014. お嬢様と本(黒羽)


 談話室には、三人掛けのソファーが二つ『丁』の字に置かれている。横棒のところは、壁に沿って、背もたれとひじ掛けのあるソファーが置いてある。縦棒のところは、背もたれもひじ掛けもない、どの向きからでも座れるソファーだ。横と縦の間は漢字のように接してはいない。大人が余裕で歩けるほどの間隔がある。


 僕は、横棒にあたるソファーの左端に座り、横になっていた。今日の仕事は一段落したので、お嬢様と一緒にいようと部屋に行ったがいなかった。裏庭かもしれない。もしかしたら、また大地だいちと大地の馬の黒国丸くろくにまるで湖に行っているのかもしれない。


 悔しくて辛い。早く大きくなってお嬢様を閉じ込めてしまいたい。でも、そんなことを言ったら、きっとお嬢様はまた怒るだろう。怖くはないが嫌われたくはない。嫌われてしまったら、今の僕では閉じ込められない。


 そんなことを考えていたら、疲れていたのか眠ってしまっていた。



 パラ


 紙がすれるような音で目が覚めた。薄く目を開けると、女の子の足が視界に入った。僕の頭の先に、お嬢様が座っていた。どうやら、本のページをめくっているようだ。

 僕のお腹にはバスタオルが掛かっていた。もう少しこのままいるべきか、声をかけるべきか迷って、声をかけた。


「お嬢様」


「なあに。起きたの?」


「はい」


「眠いなら寝てたら? 時間言ってくれたら、起こしてあげるよ?」


「いえ、もう大丈夫です」


「そう? まあ、夜眠れなくなっちゃうか」


 体を起こし、左端に座っていたのを真ん中に移動し、お嬢様の隣に座った。お嬢様の手が近づいてきて、前髪に触れた。


「寝汗かいてるね」


 お嬢様はソファーから下りると、僕のお腹に掛かっていたバスタオルを取り、僕の首にかけた。タオルの両端を持って、僕の顔を拭いてから、頭をワシャワシャと拭いた。

 そこまで汗をかいてはいないと思うが、お嬢様にやってもらえることが嬉しくて、されるがままになっていた。


「ふふっ」


 少し笑ったお嬢様は小さな声で「かわいい」と呟いた。僕のことだろうか。



 高熱を出す前のお嬢様は無表情で、お人形さんみたいで可愛らしかった。お母様に会いたいとグズるのも、僕の言うことを聞いておとなしく部屋にこもっているのも、可愛らしかった。このままずっと閉じ込めておくことも、簡単にできそうだと思っていた。


 お嬢様を失ってしまうかと思った、あの高熱のあと。お嬢様の表情は、コロコロと変わるようになった。これもまた、可愛らしかった。

 でも、部屋から出るようになり、僕の言うことも聞かなくなった。大地や隼人はやととも仲良くなって、苛立ちは募る一方だった。


 お嬢様を泣かせてしまった。泣くお嬢様も可愛らしかった。でも、お嬢様は隼人を見て泣いた。なんだか嫌だった。それに、とても嬉しそうな顔をしていたのに、それがなくなってしまった。少し胸が痛んだ。


 大地が、お嬢様が僕の顔が見たくないというなら対応する、と言った。お嬢様がうなずいてしまえば、僕はもう一緒にいられなくなってしまう。怖くて、お嬢様を見ることができなかった。


 お嬢様は、このままで良い、と答えた。隼人に髪を結ってもらって喜んでいるのが悔しいのであれば、僕もできるようになれば良いと、練習する気はあるのかと聞いてきた。

 なるほど、と思った。僕がなんでもできるようになれば、その分お嬢様を独り占めできる。そのためなら、なんでも頑張ろうと思った。



「今日の仕事は終わった? 時間ある?」


「ありますよ」


「じゃあ、本読んでくれる?」


「ええ」


 タオルで拭き終わると、本を差し出してきた。今読んでいるのは、妖精の王子様と人間の村娘の恋の物語だ。本を受け取り、しおりのはさんであるページを開いた。


「ねえ、その頭のままでいいの?」


「頭?」


「私がグシャグシャにしたままだよ」


 確かに髪の毛が色んな方向を向いている。


「お嬢様が直してください」


「え~? まあ、私がやったんだけど」


 お嬢様は、タオルの端を持ち、髪全体をなでつけたあと、手グシで簡単に整えてくれた。


「はい。じゃあ、この前の続きからお願い」


 本を読んで欲しいと再び催促された。開いているページを読み始める。お嬢様は、隣から前のめりに本を覗き込むようなことはせず、ソファーの背もたれに寄りかかり、そこから本を眺めていた。


 前回は、人間の村娘が妖精たちに閉じ込められたところで終わった。

 村娘は、相手が妖精の王子様と知らずに恋をした。王子様は村娘が人間だと知った上で恋をした。二人はただ恋をしただけなのに、妖精たちは村娘が王子様を騙したと怒ってしまった。


「閉じ込められた村娘の前には、毎日素敵な人間の男性がかわるがわる現れて、村娘に求婚します」


「一年後、王子様は村娘の居場所を突き止めました。幸か不幸か、村娘は閉じ込められたまま誰の求婚も受けず、そこにいました」


「王子様は村娘を助け出し教会へ向かいました。そして、祭壇の前で愛を誓いました。『永遠の愛を誓います、僕のお姫様』と。村娘も誓いました『永遠の愛を誓います、王子様』と。めでたしめでたし」


 本を読み終わりお嬢様に目を向けると、お嬢様は眉間にシワを寄せていた。


「どうかしましたか?」


「めでたしめでたし、ではないなと思って。妖精たちの誤解を全然解いてないよね。あとこの、『幸か不幸か』っていうのがすっごく引っかかる。ここって、この言葉で合ってるのかな。誰目線なのかな? 王子様目線なら、『こう』一択じゃないのかな?」


 どうやら、お嬢様は本の内容に納得がいかないようだ。


「なんで一人で旅に出ちゃったのかな? 妖精の中で誰か一人くらい味方になってくれる人はいなかったのかな? 誰か頼れる人はいなかったの?」


「一年も毎日、素敵な人間の男性が来てたんだよね。三百何十人と。その中に、王子様と結ばれるより幸せになれる相手がいたかもしれないよね。だいたい、この王子様で大丈夫なのか」


 普通このくらいの年頃の女の子は、一途に王子様を想い続けた村娘と、一人で村娘を探し続けた王子様が、無事に結ばれて良かった、と思うのではないだろうか。それとも、みんなこんな感じなのだろうか。


「僕は素敵だと思います」


「え? あ、そうだったの? いっぱいケチつけちゃった。ごめんね」お嬢様は、焦りながら口元を手で隠した。


「いえ、内容はどうでもいいんですけど。この最後のところ。祭壇の前で愛を誓うところ。僕もやってみたいです」


 そのシーンの挿し絵を指さし、お嬢様に笑顔を向けた。お嬢様は一瞬驚いたあと「いつか誰かとできるといいね」と微笑んだ。


(僕はお嬢様とやりたいんだけどな)


 お嬢様はソファーから立ち上がると、僕の手から本を取った。「お茶飲みたい」と歩き出したお嬢様は、少し歩いて振り返った。「一緒に行こうよ」と誘われた。僕は笑顔でうなずき、ソファーから立ち上がった。

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