第四話 第十一支部ほぼオールキャラほのぼの

【上戸ノアと壬生墨佳】


「さて、そろそろ片付けねえとな」


 上戸ノアは店の中にあるグランドピアノに手をかざして、次元の隙間に放り込む。

 《ディメンジョンゲート》だと嘯くが、それは明らかにバロールのオーヴァードが形成するゲートとは異なり、虹色に輝く独自の領域に繋がっている。

 吸い込まれていく壬生墨佳は嫌そうな顔をする。


「うわっ、片付けるの?」

「だって俺の見てる未来だとこの後来るんだもん。ナナちゃんが」


 墨佳はこれみよがしにため息をつく。任務で行動を共にする相手だし別に嫌いな訳ではないが、バイト先でまで顔を見るのは疲れる。


「マスター、バイトでまであいつの面倒見ろって言うの?」

「言ってやるなよ。スミちゃんがあの子の相棒バディだろうに」


 ああいう子が前に進むにはお前みたいな子がそばにいるのが一番合理的なんだよ。

 という言葉までは飲み込む。

 人間にはそういった言い回しが好まれないと学習している故に。


「はぁ? あ……いやまあ、そうだけど」

「だろ~? それにここに来てカフェを飲む以上は客だぞ客。ちゃんと扱ってやらなきゃ駄目だろ? な?」


 カマーベスト姿のノアと墨佳は店の掃除をしながら軽口を叩く。昼の営業が終わったら、夜の営業はもうすぐだ。他のバイトたちも、客も、多くがオーヴァードのこの店には、一時の憩いを求めて人が来る。常に彼らは忙しい。


「マスター、それFHエージェント相手にも言うよね? 僕たちの本職UGNのエージェントだよね?」

「おう、そうだな。けど公安警察でもUGNのおえらいさんでもここの客ならここの客として扱うぞ。なにせここの商品は人材だ」

「流石、女装女衒は違う」

「おいやめろ。トラウマなんだ。俺は別に女装案件専門じゃねえ」


 ノアは情けない悲鳴を上げる。墨佳はカラカラと笑う。


「話してみると分かりやすいんだよな、店長は。予知と舌先三寸で人間を動かして回る工作員って感じ。まあ僕としては気が楽で良いけど」

「そういう壬生ちゃんも分かりやすいぜ? 支援防衛に秀でたチルドレン。正規の訓練を受け、自己肯定力もあり、精神的に安定している。何よりママの薫陶を受けた情報系エージェント。安心して仕事を任せられる相手だ」

「そう? ところで安心は人間の最も近くにいる敵だそうだけど……」


 墨佳はシェイクスピアを口ずさみ、わざとらしく肩をすくめる。


「……ねえ、マスターは僕に何か頼み事かな?」

「別に? 今日もお仕事よろしくってだけさ」


 最後のグラスを拭き、昼営業の分の売上を集計し終えたノア。

 店の扉を開けて表の看板をOPENに変える。

 ノアが店の前の風景を眺めていると、通りの向こう側を歩く少女の影がある。


「ナナちゃ~ん! 一杯どうだい? 俺が奢るよ!」


 ノアが叫ぶとブレスレットやチョーカー、ネックレスにピアスをゴテゴテとつけているにも関わらずそれらが下品にならない極めて顔の良い女がそちらの方を向く。


「お、マスターじゃん? 丁度喉乾いてたところに誘われたら仕方ないなあ~!」


 まったくの偶然みたいな顔で、嬬恋七瀬が店の方へと歩いてくる。

 それを見て、墨佳はマスターの背中を握って引き寄せ、小声で囁く。


「マスター! 自分から呼び込むことないだろ! このインチキ占い師!」

「店の前でお前に声をかけられるまで自意識全開でうろつかれそうだなって……」

「あいつもそこまで馬鹿じゃないよ!」

「知ってる。じゃあ俺、ママに言われた仕事が有るんで桃花飯店行ってくるから。俺戻ってくるまでに店で揉め事起きると嫌だから、用心棒として置いといて。コーヒー一杯なら安いもんだろ? 実に合理的だ」


 ノアの狙いは最初からそれである。自分が店に居ない間に、戦闘できるオーヴァードが壬生墨佳しか居ないのは不安だと思ったから、念の為に墨佳と気心の知れた戦闘力のあるオーヴァードが居て欲しいと考えただけ。しかしそれをわざわざ説明するつもりなんて彼にはない。彼の望む結果は既に手に入ったのだから。


「あっ、逃げるな!」

「今日もお仕事よろしくな。あと店のアルコールには手をつけるなよ?」

「待てマスター!」


 ノアがニッと笑うと、彼の姿が壬生の目の前からパッと消える。


「あ、あの男……!」

 

 ノアの消えた空間と「フンスフンス仕方ないなあまったく」面で迫りくる嬬恋七瀬を交互に眺め、壬生墨佳はため息をついた。


【壬生墨佳と嬬恋七瀬】


「まあ本職のパティシエほどじゃないけど、マスターの作るパフェやコーヒーも中々どうして悪くないとは思うんだよね」

「毎朝、北海道の牧場で仕入れているからね。ディメンジョンゲートで」


 嬬恋七瀬はソフトクリームの上からブルーベリーソースのたっぷりかかったパフェを頬張り、甘い声を漏らす。


「罪の味~!」


 砕いたクッキーからただようシナモンの香りが甘みを引き立てるアクセントだ。


「ほら、もっと食べていいぞ。マスターの奢りだからな」

「マスターもボクの喜ばせ方を分かってるね。ふふふ、満足満足」


 他人の金でする飲食は何時だって美味しいものだ。

 ――しかし、それにしても。

 墨佳は思う。

 ――何故わざわざ今日来たのだろう。


「お、どうした物欲しそうな顔して? ボクのことが恋しくて仕方なかったんだろう。会えて嬉しいんだな? 可愛いところがあるんだからもう」

「恋しいのはどっちだいバカ犬。僕はアルバイトの最中だ。君はそれを邪魔しに来た。それだけだろう」

「べっつに~! 恋しくとかないし! ただあの女装女衒の下で非人道的労働を課されて泣いているんじゃないか心配だっただけだし~!」

「お前との仕事よりは人道的だな、うん」

「なんでそういう事言うのかな!? あいつマジやばいって、なんであんなのが支部長補佐やってるのさ! 倫理観とか無いよあのマスター! 未成年に手を出してるらしいし!」

「あんなのだから、でしょ。UGNの仕事って綺麗も汚いもあるんだから」


 七瀬は不機嫌そうに溶けたパフェの残り汁をちゅーちゅーとストローで吸う。


「何か不満なの?」

「別に?」


 ――こいつ、絶対に構って欲しいとか言わないもんな。

 墨佳には分かっている。

 伊達や酔狂でこのイリーガルの相棒をしている訳ではないのだ。

 ――こいつは単に僕の気を引きたいから、マスターについて言及しただけだ。

 ――基本的に自分大好きだもんな、このバカ。

 墨佳は本日何度目になるか分からないため息をつく。


「バイト先遊びに来るのは良いけどさ」

「うん」

「僕、仕事も有るしあんまり構ってやれないだろ?」

「はぁ~! こんな美少女が遊びに来てやってるのに構わないとか頭おかしいんじゃねえの~!?」

「ったく、そういうとこだぞ」


 と言って墨佳が何気なくドアの方を見ると紙が挟まれている。

 『今日の任務が大変だったみたいだぜ』

 ノアの書いた字だ。

 ――そういうとこだぞ。

 ――イリーガルのケアは確かにチルドレンの仕事の一環だけど。

 墨佳は自らの雇い主に心の中で悪態をつく。


「……ていうか、今日も任務だったんだろ。疲れていないのか?」

「おっ、心配してくれる訳? 珍しく優しいじゃん」

「隠さなくて良いっての。わざわざバイト中なのに会いに来たっていうのはそういうことだろ。僕が居ないと辛くて耐えられませ~んってバブバブ甘えに来たんだろ?」

「そ、そういうのじゃないし! 大体私を甘えさせてくれる連中なんて、両手じゃ数え切れない程居ますし! 別にお前を頼らなくたってボクは――」


 墨佳は勝手に持ってきたケーキの苺を七瀬の口に押し付ける。

 

「んっ!?」

「七くん、さ」


 墨佳はそのまま苺をゆっくりと七瀬の口の中に押し込んでいく。

 真っ赤な苺が真っ赤な唇に溶けて、境目が消え、甘酸っぱい果汁が舌を滑り喉の中をゆっくりと伝って降りていく。


「相棒には素直に頼ったらどうさ。僕と別に任務を受けてたとしても、僕が君と苦労してはいけない道理は無いだろう」

「むぐ、ん……」

「何度、言ったら、分かるかなあ。このバカ犬は」

「ん……ぷはっ、誰が、誰が……」


 それだけ言いかけてしばらく経ってから、七瀬は呟く。


「……ありがとう」


 墨佳はまたこれみよがしにため息をつき、肩をすくめ、そうしてから耳を傾けた。


【遠里悠と小竹木龍之介】


「――って訳で、ななちゃんのケアは完了。リニューアルした桃花飯店についてはトレバーの旦那を護衛につけている。見た目は可愛いフェレットだし、店の女の子とのトラブルも客相手の揉め事も発生しづらい。実力は折り紙付きだし、適任だと思うぜ」

「あら、上戸ちゃん。仕事が早いのね」

「俺が出遅れてなきゃあの店だって守れたかもしれないしさ……分かんねえけど。まあそれはそれだな。引きずるのは良くねえ。そんじゃ、店に戻ってあの二人冷やかしてくらぁ。仕事で愉快な女装男子ばっかり見てたら女の子の顔を見たくて仕方なくなっちまった」

「はいはい、いってらっしゃい。何かあったらまた呼ぶわね。女装案件以外で」

「ママの頼みなら女装でも駆けつけるぜ。それじゃ、チャオ!」


 そう言ってニカッと笑うと次の瞬間にノアの姿は消える。

 ここはオカマバー『ベッラ・ディ・ノッテ』。

 その正体は大N市UGN第十一支部。情報戦に特化した特殊な支部として知られている。


「いつも思うんですが、便利ですよねあのエフェクト」


 スーツ姿の真面目そうな男とラフな服装をした愛嬌と気品を併せ持つ顔立ちの男。小竹木龍之介と遠里悠だ。それぞれこの支部のエージェントと支部長をしている。


「そうね。上戸ちゃんはなんていうかこう、器用な子だからね。私の居ない間に色々な案件の指揮とか割り振ってもなんやかんやできちゃうし、影でコソコソ動くっていう仕事も得意だし、腹芸もできちゃうし、単純なオーヴァードとしての能力以上に便利に役立ってくれるわ」

「確かに。それはありますね。とりあえず彼に振っておけば適任の人材を何処からか引っ張ってきてくれますし」


 ――沢山の他人と繋がる器用な生き方か。

 自分とは違う。龍之介はそんな事も考えてしまう。


「まだ少し若くて調子に乗っちゃうところもあるけど、助けてあげてね。あの子、もう少ししたら人を動かす才能に人格が伴ってくると思うの。今は支部長補佐として経験を積ませてあげてる段階なのよ」

「同じ支部の仲間なんだから当たり前ですよ」

「ありがとう。うちってほら、特殊な支部だし、少し変わった子が集まってくるでしょう。あなたみたいな子が後ろで支えていてくれると皆安心できるわ」

「フォローは僕だってされる側です」

「んも~! 謙遜しちゃって!」


 悠は龍之介に向けてニッコリと笑う。

 ひだまりの中にいるみたいに、暖かくて、龍之介は目を細める。


「僕が思うにですけど、皆支え合ってるんだと思います」

「あら、詳しく聞かせて」

「いえその、そんな変わったことじゃなくて。支部長が言うように、僕が他の支部の皆を支えているとしてですよ。僕はそんな支部での仕事があるから、今生きているのが幸せだし、この日常に帰って来たいと思うんです。だから支え合い。自分では気づかないけど、皆が皆、この支部では支え合い繋がり合っている。他の支部以上に、ここでは支部の仲間に居場所を見出しているメンバーが多いんじゃないでしょうか」

「ふふ、良いこと言うじゃないの」

「UGNにおける諜報部隊、なんていうと冷徹に聞こえるのに、不思議ですね」

「んー、それはね。きっと他であんまり居場所が無かった子も多かったから……そうなっちゃったのかもね。私は好きよ? こういう場所って必要でしょ?」


 龍之介もニコリと笑う。


「僕も好きですよ、みんな。この支部の皆が、こういう場所が……月夜銀座が」


 ――望めば誰もを受け入れる場所を、人々を。

 ――僕は愛している。


「だったら良かった。じゃあお仕事ももうひと頑張りね!」

「はい!」


 ――今夜は帰りに上戸くんのところで一杯引っ掛けようかな。

 龍之介は机に向かい、再び作業を始めた。


【小竹木龍之介と荒原伊吹】


「仕事終わりの一杯ってのは乙なものよのう。今日は奢るから飲め飲め」

「悪いですよ荒原さん」

「こういう時は上司に奢らせるもんだ」


 小竹木龍之介と荒原伊吹は二人連れ立って夜の営業をしている喫茶アソートに現れた。夜の営業では酒も出る。喫茶店というよりはバーのような店になっている。


「覚えておけよ、ノア」


 カウンターに立つノアに向けて伊吹が振る。


「うっす! 荒原さん、今度ゴチになります!」

「違うわアホ!」


 龍之介は二人のやり取りを見て思わず笑ってしまう。

 伊吹はため息をつくが、口元はニヤついている。


「まあ、この前の任務はご苦労だったな。公安の対応も、鉄火場も、よう頑張ってくれた」

「ありがとうございます。結局助けられてばかりでしたけどね」

「何言っとる。俺たちは助け合いだろうが。おまえさんの言ってたことだろうに」

「やだな、荒原さん聞いてたんですか?」

「良いこと言うと思っとったぞ」


 龍之介は頭を掻く。

 ――ただ、なんとなく思った。

 ――それは自分の生き方のせいもあるんだろうけど。

 ――ただ生きているだけで受け入れられるような人間じゃないからこそ、ただ受け入れてくれたこの場所に対してそう思えたんだ。

 なんて、恥ずかしくて言葉にできない。


「お前さんはこの支部の立派な大人だよ」

「……ですかね」


 二人で傾けるジンライム。賑やかだが、優しい空気の店内。窓の外は何時の間にか秋だ。今年もまた季節が過ぎていくのだと実感し、しみじみとため息をつく。


「僕たち、明日どうなるかも分からないなんて信じられませんよね」

「それを言っとったら誰もが同じよ。それでも必死に、この瞬間も皆戦っている」


 龍之介の脳裏に浮かぶのは今も任務にあたっている木虎ツグミと彩谷千映理。羽生藍や他のエージェントが補助に当たっているとはいえ、知っている相手は心配になる。


「ですね……。皆無事に帰ってきて欲しいです」

「おう、俺も同じだ。だから休める時にしっかり休んで、良い仕事をする。それがエージェントの務め、そしてその間に酒を楽しむのは大人の特権だ」

「ええ、明日からも頑張りましょうね」


 二人の男はグラスを合わせる。戦士たちのしばしの休息。


【木虎ツグミと彩谷千映理】


『今から迎えのもんを寄越す。少し待っとけ』

『はーい! それじゃあピックアップお願いしますね伊吹さん! こんな時間に堂々と街中を歩くと補導されちゃいますので!』


 木虎ツグミが空に向けてお話タッピングオンエアしている間、彩谷千映理はそれを楽しそうに眺めていた。

 二人がいるのは第十一地区から少し離れたとある市街の路地裏。入り込んでいたFHセルに対する強行偵察が先程終了したばかりだ。内側に入り込んだ千映理が、ツグミによる突入を補助する定番のコンビネーションで任務はスムーズに終了した。


「お疲れさまでした彩谷先輩!」

「ツグちゃんもお疲れ。戦闘は殆ど任せっきりになっちゃったねえ、んふふ」


 セルから少し離れた場所のコンビニの裏で、二人は笑い合う。

 東の空は白み始めていて、もうとっくに朝が近づいている。


「いえいえ、彩谷先輩のお陰で凄くスムーズでしたよ!」

「そう? だったら少しはお役に立てたのかな?」

「私はなんていうか、支部の他の皆と違って情報とか潜入とか扇動とか、そういうの苦手なので……とっても助かってます!」

「そっかそっか、いやはや良い後輩を持っちゃったなあ……私」


 そんな事を言う千映理の笑みには一抹の寂しさが混ざる。

 ――嬉しい。嬉しいのに。こんな嬉しいこともすぐに忘れちゃうんだよなあ。

 千映理の記憶の限界は一日。たとえレネゲイドの力でいくらでも記録を集積できたところで、この暖かくて柔らかな感情は、明日の今頃には消えてなくなる。

 ――よく、こうして笑っていられるよね。

 

「私、良い後輩でしょうか?」

「え? いやいやいや、ツグちゃんめっちゃ良い後輩だよ? 素直だし、センパイを敬ってくれるし、戦闘では頼りになるし……だから」

「だから?」

「だから、明日もよろしくね?」


 ――明日の私はきっと貴方をちゃんと覚えていないけど。

 ――貴方はきっと私を覚えていてくれる。


「はい、勿論です!」


 安堵のため息を漏らし、フッと微笑む。


「あなたは第十一支部みんなの、可愛い後輩だよ」


 千映理は手を伸ばし、ツグミの頭を撫でる。

 はにかんで、顔をクシャッとさせて笑うツグミ。

 ――大丈夫、またこのぬくもりに触れられる。

 ――この支部でなら。

 その時、二人の目の前の空間が歪む。


「お二人さん、荒原の旦那から言われて迎えに来たぜ。睡眠不足はお肌の敵だ。急いで帰って、温かい布団でぐっすり眠りな」


 カマーベストの男が現れる。

 上戸ノアだ。


「あ、上戸さんおつかれ様です!」


 ツグミはビシッと手を上げて挨拶する。

 ノアも合わせて敬礼する。


「おつかれツグちゃん! データは無事かい?」

「はい、彩谷先輩が!」

「そっか、おつかれチエちゃん! マダムが待ってるぜ」

「マスター、今日は女装じゃないんだね」


 くすりと笑う千映理。ノアは弱りきって情けない悲鳴を上げる。


「やめてそれ!?」

「しばらくは使えそうだねえこれ。ほら行こうかツグちゃん」

「はーい!」

 

 三人はゲートへと向かった。

 

【彩谷千映理と嬬恋七瀬】


「マスター、モーニングセット。アイスカフェオレで」


 寝て起きれば忘れてしまうような気がして、朝ごはんが食べたいと思った千映理は任務明けに喫茶アソートへと立ち寄った。

 

「おっと彩谷さん、お隣良いかな?」


 そんな彼女の隣に、嬬恋七瀬が腰掛ける。

 何処か眠たげな眼は彼女も朝帰りだということを示している。


「こんな時間に珍しいね?」

「ちょっと色々あってね」

「スミちゃんのお家から叩き出されたらしいぞ。朝の街をほっつき歩いてたから保護してきたんだ。どうせ、この近所にスミちゃんの家もあるしさ。どうせあっちに戻るんだからわざわざ帰るより楽だろ?」


 厨房からノアが茶々を入れる。


「おいこら女装女衒! 人聞きの悪いこと言うな! 気に入らないからボクが出てきただけだよ!」

「楽しそうだね。ナナ先輩」

「楽しくなんてないよ~! だいたいあいつが悪いんだ! ボクみたいな美少女を家に泊めておいて全く本当にもう! もう!」

「何か有ったの?」

「何かって……いや、まあ」


 七瀬の顔がみるみる内に赤くなっていく。

 何もなかったのが問題なんだろう。

 そんな茶々までは入れない良識は、ノアにもあった。


「やっぱり楽しそうだよ」

「はぁ~? 彩谷さんはもうちょっと事情を知るべきだよ。ボクがこの美貌と才能に見合わぬ理不尽な仕打ちをあのバカから受けていることを理解すれば、きっと彩谷さんもボクがいかに可哀想か理解できるって!」

「ふふ、私で良ければ話くらいは聞くよ? 寝不足でとぼけた返事をしちゃったらご愛嬌だけどね」

「えっ!? マジでっ!? 良いの!? 聞いて聞いて! まず壬生墨佳って奴がさぁ~!」


 目の前で年頃の少女二人が繰り広げる他愛もない話。

 ノアはトーストと目玉焼きを三人分、アイスカフェオレも三人分用意しながら耳を傾ける。

 人間というのは良い。ノアは満足げに笑みを浮かべる。


「まあでも可愛いところもあってさあ~!」


 ここでは赤の他人が血を分けた家族のように繋がる。集団から阻害され続けたもの、何かの切っ掛けで弾かれたもの、最初から選択肢がないもの、そもそも自らが何か分からない得体の知れないもの、時には人ですらないものまで受け入れる。

 そんな日常が、やっぱり愛おしい。それはここに居る皆の気持ちだ。

 

「壬生墨佳~~~~! ううぅぅぅう~~~っ!」

「ああはいはいよしよし。ナナ先輩も大変だねぇ?」

「もっと気持ち入れて慰めて!」

「大丈夫、ナナ先輩の苦労は分かってるから」

「ありがとう彩谷さん!」

「おい、できたぞ」


 カタン、皿とカップが音を立てる。

 トーストの香りと挽いた豆の残り香。

 白磁の小壺いっぱいのとろっとした蜂蜜。

 湯気を立てる目玉焼き。

 そうやって今日も、誰かを守るための一日が始まる。

 ここは大N市第十一地区月夜銀座。

 変わった人々の集う街。この街で一番優しい場所。

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