第693話 令和3年3月29日(月)「NTR」水島朋子
「こういうの、寝取られって言うんじゃない?」
弁当を食いながら訳知り顔で言ったくっきーに、あたしは「はあ? なんだそりゃ?」と首を傾げてみせた。
春休み中だが、今日は珍しく3人揃って学校にいる。
あたしは生徒会の仕事で。
くっきーは手芸部、上野は美術部の活動があった。
上野はいつもならつき合っている先輩と一緒にお昼を食べるそうだが、今日はその先輩が家の用事で来られなかった。
昨日上野から相談を受けたあたしがくっきーに話をして、こうして美術準備室で一緒に食べることにしたのだ。
上野はあたしたちの話に関心を示さず、朝コンビニで買って来た菓子パンをムシャムシャ食べている。
「なんかさ、主人公の恋人がほかの人に取られちゃうみたいな話だって」
くっきーが説明してくれるが要領を得ない。
そんなののどこが面白いんだろう。
それに何より……。
「いまのこの状況とどう関係するんだよ」と当然の疑問をぶつける。
「ほら。上野を水島が先輩から寝取ってることになるんじゃね?」
「はあ?」
思わず大声を出してしまった。
くっきーは「きったねー! 水島がコロナ撒き散らしてる!」と手で自分の弁当を覆う。
狭い部屋だが、ばらけて座っている。
ツバがそこまで飛ぶとは思わないものの、あたしは「悪ぃ」と一応謝った。
しかし、それとこれとは別問題だ。
あたしは「どこがネトってるんだよ! だいたいネトルって……」と自分の口で言いながらその言葉の意味を考えて赤面する。
ネトルの「ね」ってやっぱりそういう意味だよな……。
「水島、顔真っ赤だ」とくっきーがはしゃいだ声を出した。
あたしは自分の弁当をテーブルに置き、立ち上がるとくっきーの方へつかつかと歩み寄った。
そして、ゲンコツを一発彼女の頭の上に落とす。
「いったーい! 暴力反対!」とくっきーは箸を持った右手で頭を押さえた。
「言葉も暴力だ」と言っても、「えー、顔が赤いのは事実じゃん。上野もそう思うよね?」とくっきーはまったく反省の気配がない。
上野はチラッとこちらを見たが何も発言することなく食事を続けている。
くっきーは唇を尖らせると、「ねえねえ、上野は先輩と水島、どっちが好きなの?」と意味不明なことを聞いた。
「なんであたしの名前が出て来るんだよ!」
「今日だって上野ひとりだと寂しいだろうからって言ってたじゃん。完全に狙っている発言でしょ?」
「いや、友だちなんだからこれくらいは普通だろ?」
疚しい気持ちなんて微塵もないという感じで答えたのに、「それってくっきーが相談しても同じようにした?」と思わぬ方角から反論が飛んで来た。
発言者である上野は相も変わらぬ無表情で何を考えているのか分からない。
くっきーは疑わしげな目つきであたしの言葉を待っている。
上野とくっきーで対応に差が出るのは自分でも薄々勘づいてはいる。
ただ、好きとか嫌いとかが理由ではない。
上野は危なっかしくてほっとけなくなるのだ。
それに比べると、くっきーは放っておいても大丈夫なように感じる。
差を認めることで変に勘ぐられたくはないが、差がないとしらを切るのも難しい。
「……あー、……まあ、なんだ。ちょっとくっきーに対する扱いが雑だったと思う。ごめん」
あたしが素直に謝ると、くっきーは勝ち誇った顔をしていた。
そんなだから友だちができねーんだよとツッコミたかったが、謝った舌の根が乾かないうちにそんなことを言うのもどうかと思いとどまった。
一方、上野はすでに関心を失ったかのように菓子パンにかじりついている。
「あたしも謝ったんだから、くっきーも謝れ」
「えー、なんで!」と文句を言うくっきーに「ネト……とにかく、そういう変なことを言い出したのはくっきーじゃねえか。事実無根で誹謗中傷したらダメだろ」とあたしは諭すように言った。
「別に悪口じゃないし、事実無根かどうかも分からないじゃない!」と喚いたくっきーは、「上野がさっきの質問にどう答えるかに依るでしょ」と上野に視線を送った。
顔を上げた上野は「どっちも好き」と興味なさそうに回答した。
くっきーは鬼の首を取ったように「ほら! 少なくとも三角関係は成立だよね!」と騒いでいる。
あたしは上野のそばに向かう。
彼女の正面に立つと真剣な顔で「そんなことを言ったら先輩が悲しむぞ」と忠告した。
「どうして?」と見上げる上野に、「好きって言っても……、説明しづらいけど、大きさとか量とかいろいろ違うじゃんか。それを同じように言ったら先輩に悪いと思う」と両手で好きの大きさをゼスチャーで示しながらあたしは語った。
「でも、測れないよ」
「そうだけどっ!」と大声を出すと、「やっぱり水島がコロナ撒き散らしてる」とまたもくっきーが囃し立てる。
相手にしても無駄だと思い、あたしはその発言を無視することに決めた。
そして、上野に向かい「先輩がいちばん好きくらい言ってあげないと」と助言した。
上野は中空を見つめて考えている。
まだ食事中だったのでマスクをしておらず、ぷっくりした彼女の唇に目が引きつけられた。
くっきーが余計なことを言うから変な目で見てしまうのだ。
あたしは右手で自分の目を覆い、上野の返答を待った。
「いちばんは、お母さんだよ」
上野の言葉にずっこけそうになった。
あたしは「マ……家族は抜きで!」と強い口調で再考を促す。
ようやく「だったら
あたしがホッとして肩の力を抜くと、上野がさらに口を開いた。
「水島が僅差の二番だね」と。
「これは寝取りのチャンス!」とくっきーが喜んでいる。
あたしは右手の拳を胸の前で左手の掌に叩きつける。
ゆっくりと振り返り、「く・ち・き……」とその名を呼んだ。
くっきーは慌てた様子で「悪いのは上野じゃん!」と抗議するが、そんなことはどうでもいい。
彼女は弁当をほっぽり出して部屋を飛び出した。
あたしはそのあとを追い掛ける。
初夏のような暑さの中で壮絶な鬼ごっこが繰り広げられたが、その結末を知る者はいない。(なぜなら口を封じるから)
††††† 登場人物紹介 †††††
水島朋子・・・4月から中学2年生。周囲から不良だと思われているが、本人は違うと信じている。現在生徒会役員を務めている。
上野ほたる・・・水島のクラスメイト。美術部部長を務め、秋の文化祭でファッションショー開催を目指している。
朽木
山口
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