妖艶な美女、その名は高村 香澄

    オレゴン州 トーマスの部屋 二〇一五年八月二四日 午後九時〇〇分

 ポートランドへ向かっているジェニファーたちへメッセージを送信した香澄は、その後一階リビングの電気を消した後で、一階エントランスへと向かう。そして一階エントランスから二階へと上がり、家の東側にあるトーマスの部屋へ歩きだす。施錠されたトーマスの部屋の鍵を開けた香澄は、

「……トム、入るわよ」

とまるで彼がその場にいるような挨拶をしながらそっと入室する。

 その姿はまさに、香澄がかつてトーマスと一緒に暮らしていた時に行っていた、彼女の習慣の一つ。すでにトーマスは他界しているのだが、これも彼に対する香澄なりの敬意の表れなのだろう。


 その後何かトーマスとの過ごした日々について独り言を喋るのではと思われていたが、以外にも香澄は無言のまま部屋へと入る。だがその表情はいつになく明るい笑みが浮かんでおり、人によっては自分の部屋に戻ってきたかのような安心感さえ覚えてしまうほどだった。


 部屋の電気を点けた後、香澄はそのままトーマスの机へと向かう――そこにはトーマスの亡き両親、リースとソフィーと一緒に写っている写真が並べられている。その写真を順番に眺めながらも、香澄はその中である一つの写真立てを取り出す。

「これは確か……に、家族みんなで過ごした時の写真ね」


 そう言いながら香澄が手に取った写真の中には、トーマスをはじめとした新たな家族で集まった時に撮影したと思われる姿があった。写真を中央付近にソファーが並べられており、その手前にハムサンドやビスケットなど、皆で手軽につまむことが出来る軽食をメインに並べられている。そしてトーマスたちは全員ソファーに座っており、おのおのがお祝いムードを満喫していた。

 

 もちろん写真の中心的人物としてトーマスがしっかり写っているが、満面の笑みを浮かべながらもどこか驚いた顔をしている。その原因はトーマスの左隣に写っているマーガレットにあり、カメラがシャッターを押すと同時に、彼女が彼の頬にキスをしている。その瞬間が写っている写真でもあるため、とっさのことにトーマスは驚きを隠せないでいるようだ。

 そんなマーガレットのいたずら好きな性格を熟知しているフローラとケビンは、“あらあら、すっかりトムは人気者ね”“もぅ、メグは相変わらずだな”という声が聞こえてくるような穏やかな笑みを浮かべている。

 

 一方トーマスの右隣に被写体として写っている香澄は、さすがにマーガレットのようにキスはしていない。だがそんな香澄でもこの時ばかりは雰囲気に呑まれたのか、トーマスの小さな右手を優しく握っている。それはジェニファーも同様で、トーマスを見守るかのように彼の両肩に優しく手を添えている。


 この写真を第三者が見た場合において、誰もが皆彼らの充実した幸せな家族の姿や日常を思い浮かべるだろう。それはエリノアがかつてトーマスの部屋を訪れた際に感じた、心温かい家族の素晴らしさに他ならない。


 一度はトーマスが写っている写真を手にするかと思われていたが、香澄はその写真立てを机の上に戻してしまった。だが写真を机の上に戻した後に、数時間程前に『セーフウェイ』で購入したハムサンドを新たに並べる香澄。

「トム、あなたの大好きなハムサンドよ。私はそこで本を読んでいるから、何かあったらいつでも声をかけてね」

 そう言いながら香澄はトーマスの机に背中を向けてしまい、そのままベッドへ一人腰を下ろす。そして何事もなかったかのように、香澄はボルトバスで読みかけのミステリー小説を取り出す。


 てっきりトーマスがいなくなったことを嘆き苦しみ発狂するかと思いきや、以外にも淡々かつ冷静な素振りを見せる香澄。特別暴れ狂うような素振りを見せることもないのだが、それが余計に不気味さを演出している。……嵐の前兆を迎えるかのような、冷たい沈黙かつ無音の時間がトーマスの部屋を支配している。

 

 そしてジェニファーへ謎のメッセージを送信するばかりか、まるで彼女たちの到着をこの場を待ち続けているようにも見える香澄。窓辺から差し込む月明かりが香澄を映し出しており、その姿は誰もが息を飲んでしまうほど妖艶かつ神秘的だった。

 光と影、二つの相反する心を持つ香澄の目的とは一体何なのか? 香澄がここまで冷静でいられる理由について、その答えを知る者はいない。そう、香澄本人を除いて……

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