優しい嘘つき

ワシントン州 レイクビュー墓地正門前 二〇一五年八月二四日 午後二時四五分

 トーマスたちが眠るサンフィールド家へ別れの挨拶を告げた香澄だが、その心境はまるで川の流れのように予期せぬ場所へと辿りつく。しかし香澄なりに何かの決心を固めたようで、バッグに入れていたハンカチでその瞳に流れる涙をそっと拭う。


 涙を拭いながらも香澄がレイクビュー墓地を後にする。そして香澄がレイクビュー墓地の正門前まで到着すると、そこである光景を目にする――一人の少年が寂しそうなまなざしを、そっとレイクビュー墓地へ向けていた。背格好がトーマスと同じくらいだったことから、少年の年齢は一〇歳前後であると思われる。


 一人哀しみに浸るその姿に亡きトーマスを重ねたのか、当初はレイクビュー墓地正門を出ようとしていた香澄の足取りは方向を変えて、ゆっくりと少年の方へと向かった。そして静かに少年の横に並び、子ども目線になるために香澄はゆっくり膝を落とす。

「こんにちは。このレイクビュー墓地に眠っているのは、坊やの大切なご家族?」

出来るだけ少年を驚かさないように、優しく話しかける。


 いきなり見知らぬ女性に声を掛けられたことにより、驚きを隠せなかった少年。時折目を軽く見開きながらも少年が振りかえると、そこには優しい微笑みを浮かべる香澄の姿があった。

 最初は困惑の色を浮かべる少年の瞳だったが、香澄の笑みを見つめていくうちに心の警戒心が薄れていく。香澄が浮かべる優しい微笑みには、初対面の少年や少女でも、天使の魔法のような魅力があるのだろうか? ……生前のトーマスも、そんな慈愛の心を持つ香澄の優しさに惹かれていた一人なのかもしれない。

「う、うん。レイクビュー墓地には、僕が大好きだったおじいちゃんとおばあちゃんが眠っているんだよ」


 ほんの数分前に出会ったばかりの香澄と少年なのだが、昔からの知り合いのようにごく自然な会話を交わしている。少年もそのことを不思議に思っていたが、

『このお姉さんと話していると、何だか心が落ち着くな。まるで昔から僕のことを知っているような、そんな不思議な気持ちになるよ』

と子どもながらに一人考えていた。


 少年はお墓に眠る祖父と祖母と過ごした日々について、香澄に話し続ける。少年の言葉に香澄が適度にうなずきながらも、その顔から微笑みが消えることはなかった。だが亡き家族の話をしていることで感情が抑えられなくなったのか、少年の小さな瞳からうっすらと涙がこぼれそうだった。

「……泣きたい気持ちは分かるけれど、ここは明るい顔を見せてあげないと。坊やが泣いてばかりだと、天国にいるおじいちゃんとおばあちゃんが安らかに眠れないでしょう?」

「う、うん。でも……」

「……もう、仕方ないわね。私が涙を拭いてあげるから……ね?」

そう言いながら香澄は用意していたハンカチを少年の瞳に当て、頬を流れそうな涙をそっと拭う。


ワシントン州 レイクビュー墓地正門前 二〇一五年八月二四日 午後三時〇〇分

 その後も香澄は少年と話を続けている――この少年もトーマスのように両親がいないと思ったのか、香澄は家族について問いかける。

「坊や、あなたのパパとママはどこにいるの? 今は陽射しが出ている日中とはいえ、あまり一人で行動してはだめよ。あなたのような男の子が一人でいると、誰かに誘拐されてしまうかもしれないわよ」

「大丈夫だよ。少し遠くの方からこちらへ歩いてくる二人が、僕のパパとママだよ。……それに万が一誘拐されそうになった時でも、僕にはこれがあるから」

と言いながら少年がポケットから取り出したのは、小型の防犯ブザーだった。万が一のことを考慮して、少年の両親が彼に持たせているのだろう。


 それを聞いて安心したのか、一瞬だけ暗くなってしまった香澄の顔に再び笑みが浮かぶ。

「ふふ、最近の子はしっかりしているのね。……声をかけた本人が言うのも変だけど、私が声をかけた時にどうしてその防犯ブザーを鳴らさなかったの? もしかしたら私もあなたのことを連れ去ろうとしている、誘拐犯の一味かもしれないわよ?」


 自分でもなぜこんなことを言うのか疑問に思っていた。時折首をかしげながらも返ってきた少年の言葉が、香澄の心の動揺を誘う。

「一体何を言っているの? だって僕には……お姉さんがよ」

「…………」

 少年の言葉を聞くや否や香澄の細長い眉が上がり、驚きのあまり彼女は唇を軽く噛みしめる。同時にこれまで続いていた和やかな雰囲気も、まるで嘘であるかのようにピタリと止まってしまう。


 これ以上この場にいるとさらに心を乱されてしまうと思ったのか、

「……そ、そろそろご両親がこちらへ来るから、私はこれで失礼するわね。あまりご両親を哀しませてはだめよ」

そそくさとレイクビュー墓地を離れようとする香澄。一方の少年も両親がすぐそこまで来ているため、香澄と別れの挨拶を交わす。

「うん、分かった。お姉さん、ありがとうね。バイバイ」

「えぇ、またね」


 その後少年が両親の元へ歩み寄るまで、両手を膝の前に抱えながらそっと見守る香澄。そして少年と両親が無事再会したことを確認した後、香澄もまたレイクビュー墓地を後にした。


 大好きな両親と再会した少年はその後も話を弾ませるのだが、この時なぜか香澄の行方を気にしていた。時折視線を外に向けていることから、少年なりに香澄のことが心配のようだ。……複雑な感情が入り乱れる少年のまなざしには、香澄のどんな姿が映っているのだろうか?

『僕には何回も“泣いてはだめ”って言っていたのに、帰り際にあのお姉さんは……よね。お姉さんの嘘つき!』

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