え? 誰とでも普通に話すよ」
「誰とでも?」
「う……、ううん。誰とでもは言い過ぎたかな。使用人は仕事でしょ。ジュースくださいって言われるのも、コップをどこに置いたらいいですか? って聞かれるのも、仕事のうちだよね。雑談しろって言われたら、困っちゃうけど」
「あ~」
話しかけるだけではなく、話をするのも苦手らしい。話をするのが苦手だから、話しかけられないのかもしれない。
(まあ、どっちでもいいか。お嬢様には悪いけど、僕にとってはありがたい)
次のお菓子置き場にあったのもケーキだった。お嬢様は、わかりやすく肩を落とした。その様子が可愛らしくて、ふふっ、と笑みがこぼれた。周りが、きゃああ、と騒がしくなった。
肩を落としたまま、次のお菓子置き場を目指すお嬢様に、男の子が声をかけた。慶次様だ。慶一様は一緒ではなかった。
二人は少し立ち話をしたあと、お嬢様が最初に物色していたお菓子置き場に向かった。使用人にケーキを取り分けてもらい、二人でテーブルについた。お嬢様はケーキを食べようと、フォークを手にしたが、そのままお皿に戻した。慶次様に一言二言話すと立ち上がり、こちらに向かって歩きだした。
僕のところに来たわけではなかった。僕の近くにいた、お茶を配っている使用人に声をかけた。使用人は慶次様の待つテーブルを確認すると、お嬢様に微笑み、そちらに向かった。
お嬢様は使用人が歩きだしたのを確認すると、クルッとこちらを向いて、にこっと微笑んだ。右手を小さく振ったあと、『が、ん、ば、れ』と言った。声は聞こえなかった。たぶん出していない。口だけをそう動かしていた。
とても可愛らしかった。僕は、口元を片手で
「そろそろ、終わり~」
「まだ、もう少し」
「ほどほど~」
「もう少し」
「も~」
お嬢様はため息を
三回目の「ほどほど」で、
(まあ、たくさんくっついていられたからいいか)
今回のお茶会では、旦那様と僕以外が、お嬢様に触れることはなかった。お嬢様の姿を見失うこともなかった。
お嬢様と一緒に過ごせたのは、少しの間だけだった。お嬢様がトイレに向かったので追いかけ、トイレから二人で戻り、僕が再び女の子たちに囲まれるまでの間だけだった。
帰って来てから、たくさん甘えさせてもらえたことを考えれば、得、だったかもしれない。
でも、僕には納得できないことがあった。
「う~ん」
「なんですか? 黒羽。
「そういうのじゃありません!」
「さっきまでは、ニヤニヤしていたのに」
「そうですか?」
「ええ。何かいいことでもあったんですか? まあ、
「お嬢様が、かわいくて」
「それは、わかりますけどねえ。
「そうですけど……」
「さ、何を
隼人が笑顔で近づいてきた。たぶん、逃げようとしたら捕まえるためだ。
(別に逃げたりしないけど)
「嫉妬……」
「嫉妬?」
「嫉妬してくれないな、と思って。僕が女の子たちに囲まれていても、お嬢様は尊敬はしても、嫉妬はしてくれないんだなって」
「まあ、お嬢様もまだ小さいですからねえ。そういうの、わからないんじゃないですか?」隼人は浴槽の
「でも、前に……。ひな先生のときは、してましたよね?」
「あれはたぶん、黒羽のしてほしいものとは違いますよ」
「そうなんですか?」隼人に顔を向けた。
「ええ」隼人は僕と目が合うと
「あれは、そうですねえ。例えば、黒羽と同じくらいの年の子が、ここで働くことになったとするでしょう。それで
「わかりません。大地に嫉妬なんかしないので」
「うーん、例えが良くなかったですかね。難しいですね。三人いるお兄ちゃんが、全員とられちゃうって感じですかね」
「僕、お兄ちゃんじゃないんで、いてっ」隼人にチョップされた。
「もう、茶々を入れない。きっとあれが誰か一人だけだったら、また違ったんでしょうけど。三人とも、そう思われてしまいましたからねえ……」
「僕はお嬢様にしか興味ないのに……」
「わかっていますよ、大地さんと私は。そうですねえ。もしかしたら、黒羽に恋人ができたとき、嫉妬するかも……」隼人がハッとして、僕を見た。
「なんですか?」
「お嬢様に嫉妬してもらうために、好きでもない相手と恋人になろうなんて思っちゃダメですよ! その相手にも失礼ですからね! 本当に好きになった相手だったり、お嬢様はもういいやってなったときは、かまいませんけど!」
「そんなことしませんよ!」
「本当ですか? 信じてますからね。絶対ですよ」
隼人に両肩を、ガシッと掴まれた。
「痛い! 肩が! 力が!」
「リスクもありますからね。そんなことをしても、お嬢様に全く嫉妬してもらえないかもしれませんからね。それに、お嬢様に幻滅されちゃうかもしれませんからね」
「だ、だから、しないって」
「いいですか! お嬢様のことが本当に好きなら、モテるからといって、とっかえひっかえするなんて、だい――」
ガララララッ!
「あー! 疲れた!」
大地が、腕を体の前で伸ばしながら入ってきた。隼人は口を開けたまま固まっている。僕の肩から手を離し、自分の口元を
「お疲れ様です。遅かったですね」
「とっかえひっかえがなんですか?」続きが気になったので
「その話はもうおしまいです。とにかく、お嬢様を泣かせちゃダメですよ」
「……はい」
隼人は笑顔だったが、有無を言わせない雰囲気に、それ以上聞けず
のぼせてしまいそうだったので、もう上がろうと湯船から出た。
「黒羽、背中洗ってくれよ」
「なんで僕が!」
「いいだろ、たまには」
「ええ~」
「いいじゃないですか、黒羽。やってあげてくださいよ」
「うーん。仕方ない」
大地からタオルを受け取り、石鹸をつけた。大地の背中には
「あ~、疲れた。しんどかった」
「体力バカの大地さんが、珍しいですねえ」
「たまに言ってるけど、なんなんだよ。体力バカって……」
「大地にピッタリ」背中を洗いながら相づちを打った。
「お前らなあ」
「でも、大地さんがそんなに疲れる稽古って。何かの罰ですか?」
「なんでだよ! 罰って、隼人じゃないんだから。親父が、恥をかかないように鍛え直すとかいって、張りきってんだよ。親父だって毎回いるわけじゃないのに、今日はそこになんでか、兄貴たちまで……。ひどい目にあった。疲れたからひと眠りしてきた。そんで、この時間……」
「ふふ。お兄さんたち、弟に頼られて嬉しかったんじゃないですか?」
「別に頼ったわけでは。いや、頼ったのか……? つーか、せめて別々に来ればいいのに。なんで、同じ日に……」
「大地の家って、みんな剣術をやってるんですか?」背中を洗い終えたので、大地にタオルを返しながら聞いた。
「え!? あ、ああ……、まあ、そんな感じ……。ありがとな! ほら、湯冷めしないうちに、さっさと出ちまえよ」
大地は言葉に詰まりながら、タオルを受け取り、頭を洗いはじめた。僕は頭からシャワーを浴びた。
「それじゃ、僕は行きますね」
「ああ。……いてえっ」
「あ、ごめん。手がすべった」
大地の背中の
(あ~あ、お嬢様に嫉妬してほしいな)
お嬢様が、黒羽は私の! と頬を膨らませるところを想像してニヤニヤした。でも、お嬢様が嫌な気持ちになるのは、ちょっと嫌だなと思った。
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