017. レシピ通り 2/2


「じゃあ、おにぎり作ろうか。隼人はやとは塩むすびって言ってたけど。何かおかずになりそうなのは、ないのかな?」


「うーん、ちょうど買い物前なんですよね」


 冷蔵庫を開けている黒羽くろはの後ろから、私ものぞき込んだ。隼人の考えている献立もあるだろう。あまり勝手に食材を使うのも良くないか、と思い始めたところで、卵が目についた。卵がたくさん入っていた。


「甘いの。甘い卵焼きが食べたい」大地だいちに顔を向けた。


「え? 俺?」


「うん。大地の作るとこ見てみたい。お砂糖だけ入れる卵焼きなら作れるよね?」


 好奇心から大地に頼んだ。隼人が、味がしないことが美味しい、と言った意味がよくわかった。



「な、なんで? 今、何入れたの?」


 大地が、卵を割り入れたボールに透明な液体をドボッと入れていた。のにおいが漂ってきた。


 私は踏み台に立って、調理する大地を横から見ていた。黒羽は私が足を踏み外したら大変だからと、隣にピッタリ寄り添っている。


「酢だけど」


「なんで、酢?」


「体に良さそうだから」


「そうじゃなくて、甘い卵焼き。お砂糖だけって言ったよね? 卵三個に砂糖大さじ一、ってお願いしたよね?」


「まあ、砂糖も入れるけど」


 大地は、砂糖を大さじですくうと、バサッとボールに入れた。


「あ、大さじ一って言ったじゃん」


「大さじいっぱいだろ?」


「一って、一杯って、たくさんのいっぱいじゃないよ! 山盛りじゃないよ。表面をすりきって、平らにするんだよ」


「そうなの? 料理はしないからな」


「そ、それだよ、大地!」


「それ?」

「それってなんですか?」


 大地と黒羽が同時にこちらを向いた。


「やらない人、やったことない人には、そんな風にわからないことがあるんだよ。料理がわからない大地に、ちゃんと大さじ一の計り方を教えなかった私みたいに。大地の教え方は、全部そんな感じなんだよ!」


「ああ、そういうことですか。そうですよ、大地。大地は、すっとばし過ぎなんですよ。基礎って言ってるのに、基礎が基礎じゃなかったりするし」黒羽はうなずき、私の言葉に続けた。


「おい、なんで今、そんなダメ出しをされないといけないんだよ」


「だって、大地ってなんでもできちゃうから。わからない料理に例えたら、わからない人の気持ちがわかるかなって」


「なんでもできるわけないだろ。まあ、基本できることしかやらないからな。そう見えるかもしれないけど」


「だから、料理はできないままなのか……、った! 痛い……」


 黒羽はボソッと呟いた。でも、大地は聞こえていたらしく、黒羽にデコぴんを食らわせた。黒羽はひたいをさすっている。


「まあ、もうしょうがないよね。これを焼いて食べるしかないか。……あ! なんで? 今、何入れたの?」


 大地がまたボールに何かを入れた。白い何かを。


「塩だけど。砂糖入れすぎたんだろ?」


「予定より入れすぎたけど。でも、塩を入れたからって、入れすぎた砂糖が消えるわけじゃないよ。っていうか、全体的に入れすぎだよ。酢も塩も、ちょびっとだったら良かったのに」


「うーん、まあ、混ぜちまえばどーにかなんだろ」


「なるわけがない」黒羽がすかさず否定した。


「もう、何も入れないでね。このまま、焼いてね」


「はいはい」


 大地は、卵をかき混ぜると、丸いフライパンで上手に焼いた。卵焼き用の四角いフライパンもあったが、「面倒だから、これでいいだろ」と出ていたフライパンを使った。

 みんなでおにぎりを作った。私はご飯が熱くて触れなかった。ある程度まで冷めるのを待ってから、小さいおにぎりを三つ作った。


 食堂で三人で昼食をとった。今日は、いつも隼人の座っている場所、大地の正面、黒羽の左側に座った。三人の目の前には、問題の卵焼きが置いてある。見た目だけは、ものすごく美味しそうだ。


 三分の一をお皿によそってもらった。おそるおそる口に運んだ。


(う……、すごく甘くて、すごくしょっぱくて、酢のにおいがする……)


「うーん。そんな変かな?」大地がボソッと呟いた。


「は?」卵焼きを食べて顔を歪めていた黒羽が、目を丸くして大地を見た。


「いや。そんな変か?」


「……大地は普段、隼人のご飯どう思ってるの? 美味しいと思ってないの?」


「いや、うまいよ。でも、別にこれも、そんな不味くも……」


「大地って、不味いって感じたことあるの?」


「え? そうだな。生焼けとか、焦げてるとかは気になるけど。味は特にないかもな」


「そ、そうなんだ」


「これが、平気だなんて。味覚おかしいんじゃないの」黒羽がモソモソと口を動かしている。


「ま、まあ。大地の奥さんになる人は作り甲斐がある……よね? 何でも美味しく食べてもらえて」


「僕は、お嬢様の作ったものなら、何でも美味しく食べられますよ」


「そ、そう?」


「はい」


 黒羽は、小さいおにぎりを頬張りながら、嬉しそうにうなずいた。

 私が作った三つのおにぎりは、黒羽が二つ食べた。三つ食べようとしたのを阻止して、一つは大地に渡した。


 私は黒羽の握った小さめのおにぎりと、大地の握った大きいおにぎりを食べた。大きいおにぎりは食べきれず、三分の一くらい残してしまった。

 黒羽は小さいおにぎり二つと、大きいおにぎりを食べた。「僕が食べてあげますね」と私が残したおにぎりも食べていた。

 大地は小さいおにぎりと小さめのおにぎり二つと、大きいおにぎりを三つ食べた。


 卵焼きは、ちゃんと完食した。大地が「無理すんな」と食べてくれようとしたが、私も黒羽も自分で食べきった。


 その日はなぜか、父がとても早く帰ってきた。手には食材の入った袋を持っていた。

 父は、隼人の体調が悪いことに気づいていた。大地の料理下手を知っていて、夕食を作るために早く帰ってきてくれた。


 父と一緒に隼人のおかゆを作った。たまご粥にした。大地と黒羽と三人で、隼人に持っていった。お粥は父が作ってくれたこと、夕食も父が作ってくれることを伝えた。

 隼人は、申し訳なさそうな顔をしたあと、美味しそうにお粥を食べていた。


 食堂に戻るとソースのいい匂いが漂ってきた。焼きそばだった。美味しかった。でも、量が多かった。お腹を空かせた食べ盛りの剣術部の男子学生が四、五人で食べる量を作っていた。


 私と黒羽、子どもが二人いることと、自分がそんなに食べられなくなっていることを考えていなかった。

 大地がかなり頑張ったが無理だった。明日食べることにして残した。


「失敗したな」父が呟いた。


「全然、失敗じゃないよ! 明日食べればいいだけだよ! すっごく美味しかったよ! お父様がご飯作れて、本当に良かったよ!」


「ええ、本当ですよ! とっても美味しかったです! 僕もご飯作れるように頑張ります!」


「そうか?」


 私と黒羽の過剰な反応に、父は少し首を傾げた。昼間に大地の料理を食べた話をすると、「あれを食べたのか」と眉間にシワを寄せていた。



 翌日には、隼人はすっかり良くなっていた。のど飴を舐めながらマスクをして、仕事をしていた。

 のど飴とマスクは、昨日父が食材と一緒に買ってきてくれたものだ。


「もう、いいの? 今日も休んでてもいいんだよ?」


「もう、大丈夫ですよ」


「本当に?」


 隼人はしゃがむと、のど飴を一つ取り出した。「あーん」と言われたので口を開けると、のど飴を口に入れてくれた。


「本当に大丈夫ですよ」私の頭をなでながら、立ち上がった。


 それでも無理をしていて何かあったら大変だと思い、その日は隼人のあとをついて回った。隼人は迷惑がらず、嬉しそうにしていた。


 昼食は、昨夜の残りの焼きそばを卵焼きでくるんだオム焼きそばだった。

 いつもの席につき、みんなで昼食を食べ始めた。


「昨日ね、大地に卵焼き作ってもらったんだよ」


「え! だ、大丈夫だったんですか?」隼人は驚いた顔で、私と黒羽の顔を交互に見た。


「大丈夫ではありませんでした」黒羽は味を思い出したらしく変な顔をした。


「まあ、一応全部食べれたよ」


 昨日の大地の調理の様子を隼人に説明した。勝手に調味料を入れてしまうことや、焼くのは上手だったことなどを話した。


「また、その話かよ。別に普通だろ」


「ちょっと、大地さんは黙っててください。いいですか? 黒羽、お嬢様」


 隼人は椅子を後ろに引き、体を私たちに向け、真剣な顔をした。


「大地さんは、料理に関しては、なぜか学習をしません。わざとか、と思うほどです。一つ教えても、次には忘れてしまいます」顔の前に、人差し指を立てた。


「今回、大さじ一を教えたから、次は大丈夫だろうなどと思ってはいけません。その説明は、学生のときに散々しました。覚えていないだけです」


「え? そうなの?」


 隼人はゆっくりとうなずいた。倶楽部くらぶで作った料理がひどかったので、寮で何度か教えたそうだ。


「勝手に加える調味料も、色がついているモノのときは、まだいいんです。変だということがわかるので。わからないモノのときが、大変なんです。なぜか、見た目は美味しそうなので」


 そういえばそうだったな、と昨日の卵焼きを思い浮かべた。


「それで、口に運ぶと、味とのギャップに苦しみます。今回は調理過程を見ていたから、味を想像できたかと思いますが、知らずに食べるとひどい目にあいます」


「あ~」黒羽が、なるほど、と何度かうなずいた。


「だったら、味付け以外を手伝ってもらえばいいと思いますよね? それも危険です。見ていないところで、勝手に調味料を入れてしまうので」


「なんで?」思わず大地に顔を向けた。


「いや、入れたら美味しいかなと思って」


「美味しくなりません! それで何度料理をダメにされたことか!」隼人が、キッと大地をにらんだ。


「ですから、大地さんはダメです。わかりましたか?」黒羽と私に顔を向け、微笑んだ。


「うん……」

「わかりました。……ぶっ、くくくく」


「あはははは」黒羽がお腹を抱えて笑いだした。


「大地、バカなんじゃないの。なんで、勝手にそんなことするの? 言われた通りにしておけばいいのに」


「うるさいな。良かれと思ってだよ」


「全然、良くありませんよ!」


 笑っている黒羽と、少し不貞腐れたような大地と、過去を思い出して怒る隼人とで、賑やかに昼食はすすんだ。


 父は、もしものときのために、今日も早く帰ってきてくれた。夕食を作る隼人に頼んで、一つだけおにぎりを作らせてもらった。それを、夕食のときに父に出した。


 私の作ったものを、父にも食べてもらいたかった。父は「ありがとう。美味しい」と嬉しそうに食べてくれた。

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