第651話 令和3年2月15日(月)「大事件」日々木陽稲

「大事件なの!」


 今日は公立高校の入試があるので登校している3年生はまばらだ。

 授業の多くが自習となっている。

 そこで何人かに声を掛け、図書室で卒業式の答辞の相談をすることにした。

 だが、その前にわたしは昨日起きた事件の謎を追うことを優先した。


「可恋の元に見知らぬ女性からチョコレートが届いたの」


 わたしの発言を聞いた面々の反応は様々だ。

 いちばん食いつきが良いのは須賀さんだ。

 都古ちゃんは「それ、事件か?」と笑っている。

 松田さんは困惑した表情で、田辺さんは無表情のままだった。

 純ちゃんはいつものように退屈そうに外を眺めていて、なぜかついて来た澤田さんはそんなことかという顔で溜息を吐いた。


「日野さんってテレビにも出たことがあるし、実は熱烈なファンがいるとか?」


「本人は否定しているけど、わたしはそういう人はいっぱいいると思うの。ただ今回はNPOの方じゃなくて自宅に直接送られてきたのよ」


 須賀さんの言葉を肯定しつつ、わたしは事件の概要を説明した。

 昨日のバレンタインデー当日に綺麗に包装されたチョコレートが届いた。

 名の知られた専門店のものだった。

 問題は差出人の名前で、可恋は心当たりがないと言う。

 情報管理を徹底している可恋は、彼女が代表を務めるNPO法人から漏れた可能性は低いと言った。


「いちばん可能性があるのがこの中学の生徒なんだけど、小鳩ちゃんによるとこの学校にそんな名前の生徒は在籍していないんだって。過去2年間の卒業生にもいないそうよ」


 入試前日の小鳩ちゃんに連絡するのは心苦しかったが、在校生の名前を確認するため現役の生徒会メンバーを紹介してもらおうと思ったのだ。

 先生に聞くのは個人情報保護法の観点から難しいらしい。

 しかし、小鳩ちゃんは過去2年間の卒業生を含めた在校生徒の名前をすべて覚えていて、名前を聞いただけで該当者はいないと断言した。


「偽名だったら分かりませんよね」と松田さんが首を捻った。


「メッセージカードとかは入ってなかったの?」と須賀さんに言われてわたしは首を横に振る。


「誰が、何のために贈ったのでしょう」と口にした松田さんに向かって澤田さんがチッチッチッと舌を鳴らしながら立てた右手の人差し指を振った。


「理由ははっきりしているよ。自分の名前を印象づけるというね」


「そうか? 名前を見ずに食べられちゃうんじゃないか」と都古ちゃんがツッコミを入れたが、そんなことをするのは彼女くらいだろう。


「都古ちゃん、名前も見ずに食べていたの? お返しはどうしていたの?」と尋ねると、きょとんとした顔で「お返し?」とわたしに言った。


 彼女は陸上部のエースで女子からも人気があった。

 1年の時にバレンタインチョコをたくさんもらったと聞いたことがある。

 まさかお返しをしていないとは思いもよらなかった。


「ファンからもらう分は、お返しはいらないんじゃない」と同じ陸上部の澤田さんも似たような認識だ。


「ダンス部はまだルールがなかったの。わたしは当日部員に配って歩いたけど、優奈はホワイトデーに返すって言っていたね。……休校になっちゃってちゃんと返したかどうかは知らないけど」と須賀さんがダンス部のバレンタイン事情を教えてくれた。


 ちなみにわたしはもらったその時にお返しをする派だ。

 個包装されたものがたくさん入ったチョコの袋を持って来ていた。

 1年生の時はそれだけでは足りずに焦ったが、去年はもらう量が減ったのでそういう心配はしなくて済んだ。


 それはともかく。

 都古ちゃんの「自分の名前を印象づけてどうするんだ?」という質問で話は可恋がもらったチョコレートの話題に戻った。


「そこはほら、近いうちに日野の前に現れて『私が贈ったのよ。感謝しなさい』みたいな感じで」と澤田さんは芝居がかった仕草を見せた。


「なんかヤなヤツだな」と都古ちゃんが言えば、須賀さんも「そんな人ならチョコを贈らなくてもインパクトありそう」と素直な感想を述べる。


 澤田さんの想像が正しいかどうかは分からないが、気になったのは「近いうちに可恋の前に現れる」という言葉だ。

 わたしたちはあと1ヶ月半もすれば高校生になる。

 その時にわたしたちの前に現れ、そちらの手の内はお見通しよなんて言われたらゾッとする。


 可恋は理事長の依頼を受けて高校の改革に手を貸す予定だ。

 そのための準備を進めているが、それは極秘裏に行われている。

 それがバレたとなれば、相手は可恋よりも一枚上手だと考えられる。

 わたしは不安を隠して、「真相が分かったら教えるね」とこの話題を打ち切った。


 学校が終わると飛ぶような勢いでわたしは可恋のマンションに帰った。

 この不安を共有し、対策を考える必要があると思ったのだ。


「ああ、チョコのこと。誰が送ってきたのか分かったよ」


「えっ!」


 昨日は気にも留めない様子だった可恋が1日でこうもあっさりと真相を突き止めるなんて……。

 わたしひとりが盛り上がったようで何だか気恥ずかしい。


「それで、誰だったの?」とそれでも気になることを質問した。


「彼女はキャシーと対戦したいんだって」


「えっ?」


 空手の関係者ということは分かったが、意味が分からない。

 キャシーと戦いたいことと可恋にチョコレートを贈ることとの繋がりがまったく理解できなかった。


「東京にある極真系の空手道場所属の人で、キャシーの噂を聞きつけたみたい。私を師匠だと勘違いしていたそうだよ」


 なるほど、事情は何となく分かった。

 しかし、ここの住所はどうやって知ったのだろう。

 ……あ、聞かなくても分かるか。


「住所はキャシー経由で知ったようだね。彼女に個人情報という概念はないようだ」


 そう言った可恋は指をポキポキと鳴らした。

 キャシーの未来よりも臨玲高校との関わりがなくてわたしは安堵の息を漏らす。


「へえ、そんな心配をしていたんだ。自己満足のために手の内を明かしてくれる相手なら願ったりなんだけどね」と可恋は余裕の笑みを見せる。


 さすがは可恋と思ったのも束の間、彼女は表情を引き締めた。

 自分のスマホを指で操作して1本の動画をわたしに見せる。


「自己紹介がてらに動画を送ってくれたんだ。女子高生なんだけど、キャシーよりも強いね。こんな人がまったく知られずに棲息しているんだから世界は面白いよ」




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。日本人離れした容姿の持ち主。特に1年生の時は3年の先輩たちから人気があり、チョコレートをたくさんもらった。


日野可恋・・・中学3年生。女子学生アスリート支援のNPO法人”F-SAS”代表。記者会見やインタビューを受けることはあるが、本人は可愛げがないのでファンなんていないと話している。


須賀彩花・・・中学3年生。志望校の合格が決まり我が世の春という感じ。今日はダンス部の後輩たちにチョコレートを配る予定。可恋にも陽稲を通して渡してもらった。


田辺綾乃・・・中学3年生。彩花と同じ高校に合格して喜んでいる。しかし、共学なので彩花に悪い虫がつかないか今から心配も……。


松田美咲・・・中学3年生。東京の名門女子高への進学が決まった。親友である優奈の受験が気掛かり。


宇野都古・・・中学3年生。陸上部のエースとして推薦で進学を決めた。チョコはもらうものという認識。


安藤純・・・中学3年生。陽稲や可恋の勧めでふたりと同じ臨玲高校に進学する。将来有望な競泳選手。


澤田愛梨・・・中学3年生。元陸上部で美男子っぽい容貌から後輩に人気があった。陽稲を追って臨玲に進学する。


キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。アメリカ出身の黒人少女。ずば抜けた身体能力を持つ。来日後に空手を始めて、いまやかなりの実力の持ち主になった。可恋はニンジャになるための師匠。


 * * *


「日野さん、なんでチョコレートを送ってきたのか不思議がっていたよ」


「これも相手を驚かせる奇襲だよ、彼方」


「えー、本当? 騙してない? はじめちゃん」


「そんなことより対戦の許可はもらったんだろ?」


「うん! 師匠じゃないって話だけど、セッティングまでしてくれるみたい」


「去年道場破りに来たあの黒人女にボコボコにされたあたしの仇を取ってくれよ」


「もー、道場破りじゃないって聞いたよ。はじめちゃんが敵わなくて全然相手にされなかっただけだって……」


「くっ……。彼方はあたしの言うことよりうちの師匠の言うことを信じるのか……」


「だって、はじめちゃん、嘘ばっかり言うじゃない。都庁がロボットに変形するとか、山手線で1周してしまうと逮捕されるとか、あと、私の出身地の小笠原がアメリカだったとか……」


「最後のはホントだろ!」


「じゃあ、ほかのは嘘なんだね」


「くっ……。彼方、手強くなったな」


「はじめちゃんのお蔭だよ!」

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