5通目は届かない

「あ、え。マジ?」

 テレビを見ながら、思わず声を漏らしてしまう。

 対面していた恵理子は口に運びかけていたスプーンを止め、

「何。こわ」

 とつぶやいてから、視線をテレビに合わせる。


 前田が亡くなった——という話だった。間違いなく、あの前田である。


 就職を機にバイトを辞めたのが、先々月のことだった。うっかり忘れるほどの期間も経っていない。それどころか、忙しくて遅くなりました、と謝罪とともにクリーニングに出していた制服を届けに来たのは、先週の出来事だった。


 犯人はすでに捕まっている。

 供述としては、前田からストーカーをされていた――といった内容だった。


「恐ろしい世の中だね」


 恵理子から求められた同調に、私は反応ができなかった。

 頭の中ではあのご意見カードが浮かんでいて、——何かが、引っかかっていた。


 食事を続けながら、恵理子に前田にまつわる三通のご意見カードについて話をする。一年も前のことだ、自分の中での、記憶の整理の意味もあった。

 ストーカーに遭っていたのは前田のほうで——、でもその前田がストーカーだった――?

 紐づいて、彼女自身が恋愛をしていたことも思い出す。確かに、振り向いてもらえないといったようなことを話していた。にしても——。


 恵理子があまり真剣な様子で聞いていないのは、対面しているとよくわかった。しかしこういった場合、相手の状態如何はさほど重要ではない。相手がいる、という一点が大事なのである。


 ただ、結局よくわからなかった。何が引っかかったのか、ストーカー被害者がストーカーをしていることがそもそもおかしいことなのか、皆目見当もつかなかった。


「まあ、もう関係ない子なんだしいいんじゃない? ちょっと知ってる子だから変な感じになったんだよ」


 恵理子に諭され、まあそれもそうかもしれない、と感じ始めたころには、違和感も疑念も霧散していて、端的に言えばどうでもよくなっていた。


 人はいずれ死ぬものだ――と妙な俯瞰に到達し、死んだように眠りに就く。


 ■


「驚きましたね」

 平塚さんは私の出勤を待ちわびていたかのように、勢いづいて声を掛けてくる。

「ええ。びっくりです」

「いい子だったのに」

「ですね」


 勤怠システムの出勤を押してから、ぼそぼそと五大接客用語をつぶやいていると、平塚さんはお構いなしに話を続けてくる。


「俺、前田さんのニュースみたからか、変な夢見ちゃって」


 体調管理表に問題なしを表す丸印を書き込みながら、

「へえ、どんなのですか?」

 そちらを見ずに答える。


「とにかく巨大な蛇が出てきて、老婆と猫が近くにいて、包丁でめった刺しにするんですよ。そしたら大量の卵が腹の中から出てきて――」


 取り留めなく言葉をつないでいたが、そこで不意に、

「卵」

 と言葉が重なり、私たちは笑った。


 前田のことを思い出したせいだろう、合わせて、卵に嫌われた例のご意見カードのことが記憶をかすめたのだ。それも、二人同時に。


「そういえばもう来てないですね」

「そうですね」確か――、と言いながら、平塚さんはご意見カードを綴じているファイルを引っ張ってくる。「これが最後ですね」


 ――いつも利用させていただいています。他にスーパーが近くにないので、大変助かります。

 ――ありがとうございます。


「あれ、こんな普通なのありましたっけ?」

「ええ。ほら、たの書き方が同じって、坂下さんが言ってたじゃないですか」

 なるほど、確かによく見たら同じである。例によってと言うべきか、我々は「返答すべきものか否か」という基準でしかご意見カードを検めない。だから、こうした当たり障りのないものは流し見程度で済ませてしまうのだ。


 へえ、などとつぶやきながら、平塚さんから渡されたご意見カードを見る。

 ——あれ? と思ったのもつかの間、現場から声がかかり、私たちはようやく仕事モードに頭を切り替えた。

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