第8話 ある居酒屋にて青年は語る

−タラランランランランラン♪ ランララランララランランラララララン♪

 電子音が響いた。スマホの着信が入ったようだ。聞く人が、主に社会人が聞くと恐怖する音である。近しい人間は普通の電話などかけない。かける相手は大抵仕事場の人間、上司。そして、そういった相手からの連絡などというものは往々にしてろくなものでは無いのだ。と話が脱線したが、

「ああ、俺だ」

 そのスマホの持ち主は応答した。彼はずっとテーブルの上にスマホを出しっぱなしにしていた。まさにこの電話を待っていたのだ。彼はそれを耳に当て、にやにやしながら話していた。

「やられただろう。ああ、仕方ねぇさ、気にすんな。役目はちゃんと果たしたんだからな」

 彼は青年だった。明るい茶髪に軽いパーマをかけ、ピアスやネックレスなんかをしている。服装もラフ。ちょっとしたチャラ男といった感じの見た目だった。が、それだけだ。どこにでも居るような人間で、そのためにこれといって印象には残らない青年だった。

 彼が居るのは飲み屋だった。明比駅前の飲み屋街、その中のひとつだ。チェーン店では無い個人経営の店。客の入りはそこそこといったところか。青年以外にも客は居るがいくつか空いた席がある。青年はカウンターに座っていた。目の前にはハイボールと牛スジ煮込みが置いてあった。青年は牛スジをひとつ口に放り、ハイボールをぐいっと飲んだ。

「大分傷は深いか......ああ、ゆっくり休め。ん? いやいや、もう休め。悔しいのは分かるがよ、休息ってやつは大変重要だと思うぜ。休めねぇやつはここぞって時に力を出せねぇ。悔しいんならその分だけ休んどけ。それが今お前がすべきことってやつだ」

 電話の向こうの人間の言葉を促しながら青年はまたハイボールを飲んだ。電話の向こうの人間は大分気分が乱れているようだ。獣のような雄叫びが通話口から漏れ聞こえていた。

 と、青年の前にタコワサが置かれた。店員が持ってきたのだ。青年は通話しながら会釈し、タコワサに箸をつけた。

「まぁ、次戦うときが多分本番だからよ。その時までしっかり力を溜めとけ。それ以外は好きなようにして良いからよ....ん? 羽が欲しい? ああ、分かった分かった。付けろ付けろ。再生力も上げとけ。魔力ならいくらでも使ってもいいからよ。おう、おう。分かった。じゃあな」

 そうして青年は通話を終え、スマホをポケットに仕舞った。そして、またハイボールをぐいっと飲んだ。うっぷ、と漏らす青年。またタコワサを一口口に運んだ。

「物事ってのは全部が全部上手く行くわけじゃねぇな親父」

 青年は店主に話しかける。店主は焼き鳥を焼きながら応じた。

「はは、まったくだね。上手くいってる時に限って一気に悪くなったりね。そんなもんだね」

「嫌なこと言うな親父。一応上手く行ってんだぜ今は」

「仕事の話かい。さっきの電話は」

「ん? まぁな。この街に来て一番のヤマだ」

「ああ、やっぱりここの人じゃなかったの。そうだと思ってたよ。話し方がちょっとだけ違うからね」

 店主はははは、と笑う。

「そうか? ここの連中みんな標準語に聞こえるけどな」

「外の人には分からないんだよ。本当に微妙な違いだからねぇ。そうかそうか」

 青年はぐいっとまたハイボールをあおる。しかし、中身が無くなってしまった。カラカラと氷が音を立てる。

「ハイボールもう一杯かい?」

「いや、冷酒でいいや。この黒鹿ってやつ」

「はい、まいど」

 店主は他の店員に言って冷酒を準備させる。青年はそれを待つ間に残った牛スジをどんどん口に運んだ。テーブルのひとつで盛大に笑い声が上がる。宵も深まり呑んべぇたちの機嫌も最高潮のようだ。

「外から来たんじゃびっくりだったんじゃないかい?」

「ん? 何がだ」

「夕方と、さっきの騒ぎだよ」

「ああー」

 青年は店主の言わんとすることが分かった。店主が言いたいのは夕方の凶悪犯の引き起こした騒ぎと、得たいの知れない怪物が暴れた騒ぎのことだ。しかし、犯人は自分ですとは言わないでおく青年だ。

「まぁな。確かに」

「だろう。何せこの街に住んでる私らでもびっくりこいてるんだから。外からわざわざ来た人からしたら唐突過ぎるだろうね。いきなり凶悪犯が出てきて暴れるなんて。あの怪物もそいつの繋がりらしいよ。超対が発表してた」

 そう言う店主の頭の上のテレビではまさしくその記者会見の様子が写し出されていた。 超対の代表が事件の概要と対策について述べている。

「まったく、弱ったね。あんなのが暴れるんじゃぁ。幸い怪我人は居ないらしいけどね」

「だろうな。まぁ。一応気は配ってるからな」

「え?」

「いや、こっちの話だ。まぁ、そんなに長くは居ねぇんじゃねぇか。短期で目的を果たすつもりなんだろう」

「そうなのかい? 詳しいんだねお客さん。それなら良いんだけどね。あんなメチャクチャに暴れられたり、怪物が出てきたりしたんじゃおちおち街も歩いてられないよ。怖いね魔術ってのは」

「まぁな。怖いもんだ魔術ってのは。使い方ひとつで世の中をがらりと変えちまう。特に、適正のあるやつが使えば手に追えねぇ。科学だの常識だの全部飛び越えちまうからな。この世の理の外側に行っちまう」

「本当に詳しいねお客さん。ひょっとして、魔術をかじってんのかい?」

「まぁ、ちょこっとだけな。不和残罵には遠く及ばねぇよ」

「なんだい。不和残罵の魔術を尊敬してんのかい」

「おっと勘違いしないでくれよ。単純に魔術の腕に関して及ばない、と思ってるだけだ。間違ってもあんな狂人尊敬なんてしてねぇよ」

「そうかい。なら、良いんだがね。居るじゃないか。不和残罵の、なんだ。熱烈なファンみたいのがさ。どうかと思うよああいうのは。あの男は凶悪犯なんだから」

「まったくだな。凶悪犯を崇めるのは頂けねぇよ。そいつのその後の人生に関わる。まぁ、ファンは大事だが...」

 と、そこで青年の前に店員のおばちゃんが冷酒を置いた。青年は軽く会釈して、それをくい、とあおった。

「うまいな。良い酒だ。ここらは水が良いんだろうな」

「水は自慢だからね、この辺は。ところでお客さん魔術をかじってんならさ、なにか見せちゃくれないかね」

「なんだ親父。なんだかんだ言って魔術に興味津々かよ」

「そりゃ、無いことはないさ。おとぎ話に出てくるような魔法が使えるっていうんならこの目で見てみたいっていうのが人情だろう。テレビでならたまに見るけど、実物なんて中々お目にかかれないからねぇ」

「仕方のねぇ親父だねまったく」

 そう言って青年はテーブルの目の前に手を伸ばす。そこにあったのは席に備え付けのメモ用紙だった。青年はそれを3枚はぐると、横のペンも手に取りさらさらとなにかを書き始めた。

「なにやってんだいそりゃあ。魔術ってのは魔導書が無いと使えないんだろう? テレビで言ってたよ」

「ああ、呪文が書かれた魔導書に魔力を通して初めて使える。大昔は肉体そのものが魔導書の役目をしてるやつも居たって話だが現代じゃそうはいかねぇ。人間の魔術への適正が落ちてんのかもな」

「難しいことは良く分かんないけど、あんた魔導書持ってるんじゃないのかい」

「今は無ぇ。だから、作ってんだよ」

 そういって、青年はさらさらりと3枚のメモ用紙に文字を書き終えた。店主にはまるで読めない、図形のような文字が刻まれた3枚のメモ用紙が出来上がった。

「魔導書を作るって、なんか良く分かんないけどあんたすごいんじゃないのかい?」

「んん? まぁな。俺は魔術の適正が高いんだ。まぁ、不和残罵ほどじゃあねぇけどよ。そら、使うぞ親父。良く見とけ」

 そう言って青年は3枚のメモ用紙の上に手をかざした。とたん、

ーヒュルルルル....ドン!!

 小さな打ち上げ花火がテーブルの上で発生した。それはさらに2回、3回と撃ち上がり、そのままスターマイン、それからキャラクターをかたどった花火と続き、まるで実際の花火大会のミニチュアのようだった。

「どうだ。たまげたか親父」

「んー、まぁまぁかね」

「んだとぉ」

 店主はなにか煮えきらない表情であった。青年はそんな店主の顔に不服で遺憾の意を込めて冷酒をあおり、タコワサを一気に口にかきこんだ。

「なにが不服だってんだ」

「なんだろうね。きれいだけど、いまいち求めてたのと違うかねぇ。なんかもっと童話の魔法使いみたいなのを期待してたんだがね」

「なんて、親父だよ。一応客だぞ俺は。もうちょっとおせじでも喜ぶもんじゃないのか普通」

「うちはそういう商売はしてないんだよ」

「なんて店だ。親父、鶏皮ともも2本ずつ。どっちもタレでな」

「はい、まいど」

 店主は串を4本、火にかけて焼き始めた。香ばしい臭いが辺りに立ち込めていた。店主は上機嫌で鼻唄なんぞを歌っていた。そして、青年には店の中の話し声が少し小さくなったように感じられた。そして、青年はクツクツと小さく笑った。

「なぁ、親父。不和残罵がどうしてあんな犯罪をしてるか分かるか?」

「ん? なんだい。知らないよ。知りたくもないね」

「当てずっぽうでも良いからなんか言ってみてくれよ」

「そうかい? んー、なんだろうね。金ばらまいたり、国家機密明るみに出したり、あとはなんだ、川の水ジュースに変えたこともあったね。なんだろうね。人を喜ばせてるつもりなのかね。そんで良いことしてるつもりなんじゃいかい? 義賊気取ってるんだよ。実際のとこは偽善者だよ偽善者」

「....中々辛辣なこと言ってくれるじゃねぇか。まぁ良い。そうだな、親父。それから、だ。不和残罵は成人してから魔術をたまたまやってみたら思いの外適正があってそれでああやって犯罪を犯してる。そもそもなんで魔術をやったと思う?」

「はぁ? 良く分かんないこと聞くんだね。また、知らないって言っても言えってんだろ? そうだね。面白そうだったからじゃないかい? 子供みたいな頭してんだよきっと。だから、そういう理由で動くんだね」

「また辛辣だねどうも。まぁ、良い。そんで、その通りだ親父。不和残罵が魔術を試したのは面白そうだったからだ。そしてな。それがあいつの行動原理だ。あいつが犯罪を犯すのもやっぱり面白いからなのさ。思想なんて無いんだ。ただ、面白いから犯してるんだよ」

「なんだいそりゃ。質が悪いじゃないか...ってなんだい。お客さんたちこの兄ちゃんになんか用かい?」

 店主が声をかけたのは青年の後ろに居る人間。青年を取り囲むように立つ5人の男女。ついさっきまで奥のテーブルで酒を飲んで騒いでいた一団だった。気づけば彼らは青年の後ろに居たのだ。彼らは真顔で青年を見下ろしていた。

「だから、この街に来たのも面白いことをするためなのさ」

 そう言ってから、青年はその男女を後ろに首を反らせて見た。ニヤニヤしながら。

「なんだ。今回は案外早かったな。腕上げてんのか。おやっさん」

「そらな。こんだけお前追いかけ回しといてなんの進歩もなかったらいよいよ巷で言われててる超対の評判通りだ。今回はチャラ男か。この前は中年サラリーマンだったな」

 そう言ったのはなにも無い宙空だった。そして、次の瞬間、その空間がゆらりと揺らめき、一人の壮年の男性が現れた。男性は不敵に微笑みながら青年を睨んでいた。ぼさぼさの髪によれたトレンチコート。見るからに一般人ではない。

「なんだい、何事だい」

 訳が分からないのは店主だ。明らかに目の前の男女6人は酔っぱらった客ではない。彼らはまるで獲物を取り囲む狩人のような目付きをしている。そして、壮年の男性が懐から取りだし、店主に見せたのは警察手帳だった。超常犯罪対策科、手帳にはそう記されていた。

「ちょ、超対。じゃ、じゃあこの兄ちゃんは...」

 店主は思わず後ずさり、青年から距離を取った。

「さぁ、残罵。今日こそ年貢の納め時だ。逃がしゃしねぇぞ」

「ったく。これから、鶏皮とももが来るとこだったってのによぉ。飲み屋で仕掛けるたぁ無粋だぜおやっさん」

 そう言って青年はパチンと指を鳴らした。すると、激しい音と閃光が発生した。突然青年の体が弾けたのだ。

「っち! その手には乗らねぇぞ!」

 壮年の刑事は急いで部下に指示を出した。部下たちは懐から銃を出すもの、そして、魔導書を出すもの様々だった。そして、同時に動いていた。残罵をとらえるために。閃光で目を眩まされることもなく。彼らは流れるように銃を構え、魔導書を構えた。そして、その先の壁の前には残罵が立っていた。目深に被ったフードにふざけたへのへのもへじの仮面。そして、銃と魔導書を向けられた残罵は動けなくなっていた。

「そら、どうした残罵。お前がこれで終わりってことは無いだろう」

「もちろんだぜ。たまげて腰抜かすぞおやっさん」

 そう言って残罵はまた指を鳴らした。すると、次の瞬間起こった現象に超対捜査員達は目を見張った。残罵の体はみるみる内に巨大化していったのだ。どんどん、どんどんと巨大化していった。超対の捜査員たちはそれに銃を魔導書を構えながらも、戦慄してそれを見上げるしかなかった。店の天井を破り、壁を破壊し、付近の建物もなぎ倒しながらようやく巨大化を終えた残罵は高笑いをした。

「かはは! どうだ、おやっさん。とうとう俺が怪物になったってわけだぜ!」

 超対の捜査員たちはついに叫び声を上げるものまで出てしまった。皆、気丈に振る舞いながらも目の前の現実に驚愕しているのだ。それを見て残罵はなお笑った。彼らがすがれるのは彼らの上司、壮年の刑事だけだった。

「か、課長! 引きますか!?」

 壮年の男性は懐からなにかを取り出した。それは蒸気を吸うタイプの電子タバコだった。彼はそれを口にくわえて、ひとつふかした。

「か、課長!?」

 壮年の刑事は残罵を見上げる。

「やられた。また、逃がしたぜ。くそったれ」











「........、な、なんだいこりゃあ。この人たちに何をしたんだい、お前さん」

 言ったのは飲み屋の店主だった。彼が見ているのは目の前の光景だ。ただし、巨大化した残罵が店をぶっ壊し、夜の街に屹立している光景ではない。残罵の後ろで魂が抜けたような表情で直立している6人の刑事たちに向けてのものだった。彼は残罵が指を鳴らしてからこうなってしまった。まったく動かず、ただぼーっと一点を見つめているのだ。店内の他の客も怯えている。

「ちょっと、夢見てもらってるだけさ。よしよし、ぶっつけ本番だったが幻術は上手く使えてるみてぇだな」

 残罵の姿は青年のものではなくなっていた。目深にフードを被ったパーカー姿、そして顔にはへのへのもへじの仮面。世に知れ渡った不和残罵の姿だ。

 と、残罵はごそごそと懐をまさぐり出した。それだけで店主はびくりと肩を震わせ後ずさった。そして、残罵が懐から取り出したのはしかし、なんの変哲もない革製の雑貨。つまるところ財布だった。

「親父、勘定だ」

「へ? え?」

 店主はこの状況で残罵の口から出てきたあまりに場違いな台詞に完全に肩透かしを食らいまぬけな表情を晒した。訳が分からず数秒固まる。それを見て残罵は仕方が無いな、と言った調子で財布から5千円札を取り出した。そして、店主の前に置いた。

「これで足りるだろ。釣りは要らねぇよ。酒も飯も旨かったぜ。ご馳走さん」

「は? あ、ああ」

 店主はまだ訳が分からない。そんな店主を尻目に、残罵は席から立ち上がり、そして店の出入り口に向かった。どうやら、本当にこのまま店を出るらしかった。刑事の件さえなければただの客だ。そんな様が、最悪の凶悪犯のはずの不和残罵のその様が、あまりに違和感がありすぎて店主はさらにあっけに取られた。しかし、ようやく残罵の後ろ姿に声をかけた。

「な、なんなんだいあんたは。一体全体なんなんだい。なんだってこんなことやってるんだい」

 そんな店主の言葉に残罵は立ち止まり、首だけをぐるりと店主に向けた。その顔はふざけた仮面で見えなかった。しかし、なんとなく恐らく歯を見せてニタリと笑っているのではないかと店主には思えた。

「言っただろうが。おもしれぇからだよ」

 残罵は言った。

 そうして、残罵は店主が見るいつもの客と同じように戸を開け店を出ていった。

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